☆どうなる、私☆

本厄の2006年にがん告知されてしまったぁ!!
私は子宮頸部腺がん患者です。

ベビちゃんは天使になりました

2015年05月11日 22時10分04秒 | じろう/不妊治療→妊娠→死産

とってもとってもご報告が遅れてしまいましたがベビちゃんは天使になりました。2月4日のことでした。


産後一ヶ月は自宅で家事もせずゆっくり過ごしました。

3月に入り友達が子供を旦那さんに預けてたろうとじろうに会いに来てくれました。たろうの死産以来、友達に会えずにいた私…勇気がいりましたが少々強引な友達のおかげで会う決断ができました。

その後もできるだけ知り合いに会わないよう行動していましたが4月になり友達と会う事が増えていきました。

たろうと同級生で生まれた子供達3人にも無事に会えました。

たろうも無事に生まれていたらこんな感じだったのかな…なんて考えるとウルッときちゃうけどね。やっぱり子供はかわいい♪触れ合えて幸せな気分になりました。

じろうの死産後すぐは“また引きこもり生活が続くんだろうなぁ…“と思っていましたがこんな感じで驚きのペースで社会復帰しています。

それにやっぱり友達がたろうとじろうに会いに来てくれるのがとても嬉しいです。存在を認めてもらえるとほんと嬉しいです。


生理三回きたら妊活OKとの事でした。そして無事に三回きましたがまだ暫くは病院には行かないかな…。ゆ~っくり考えていきたいです。(とは言え、もうすぐ41歳なので焦る気持ちもありますが…







さてさて…長くなりますが天使ママ☆じろう編を記録しておきたいと思います。





2月2日

午後に2回くらい悪寒→軽い発熱

インフル流行真っ最中だったのでインフル??風邪??なんて考えたりしたけどすぐに下がったのであまり気にしなかった。(看護師さんには報告)




2月3日

14:00…破水

直ぐにナ-スコ-ル。看護師さんが濡れたオリモノシートを持っていく。
タイミングよくやってきた母に産後パットを買ってきてもらう。どんどん出る。

看護師さんがやってくる。オリモノシートは陰性、手術中の先生には報告してあるとの事。


15:00…悪寒後に発熱。これは間違いなく破水と確信し、りゅうちゃんにTEL連絡。


やっぱり破水だと思うと再び看護師さんに伝える。

たろうの時の経験からもうダメだ…と覚悟を決める。


16:00…りゅうちゃんが来る。


17:00…手術を終えた先生が病室に来る。熱があるのでインフル検査(陰性)。

先生に破水してると思う…と伝える。診察する事に。

内診→エコー

羊水が少なくなってるね…大学病院に連絡してみるね。

救急車で大学病院に転院する事に決定。

17:40…救急車に乗り込む

18:30…大学病院に到着。エコー→内診。

18:55…F先生とO先生から説明を受ける


開腹しシロッカー抜去、促進剤を使用し経膣分娩する事(硬膜外麻酔をしたまま分娩誘発するので無痛分娩)になりました。

私達が同意するとあっという間に手術の準備が進んでいく。横になったまま採血、点滴開始、レントゲン、書類にサイン…。


20:45…手術室へ。悪寒が凄くて震えが止まらない。

手術開始。途中、まだまだ時間がかかりそうとの事で眠らせてもらう。気がつくと手術は終わっていました。

23:30…病室へ移動。悪寒が凄い。寒くて寒くて歯がカチカチ。

あまり眠れないまま朝を迎える。喉が渇いて仕方なかったので看護師さんが来る度にうがいをさせてもらう。




2月4日

6:00…促進剤を入れる。

麻酔が効いているので痛みはない。

8:15…出血の感覚。看護師さんに報告。看護士さんが去った後すぐに何か違和感…アレッ…なんか出そう…まさか赤ちゃん?!いや、まさかね。何だろう…。やっぱりやばいかも…。すぐにナースコール。

足が出てきている。もう産まれそうとの事。力入れないでね。もう少し我慢してね。と言われながら分娩の体勢へ。
一気にスタッが増えた。が主治医のO先生が捕まらないらしい。見たことない先生が2名ほどやってきた。

