山田の案山子

日々是吉日

自分の番

2014年01月30日 | 社会
     父と母で二人
     父と母の両親で四人
     そのまた両親で八人
     こうして数えていくとゆくと
     
     十代前で、千二十四人
     二十代前では・・・・・・?

     過去無量の
     命のバトンを
     受けついで
     今、ここに

     自分の番を生きている
     それがあなたの命です
     それが私の命です

           相田 みつを

生きる事に拘りが無ければ死ぬ事にも拘りは無い筈だが・・・
昨日は泌尿器科に血液検査の結果を聞きに行った
PSA:タンデム(RIA)値は6.53
前回は6.69だったので数値が下がって少し良くなったと思ったが誤差のうちらしい

仮に前立腺癌だとしても早急に生命に関わる事も無いだろうとは思うのだが・・・
医師は検査をして治療した方が好いと云う
週明けに紹介された病院に行こうと思っている

今、想い出して病院に担当医の診察日時を確認した
家内が長い間入院し今も通っている病院だが
やはり8時半迄に入院する事に変わりは無いそうだ

トイレが近い事と残尿感はあるが特に自覚症状は無い
放っておけば癌細胞が身体中に転移して脳も侵されるのだろう
認知症にはならないだろうとは思うが記憶力が衰えた
アルツハイマー? 年齢的なものだとは思う
我が一族に認知症やアルツハイマーを患った者は一人もいない

我が一族の先代
両親の両親すら知らない
両親どころか母を知らない
母は私を生んで直ぐに家を追い出されたそうだ

物心ついた時には父の嫁を母だと思って育った
成人してから聞いた話では伯母から授乳して育ったと云う事だ
父の嫁は父が死んで間もなく我が一族と縁を切った

父の位牌と自分が生んだ子供の位牌を伯母の家に持って行ったそうだ
父の墓が何処に在るかは知らない
通夜と告別式には仕方無く出たが納骨には出向かなかった

父が死んだ時、兄は胆管癌で東京医大に入院中だった
兄が俺は行けないから俺の代わりだと思って通夜には出てくれと言って来た
親戚中から同じ意味の事を電話で言って来た

三人の子供を生ませながら母とは入籍していなかった父を許せない
戸籍謄本は母と父の姓が違う
兄は母と連絡しあっていたようだった

大阪刑務所服役中に兄から母の訃報を受け取った
保安課に連行され保安課長から手紙を受け取った
身内に不幸があった時には三日間の免業が許され喪に服す事になる
三日間独房で過ごし願い出れば焼香も宗教家を呼んで読教もしてもらえる

少年の頃から家を出て浮浪児をしていた此の身には母に対する想いは薄かった
母は父に追い出された後の人生は幸福だったそうだ

父が死に
兄が死に
愛猫クロちゃんが死に
自分の番も近いだろう

家内も最近体調を崩しがち
肺気腫と言われ酸素ボンベを使い出して久しい
歳の順なら家内の方が上なのだが・・・
これ以上先の事を考えるのは辛い
先に逝くも看送るも・・・

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