『教師のためのアサーション』って本の中で
新井肇著『「教師」崩壊』を紹介していて
教師は「ほかの対人専門職に比べバーンアウトを生じさせやすい特性がある」とし、
1)教師の職業倫理
「教師たる者、心身ともに健康であるべきであって、悩みに負けて心の不調を起こすような者はその資格がない」というような、教師に対する社会の倫理観が教師自身においても内面化され、教師が一人の人間として考え、活動する側面にまで影響を及ぼしてくるため、「現実に存在する教師自身の悩みや不適応、心の病といったものはオープンに語られにくい状況におかれている」
2)教育の目的
「教育実践での裁量権は広い」ことが「教師の仕事は、その目標から過程・評価、どの面をみても簡単にマニュアル化できない不確実さに満ちている。だから、手抜きしようとすればできる面があり、逆にやろうとすれば際限ないほどやるべきことがある」
3)学校の組織体制
「学校という組織の仕組みとしてたてのラインで仕事を進めるということはほとんどないため、教師にには一定の自律性が保証されている反面、困難な問題に直面したときでも仕事上の相談がきわめてしにくいシステムになっている」「バーンアウトに対し緩衝効果を持つと考えられるソーシャルサポートが十分に得られない状況にある」
その他、これらに加えて教師という職業には、親や地域の人たちから多くの期待が集まっているにもかかわらず、同等に社会的責任を期待される、たとえば医者や技術職などに比べ、専門職としての認識を得られにくいなどの背景もある
自分の仕事に対する無力感・孤立感などをいたずらに強めないための、
いわば命綱ともなるのがこれら人権・自尊感情である
バーンアウトしやすい特性について、新井さん曰く
「ヒューマン・サービスは理想を求め、深いところでの対象者への自我関与なしには質の向上が期待できないという側面」があり、「ここに教師をはじめとして、ヒューマン・サービス従事者特有のパラドックスがある。ヒューマン・サービスに関わるうえで望ましいとされる性格・態度が逆にバーンアウトを引き起こし」かねない
では、具体的に何が重要となるのか、は
『教師のためのアサーション』園田雅代著の部分より
・教師が感じているしんどさの共有-ソーシャル・サポートづくり
・教師が「ノー」という-できること・できないことの分化
→教師が親代わりをせずとも、親にNOという、ないし期待できないなら別の機関との連携・協働を行う
「自分の基軸とでもいうべきもの、自分の拠り所となるような価値基準を内側に持つこと」
そして「人権・自尊感情はそういった内的基軸の核となりうるものであること」
教育についての信念や理想を持ち、粘り強く取り組む
他者を(子どもであっても)自分の思い通りには変えられないといった節度や謙虚な態度
一個の人間としての自分自身の幸福感も大切にするといった姿勢
これらの矛盾しがちな両面が同時に求められる中でどうバランスをとるのかを考える軸が
‘人権・自尊感情を大切にすること’にあるのではないか
人権とは「人々が生存と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」(『みんなの人権』)
→自分の意見や考え、気持ちなどを他者に伝えたいときに伝えることは、まさに基本的人権で、
人種、性別、年齢に関係ない天賦の権利。ただし他者の人権の尊重も必要不可欠である
自尊感情とは「自分自身に対する肯定的な感情。自分自身を価値ある存在ととらえる感覚」(『カウンセリング辞典』)
「心理教育」としてアサーションの導入を提唱していて、
〔アサーション理解の7つの視点〕として
・自己把握・自己理解
感情の理解
価値観の理解
・自己開示(表明してもよい、という考え)
・他者への志向性(自分と違う他者を前提とする、関心とともにNOとも言われる覚悟)
・自己の個別性(必ずしも同調しなくていいという視点、相手にNOという覚悟)
・人権・エンパワーメント(自分の人権が侵されたときは立ち上がってよい、自分たちには解決する力がある)
・自己受容(人間は不完全、自分にも欠点はある)
・葛藤の解決スキル(相手と問題を共有し建設的な歩み寄りを実現する技法etc.)