2~3回息むと信じられないくらいスルスルッと出てきてくれた。感覚的にもたろうよりだいぶ小さいとわかった。

とてもとても小さい男の子と対面。かわいい♪♪♪

てっきり女の子だと思っていたのにかわいいおチ〇チ〇がついていた。

きれいにしてから抱っこしましょうねと一旦お別れ。

その後の処置。発熱で震えが止まらない。処置が長い…長い…お願い早く終わって…なんて思っていた直後から記憶がない。

どうやらパニクッていたらしく(りゅうちゃんから後で聞いた)、何度も起き上がろうとする私、“起き上がると気分が悪くなりますよ”と看護師さんに寝かされる…を繰り返し嘔吐したらしい。

りゅうちゃんの話をイロイロ照らし合わせていくと1時間以上記憶がない。

気づいた時には汗びっしょりで疲れ果てていた。手を見るとびっくりするくらい浮腫んでいて自分の体じゃないみたい…私このまま死ぬの…?って思った。

りゅうちゃんは手形足形をとる為の朱肉(インク)買いに行っていた。

たろうの時の病院はバースプランみたいなものがあって産後にしてあげたい事の中に手形足形を残すってあってので病院側が対応してくれた。でも今回の病院はそういったモノはなく、手形ってどうやって取るんだろう…ぐらいな感じ。
もちろんインクも用意してないのでこちらで用意するみたい。が、売店にはなく、イロイロ手を尽くした結果どうにか貸してもらえるところを見つけました。

意識が戻り1時間くらいするとやっと落ち着いてきた。

無事に母子手帳に手形をとってもらえた。

そしてかわいい肌着(ボランティアの方が作ってくださった肌着)を着せてもらってベビちゃんを抱っこした。私のiPhoneで写真撮影。

小さい…とっても小さい。小さいけど手も足もきちんと5本だ。すごいね。こんなにお腹の中で育っていてくれたんだぁ。

てっきり女の子だと思っていた私達。男の子だったね、たろうの次だもんね、これはもう“じろう”だね!笑

とじろうに決定です。


☆午前8時35分生

体重/240g
身長/21cm
胸囲/14cm
頭位/15cm 



 




義兄(私の姉の旦那さん)が母を連れて来てくれた。ばあばに抱っこしてもらってよかったね、じろう。

その後はパジャマに着替えさせてもらい部屋移動。(術後に入る部屋)





2月5日


りゅうちゃんは近くの市役所へ死亡届を提出。火葬の手配。一旦家に帰りデジカメや棺に入れる写真、りゅうちゃんの着替えなどを取りに。

今回の火葬場には骨壺はないとの事で仏具屋さんに買いに行ったりして16:00くらいに病院に戻って来た。



13:00…歩行練習後に尿管が抜ける

14:00…有料個室に移動


朝の採血結果は白血球は下がってきたがCRPがまだ高い。


母と姉が来てくれた。姉に棺に入れるおもちゃと花を買ってきてもらった。



夜、りゅうちゃんと棺に入れる鶴を折った。折り方…忘れてるもんですね。笑
アレッ?アレッ?を連発しながらどうにか折ることができました。メッセージも書いた。写真もたくさん撮った。





2月6日


棺におもちゃ、お菓子、折鶴、お花、写真を入れて寂しくないよう賑やかに飾った。

10:30から火葬。

残らないかもな…って思っていたけど小さなお骨が残った。

その後、お昼ごはんを食べて病院に戻った。

足の浮腫みが凄い。






2月8日


高かったCRPがやっと下がった。

破水した3日からずっと泊まってくれていたりゅうちゃんが帰り、産後初めて一人で夜を過ごす。





2月9日


内診、抜鈎。

子宮収縮剤がでる。

教授回診。






2月10日


内診。菌検査。

退院





退院してから不眠気味でしたが4月中旬頃に解消しました。

お腹の傷もゆっくりゆっくり回復。


最近は大泣きする事もなく過ごしていましたが先日地区の方(昨年引っ越ししてこられた方で私は初対面)が班費の集金に来られました。
二人の小さな女の子を連れて…。そして妊婦さんなんです。帰られた後に“お腹の大きさからいくともしかしたらたじろうと同じくらいの予定日なのかもな…”なんて考えたら泣けてきた…。ごめんね、じろう。どうしたら元気に産んであげられるのかな…。

久々に撃沈した日でした。りゅうちゃんに話を聞いてもらい、ビール片手にごはん食べたら少し復活しましたけどね。





長い長いご報告でしたこれからはチョコチョコ更新していきますね



*TOPのくまちゃんはウェイトベアです♪436gのたろう(ブルーのリボン)と240gのじろう(白いリボン)です
 





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