
『教師のためのアサーション』
園田雅代、中釜洋子、沢崎俊之 編著
金子書房
2週間、放置してたのだけど
今日無事読み終わった。
とくに大切だと感じた箇所の抜粋、ないしまとめ
アサーティブな自己表現とは、相手も自分も大切にした自己表現
自分の気持ちや考え、信念を率直に、正直に、その場にあった適切なやり方で表現
お互いに大切にし合おうという相互尊重の精神と、相互理解を深めようという精神の現れ
しかし、アサーティブになれば自分の欲求が通るというものではない
お互いの意見や気持ちの相違によって葛藤が起こることもある
そこで安易に妥協したりしないで、お互いの意見を出し合って
譲ったり譲られたりしながら歩み寄っていき、それぞれに納得のいく結論を出そうとする
この過程を大事にする
すなわち、葛藤が起こることを覚悟し、葛藤が起きてもそれを引き受けていこうとする気持ちが
アサーションの特徴
話し合いの精神を大事にするので、自分が表現するのと同時に
相手にも表現するように勧めることもアサーティブなあり方
この意味で「聴く」ことも立派なアサーション
アサーショントレーニングと呼ばれる自己表現法の発祥の地はアメリカ
原型は、対人関係に悩んでいる人や自己表現が上手くできない人のためのカウンセリングの一方法
アサーションの考え方と方法は、被差別者の人権回復と自己信頼の獲得に
そして自己主張をしてこなかった人々の自己表現の方法として役立つ
国連の国際婦人年(1975年)をきっかけにフェミニストによって重要な女性支援方として歓迎
ほか、キャリアカウンセリングの分野での活用
アメリカでは職場でも注目。
自他尊重の自己表現が活発で、自由なやり取りのできる職場では従業員の精神的健康度が高い
また、とくに諸外国との取引や外国支店勤務をする人々には
多文化間コミュニケーション訓練の一環として
セクシャルハラスメントの防止、予防にも
次に、カウンセラー、医療・看護職、社会福祉職の人々も積極的に活用を進めた
他者の援助の方法としてのみならず、自分たち自身に、「燃え尽き症候群」の回避に。
「自分の限界を認めてノーと言う権利」を使うことの重要性が指摘されている
教師がアサーションを学ぶ意義→バーンアウトの予防、子どものコミュニケーション力育成etc.
ある先生:最近の親は「何でも教師がやって当たり前」と思ってるし、
子供は「教師なんて」とばかにしているところがある。だからやっても報われる感じがしない
クラスに導入する前に:「あなたらしくていい」といいながら
「萎縮するでもなく、威張り散らすでもなく、自分も他人も大切にするあなたになって欲しい」
と願っている逆説がある。そんな逆説を抱えることに謙虚であって欲しい
→強制力を減じてアサーションの真髄である自他尊重の精神に基づく平等な関係を
教師-生徒間にもたらすよう細心の注意を払うことも必要
アサーション・グループワークを行ったクラスのある生徒の感想
〔最初は、アサーションって、いい子になるためのもの、と思っていたが
自分が楽になる、自分らしく生きていくためのものとわかった〕
自分の言いたいことを言え、まわりに聴いてもらえ、また、
まわりの言うことも自分が聴けるという実感が持てるなら、
私たちはその場所を「居場所」と思えるものです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
バーンアウトはすごく興味があるので、別途。
2週間前この本を手にしたときは
・横文字だらけで、なんか苦手
・言ってることはその通りだ
・(読んでみて)デンマーク人ができてることだ、だから幸せNO1にもなるわけだ
・仕事してるとき、、違う理屈働いてた。これ日本じゃ理想論でしかないでしょ
今、まとめるべく改めて読み直してみて
・自明のことと感じる一方で、一つ一つにやはり考えさせられる
でも、ほかメンバー(とくに理系)は興味なさそう
この差はどこから来るものなのか
→私自身の悩みはここにある???
