平成4年3月25日 初版1刷発行
編者 波平 恵美子
弘文堂
帯より―
医学の際は医療の差異ではない。未開社会だけではなく高度生産・情報社会である日本の隠された文化システム、疾病刊、身体刊などを治療の現場から報告し、問題点を追及する。
まえがきより:
・文化人類学は、学問領域の成立の早い時期から、あとになって「医療人類学」と呼ばれるテーマに取り組んでいた。(略)
・1910年代の後半から、マリノフスキーとブラウンが奇しくも同時に、現地調査を始めて現在材の文化人類学の基礎を築いた。特にマリノフスキーは(略)「文化」が総合的、相対的に研究される方法を示した。(略)世界の片隅の、人工都市手もごく少数の集団の文化を総合的に研究することは、結局のところ「人間とは何か」「人間にとっての文化とは何か」を明らかにすることにつながるということである。(後略)
------------------------------------
→病気治療については、妖術や邪術、、宗教と呪術などとのかかわりからいろんな調査が行われていたが、人類学者はそれが「治療行為」と認識できなかった。
1960年代くらいから、欧米文化で優勢な医療体系もまた、文化の枠の中で発生し発達したものと認め始めた。
「つまり、医師や保健行政に携わる人々が、文化を異にする地域で、医療や保健活動を行う体験を通して、病気治療が文化によって強く支配されないではいられないことを知るに至ったのである」(P4より抜粋)
例として、日本では身体観や人間存在の認識のずれにより、脳死者からの臓器提供に抵抗があげられる。
現代医療は、細分化され専門化した。
一方で、個人や家族や集団にとっての「体験としての病気」「生きていることの一部である病気」といえる病気の側面をとらえるのは不得手である
「病気とは人間に共通の現象でありながら、そのとらえられ方も対処のされ方も、文化的要素を抜きにしては論じられえないことをあきらかにしようとするものである」※抜粋
----------------------------------------------------
memo
医療人類学って、、やっとなんとなく理解でき始めてきた。
西洋医学も1つの文化的な対応の仕方
子供が血を吐いたとき、シャーマンにみせ死んでしまったとき、それは文化的背景による合理的選択だったのであって、
「念のため、西洋からの医師にも見せたらよかったのでは」と伝えていく
最近、プライマリケア学会などでも人類学を学んだり
山大の医学部では、結構前から、人類学的アプローチが学ばれている
それは、病気を診るではなく、人を診るというところに帰りつつあるのかも
と思った。
-------------------------------------
第6章 東大阪・A病院の夜間利用者たち
夜間診療の<かけひき>と戦略としての<投薬要求>
村岡 潔
とある、救急病院で割がよくないけど、体験として面白そうだと月曜の夕診+当直を行った内科医のレポート
で、おわりにの中にある、M・ロック※の指摘が面白い
※抜粋※
日本の西洋医学における患者-医療者関係の中では、医師は全体論的な東洋医学的信条を持っているとする。それは例えば、来る患者を拒まずに診るために非常に多くの患者を診ることになる点や、気管支炎の患者に抗生物質を出す際にはいや腎臓が影響を受けるだろうから胃薬や利尿剤を処方し全身状態をよくするためにビタミン剤を出し発汗を促すためにアスピリンを処方するといった内容を指摘している。面白いのは、筆者(おそらく多くの日本人医師)には、こうした対症療法的な態度はむしろ西洋的なものと考えられる点である。(略)
※抜粋終わり※
で、患者は経口薬より注射を好むとかの話の上で
※抜粋※
病院で「医療を体験する」といこと、それ自体が<治癒力>を生み出す
※抜粋終わり※
で、だから近代医学とか現代医学ってなんなんだろうか、ってっ疑問を投げかけてて
なんなんだろうか、と思う。
※マーガレット・ロック: 都市文化と東洋医学 247-270頁、思文閣出版 1990
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます