SAKです。
主は良き神である。
なので、
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。ヨブ記1:21」
そして、
「あなたの一生を良いもので満たされる。詩編103:5」
のである。
だから、ヨブ記1章21節を自分はこう読んでいる。
【主は良きものを与え、不要なもの(罪や罪の種)をとられる。】と。
自分の試練については、ヨブのそれと比べものにならないが、ヨブは主により練り鍛えられた。
そして、神に会えた。
自分もそうなりたい。
なので、この世的な豊かさを10年かけて取り去られた主に感謝である。
そして、信仰が与えられ、受洗することが出来た。
今は主なしでは生きてゆけない。
神様からの一方的な恵み・愛により、必要なものは全て与えられ、生かされている。
このような喜びがあろうか。
世的なものへの未練が残っている自分を情けなく思うが、神を知る前の「己頼み」の不安定な自分には戻りたくない。
あの頃に比べれば経済的にも社会的にも弱者であるが、感謝である。
だって、パウロだってはこうおっしゃっている。
「 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。第2コリント12:9−10」
主の恵みは弱さのうちに完全に現れる!
なんと素晴らしいことか!
こうして主の恵みを日々感じている。
感謝な事である。
SAK 2015/01/23