とくに「いい子になれというもの」ではなくて「自分を楽にするもの」ってのは
どうせと斜に構えている私には痛い一言
仕事で意見求められ発言するけど、
9割何らかのちゃちゃが入るというか、、
熱血な上司と、知識量豊富&相手を気遣った発言は嫌い(できない?)大先輩
心優しいけどそれらの人に手を焼いてた先輩
「きれいごと抜かしてる状況じゃないだろ」「わかれ」「わかってないな」
「(たまに仕事終了後)こんな状況で、、よく頑張ってると思うぞ」
「(で、一緒に飲みに行くと)お前は何もわかってない」と説教始まる
私はどうできたんだろう。
アサーション学んであそこに戻っても、私はまた燃え尽きるだろうな。
働く現場は知らないけど、学校に居る限り、働く人にインタビューする中で
デンマークって本当にアサーティブだ
たまに発言すると先生はすごく肯定的に拾ってくれて、すごくほめてくれることもある
デンマークの生徒はよく発言する、質問に限らず感想や考えを述べる
ほかの人が発言するときはきちんと聞いてる。発言者は手を挙げて順番を守る
荒唐無稽なこと言ったり、提案して
何も決まらないことも多いけど、それで中傷や人の意見を非難したりはない
時間が来て、次の時には、なぜか一番現実的なのに収まってたりして
誰が動かしてるのか、どう意思決定しているのかいまいち不明だけど
まず自分の意見をいうこと、相手の意見をきくことを大切にする
黙ってたら、黙ってたいのだと解釈されスルーされる
民主主義って表現されることが多いけど、アサーティブだと思う
私は何かを学べるのだろうか
知るほどに差に愕然とするのだけど、、神は乗り越えられる試練しか与えないんだとしてどうすれば。。
あ、、デン人何人かに聞くのだけど
基本「無宗教」らしい。
「国はプロテスタントだけどね」っていう。そういうもんなのか
追記:
書いた内容読み返しながら、、
上司に怒られる自分はダメなんだと必要以上に萎縮して
とうの上司も悪い人じゃないから大変だったろうなって今は思う。
そして、強面の、威圧的な、理屈っぽい上司との付き合い方が下手だったけど
それは私だけが悪いのでもなく、残念だったと今、本当に素直に思えた。
そういう上司だった。仲良くできないのが悪いんじゃない
そういう上司って受容できたらよかったんだ
そして、私にはそこがストレスフルだったからけじめのつくとこで辞めた。
自分で自分の気持ちに従ったんだし、誰も何も悪くない
実際、あの会社に勤めたこと、無関心ではなくあつい上司の下で学べたことはよかったと思う
尊敬できる部分もたくさんあったけど、苦手な部分もあった。会社にも、上司にも、そして自分にも
凹む必要はない。社会にも復帰できる。大丈夫。きっと大丈夫だ
園田雅代、中釜洋子、沢崎俊之 編著
金子書房
2週間、放置してたのだけど
今日無事読み終わった。
とくに大切だと感じた箇所の抜粋、ないしまとめ
アサーティブな自己表現とは、相手も自分も大切にした自己表現
自分の気持ちや考え、信念を率直に、正直に、その場にあった適切なやり方で表現
お互いに大切にし合おうという相互尊重の精神と、相互理解を深めようという精神の現れ
しかし、アサーティブになれば自分の欲求が通るというものではない
お互いの意見や気持ちの相違によって葛藤が起こることもある
そこで安易に妥協したりしないで、お互いの意見を出し合って
譲ったり譲られたりしながら歩み寄っていき、それぞれに納得のいく結論を出そうとする
この過程を大事にする
すなわち、葛藤が起こることを覚悟し、葛藤が起きてもそれを引き受けていこうとする気持ちが
アサーションの特徴
話し合いの精神を大事にするので、自分が表現するのと同時に
相手にも表現するように勧めることもアサーティブなあり方
この意味で「聴く」ことも立派なアサーション
アサーショントレーニングと呼ばれる自己表現法の発祥の地はアメリカ
原型は、対人関係に悩んでいる人や自己表現が上手くできない人のためのカウンセリングの一方法
アサーションの考え方と方法は、被差別者の人権回復と自己信頼の獲得に
そして自己主張をしてこなかった人々の自己表現の方法として役立つ
国連の国際婦人年(1975年)をきっかけにフェミニストによって重要な女性支援方として歓迎
ほか、キャリアカウンセリングの分野での活用
アメリカでは職場でも注目。
自他尊重の自己表現が活発で、自由なやり取りのできる職場では従業員の精神的健康度が高い
また、とくに諸外国との取引や外国支店勤務をする人々には
多文化間コミュニケーション訓練の一環として
セクシャルハラスメントの防止、予防にも
次に、カウンセラー、医療・看護職、社会福祉職の人々も積極的に活用を進めた
他者の援助の方法としてのみならず、自分たち自身に、「燃え尽き症候群」の回避に。
「自分の限界を認めてノーと言う権利」を使うことの重要性が指摘されている
教師がアサーションを学ぶ意義→バーンアウトの予防、子どものコミュニケーション力育成etc.
ある先生:最近の親は「何でも教師がやって当たり前」と思ってるし、
子供は「教師なんて」とばかにしているところがある。だからやっても報われる感じがしない
クラスに導入する前に:「あなたらしくていい」といいながら
「萎縮するでもなく、威張り散らすでもなく、自分も他人も大切にするあなたになって欲しい」
と願っている逆説がある。そんな逆説を抱えることに謙虚であって欲しい
→強制力を減じてアサーションの真髄である自他尊重の精神に基づく平等な関係を
教師-生徒間にもたらすよう細心の注意を払うことも必要
アサーション・グループワークを行ったクラスのある生徒の感想
〔最初は、アサーションって、いい子になるためのもの、と思っていたが
自分が楽になる、自分らしく生きていくためのものとわかった〕
自分の言いたいことを言え、まわりに聴いてもらえ、また、
まわりの言うことも自分が聴けるという実感が持てるなら、
私たちはその場所を「居場所」と思えるものです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
バーンアウトはすごく興味があるので、別途。
2週間前この本を手にしたときは
・横文字だらけで、なんか苦手
・言ってることはその通りだ
・(読んでみて)デンマーク人ができてることだ、だから幸せNO1にもなるわけだ
・仕事してるとき、、違う理屈働いてた。これ日本じゃ理想論でしかないでしょ
今、まとめるべく改めて読み直してみて
・自明のことと感じる一方で、一つ一つにやはり考えさせられる
でも、ほかメンバー(とくに理系)は興味なさそう
この差はどこから来るものなのか
→私自身の悩みはここにある???
とくに「いい子になれというもの」ではなくて「自分を楽にするもの」ってのは
どうせと斜に構えている私には痛い一言
仕事で意見求められ発言するけど、
9割何らかのちゃちゃが入るというか、、
熱血な上司と、知識量豊富&相手を気遣った発言は嫌い(できない?)大先輩
心優しいけどそれらの人に手を焼いてた先輩
「きれいごと抜かしてる状況じゃないだろ」「わかれ」「わかってないな」
「(たまに仕事終了後)こんな状況で、、よく頑張ってると思うぞ」
「(で、一緒に飲みに行くと)お前は何もわかってない」と説教始まる
私はどうできたんだろう。
アサーション学んであそこに戻っても、私はまた燃え尽きるだろうな。
働く現場は知らないけど、学校に居る限り、働く人にインタビューする中で
デンマークって本当にアサーティブだ
たまに発言すると先生はすごく肯定的に拾ってくれて、すごくほめてくれることもある
デンマークの生徒はよく発言する、質問に限らず感想や考えを述べる
ほかの人が発言するときはきちんと聞いてる。発言者は手を挙げて順番を守る
荒唐無稽なこと言ったり、提案して
何も決まらないことも多いけど、それで中傷や人の意見を非難したりはない
時間が来て、次の時には、なぜか一番現実的なのに収まってたりして
誰が動かしてるのか、どう意思決定しているのかいまいち不明だけど
まず自分の意見をいうこと、相手の意見をきくことを大切にする
黙ってたら、黙ってたいのだと解釈されスルーされる
民主主義って表現されることが多いけど、アサーティブだと思う
私は何かを学べるのだろうか
知るほどに差に愕然とするのだけど、、神は乗り越えられる試練しか与えないんだとしてどうすれば。。
あ、、デン人何人かに聞くのだけど
基本「無宗教」らしい。
「国はプロテスタントだけどね」っていう。そういうもんなのか
追記:
書いた内容読み返しながら、、
上司に怒られる自分はダメなんだと必要以上に萎縮して
とうの上司も悪い人じゃないから大変だったろうなって今は思う。
そして、強面の、威圧的な、理屈っぽい上司との付き合い方が下手だったけど
それは私だけが悪いのでもなく、残念だったと今、本当に素直に思えた。
そういう上司だった。仲良くできないのが悪いんじゃない
そういう上司って受容できたらよかったんだ
そして、私にはそこがストレスフルだったからけじめのつくとこで辞めた。
自分で自分の気持ちに従ったんだし、誰も何も悪くない
実際、あの会社に勤めたこと、無関心ではなくあつい上司の下で学べたことはよかったと思う
尊敬できる部分もたくさんあったけど、苦手な部分もあった。会社にも、上司にも、そして自分にも
凹む必要はない。社会にも復帰できる。大丈夫。きっと大丈夫だ
アメリカは、
日本では教養とか、無知の知とされるものを
言語化し学問とするのが上手だな
少しずつ前職のでの気持ちが薄らぎ始めてるけど、
精神的にすごく苦しくて
「楽しい」と思ったことがほぼなかったと
飲んで思考停止するばかりの毎日で
日記をつけておくって面白いな