心霊スポットスポットを探して、こんなものがこんなところに実はオジン小学校の用務員をやっています。学校まではジジチャリで15分ぐらいかかります。いつも自転車で学校に通勤しているのですが、村のはずれの細い道を通って学校に向かっています。途中真ん中辺んで深い森の中を通って行きます。夏でも寒いくらいの冷たい風が吹いています。途中の森の中にこんなもんがあります。石に掘られています。碑母観音と読めます。字が風雪に耐えて読みづらくなっています。下には小川流れていますが、荒廃して微かに見えるだけです。石積見えるので昔は綺麗な小川だったと想像されます。小川は、荒廃してますが、碑の周りは草が刈られていますので、誰かが刈っていることが想像されます。よく田舎では馬頭観音の碑は見るのですが、森の中にこんなもんを見るのは初めてです。だれが何のために昔間引きの話を聴くことがあります。それと関連しているのだろうか確かに、下には小川が流れているからな~いつも通るときに感じるものは何なのだろうか気になります。
オジンの住んでいるところは福島県の南、関東に近いですね。良く白河の関越えとか言われています。関東と東北の境界線ですネ❕白河市の隣中島村とゆう小さな村に住んでします。今回は白河を取り上げてみたいです。ここには小峰城とゆうお城が復元されています。幕末には戊辰戦争がありました。先ほども言いましたが関東地方と東北地方の玄関口にあたります。白河が戦場になり多くの人が亡くなりました。ここにはお寺がたくさんあります。亡くなった人は敵味方関係なく埋葬されたと聞いていますが、それは名前のある武士のことです。もっともっとも沢山の農民兵や足軽がいました。歩のない無い将棋は負け将棋言われています。遠く薩摩や長州からそして会津藩から沢山の農民兵が戦いました。亡くなった人はどうなったかと言えば塚と呼ばれているところに埋葬されています。市内にはそうゆうところが何か所かあります。ただ石が積まれて放置されています。うっかりするとゴミ収集場所の隣がそんな場所にもありますネ❕名も無き農民兵が埋葬されています。ただ石がこんもりとなっているだけです。ここで無念の死をとげた霊は今でも漂っているのではないのかな~白河は奥の細道の玄関口にあります。もし機会があれば放置されている塚に寄って手を合わせてもらえれば個々の霊たちも静に眠ることができるのではないかと思います。
蒸し暑い土曜日ですね❣こうゆう時は少しでも涼しくなるようにこんなもんを書きました。実は白河市は城下町で沢山のお寺あります。その中で妙覚寺とゆうお寺があります。春は乙姫桜で有名なお寺です。この桜は伊達政宗公がこの寺に立ち寄った際江戸幕府に献上するため三本桜の一つを住職のねがいで一本を寄進したと伝えられるそれが乙姫桜だそうです。実はここに変わったものがあります。あの有名な忍者服部半蔵さんのお墓があります。奥さんと仲良く一緒に葬られています。有名なのに実に地味なお墓です。服部半蔵半蔵さんは世襲なので代々受け継がれています。松平家に仕えてこの地で亡くなったそうです。松平家と言えば徳川家とつながりがありますネ❕この地でも忍者として活躍してたのかしら~オジンは何回か来て手を合わせるのですが、夫婦仲良くそれにしても地味だな~と感じています。余り詳しいことが載っていないのも不思議です。ボランティアガイドさんとも歩いたことがあるのですが、ここに服部半蔵さんのお墓がありますだけで、詳しい説明がありませんでした。謎のお墓です余りにも地味ですよね~影の棟梁だったのかな~