ただし、アサーションを目指す過程において
「アサーションしないことを自分が選ぶ」ことがあってもよい、
常にアサーティブでなくてもいいことを忘れない
→アサーティブであろうとすると自分の弱い面や本音と向き合わねばならず
ときには傷つくこともある。さらにアサーティブに自分の気持ちを表現し
周りの人から妬まれたり脅されたりする結果を招くこともある
アサーションとは相手と誠実に付き合うことで、それだけ時間とエネルギーがかかる
そこまでしてその人との関係をよくしたいのかの問いかけが大切
(できないと自己卑下したり、相手のせいにしたりするのとは違う)
⇒アサーションを目指すのは、「自分が前より楽な感じ」になったり
「自分を大事と思う感覚」が確かになっていくためであり、
「自分の内なる声を大切に」行っていくことが何より重要
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「人権」ってことと、「行使しなくてもよい」ってことはすごく力強いことだと思う。
これ、誤解ない形で学校で教えることができたらすばらしいだろうけど
ニュアンスが難しいだろうなって感じもする。
(ってか、これ理解して世に出たら苦労する気がする。。。いや、世代交代すればよくなるのだろうか)
んん~
新井肇著『「教師」崩壊』を紹介していて
教師は「ほかの対人専門職に比べバーンアウトを生じさせやすい特性がある」とし、
1)教師の職業倫理
「教師たる者、心身ともに健康であるべきであって、悩みに負けて心の不調を起こすような者はその資格がない」というような、教師に対する社会の倫理観が教師自身においても内面化され、教師が一人の人間として考え、活動する側面にまで影響を及ぼしてくるため、「現実に存在する教師自身の悩みや不適応、心の病といったものはオープンに語られにくい状況におかれている」
2)教育の目的
「教育実践での裁量権は広い」ことが「教師の仕事は、その目標から過程・評価、どの面をみても簡単にマニュアル化できない不確実さに満ちている。だから、手抜きしようとすればできる面があり、逆にやろうとすれば際限ないほどやるべきことがある」
3)学校の組織体制
「学校という組織の仕組みとしてたてのラインで仕事を進めるということはほとんどないため、教師にには一定の自律性が保証されている反面、困難な問題に直面したときでも仕事上の相談がきわめてしにくいシステムになっている」「バーンアウトに対し緩衝効果を持つと考えられるソーシャルサポートが十分に得られない状況にある」
その他、これらに加えて教師という職業には、親や地域の人たちから多くの期待が集まっているにもかかわらず、同等に社会的責任を期待される、たとえば医者や技術職などに比べ、専門職としての認識を得られにくいなどの背景もある
自分の仕事に対する無力感・孤立感などをいたずらに強めないための、
いわば命綱ともなるのがこれら人権・自尊感情である
バーンアウトしやすい特性について、新井さん曰く
「ヒューマン・サービスは理想を求め、深いところでの対象者への自我関与なしには質の向上が期待できないという側面」があり、「ここに教師をはじめとして、ヒューマン・サービス従事者特有のパラドックスがある。ヒューマン・サービスに関わるうえで望ましいとされる性格・態度が逆にバーンアウトを引き起こし」かねない
では、具体的に何が重要となるのか、は
『教師のためのアサーション』園田雅代著の部分より
・教師が感じているしんどさの共有-ソーシャル・サポートづくり
・教師が「ノー」という-できること・できないことの分化
→教師が親代わりをせずとも、親にNOという、ないし期待できないなら別の機関との連携・協働を行う
「自分の基軸とでもいうべきもの、自分の拠り所となるような価値基準を内側に持つこと」
そして「人権・自尊感情はそういった内的基軸の核となりうるものであること」
教育についての信念や理想を持ち、粘り強く取り組む
他者を(子どもであっても)自分の思い通りには変えられないといった節度や謙虚な態度
一個の人間としての自分自身の幸福感も大切にするといった姿勢
これらの矛盾しがちな両面が同時に求められる中でどうバランスをとるのかを考える軸が
‘人権・自尊感情を大切にすること’にあるのではないか
人権とは「人々が生存と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」(『みんなの人権』)
→自分の意見や考え、気持ちなどを他者に伝えたいときに伝えることは、まさに基本的人権で、
人種、性別、年齢に関係ない天賦の権利。ただし他者の人権の尊重も必要不可欠である
自尊感情とは「自分自身に対する肯定的な感情。自分自身を価値ある存在ととらえる感覚」(『カウンセリング辞典』)
「心理教育」としてアサーションの導入を提唱していて、
〔アサーション理解の7つの視点〕として
・自己把握・自己理解
感情の理解
価値観の理解
・自己開示(表明してもよい、という考え)
・他者への志向性(自分と違う他者を前提とする、関心とともにNOとも言われる覚悟)
・自己の個別性(必ずしも同調しなくていいという視点、相手にNOという覚悟)
・人権・エンパワーメント(自分の人権が侵されたときは立ち上がってよい、自分たちには解決する力がある)
・自己受容(人間は不完全、自分にも欠点はある)
・葛藤の解決スキル(相手と問題を共有し建設的な歩み寄りを実現する技法etc.)
ただし、アサーションを目指す過程において
「アサーションしないことを自分が選ぶ」ことがあってもよい、
常にアサーティブでなくてもいいことを忘れない
→アサーティブであろうとすると自分の弱い面や本音と向き合わねばならず
ときには傷つくこともある。さらにアサーティブに自分の気持ちを表現し
周りの人から妬まれたり脅されたりする結果を招くこともある
アサーションとは相手と誠実に付き合うことで、それだけ時間とエネルギーがかかる
そこまでしてその人との関係をよくしたいのかの問いかけが大切
(できないと自己卑下したり、相手のせいにしたりするのとは違う)
⇒アサーションを目指すのは、「自分が前より楽な感じ」になったり
「自分を大事と思う感覚」が確かになっていくためであり、
「自分の内なる声を大切に」行っていくことが何より重要
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「人権」ってことと、「行使しなくてもよい」ってことはすごく力強いことだと思う。
これ、誤解ない形で学校で教えることができたらすばらしいだろうけど
ニュアンスが難しいだろうなって感じもする。
(ってか、これ理解して世に出たら苦労する気がする。。。いや、世代交代すればよくなるのだろうか)
んん~
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