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Que Sera, Sera / marco library / 北の旅人

826年前

2011年04月26日 | marco library
(火)|友引|

本日のブログは、時間に余裕のある時にどうぞ…。


2011 「道端の花 」シリーズ NO.3 シラーでしょうか?


方丈記」鴨長明(かものながあきら)
全訳注 安良岡康作 講談社学術文庫

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
で、始まる方丈記に「元暦の地震」の一説があり、今回の大地震で話題になっておりました。

ー元暦の地震ー 時は元暦二年(1185)七月五日

また、同じころだったか、ものすごい大地震があったことがある。そのさまは尋常ではなかった。山は崩れ、その土が河をうずめ、海が傾いて陸地に浸水した。大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている。

都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、一つとして無事なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れている。塵や灰が立ち上って、もうもうとした煙のようである。大地が揺れ動き、家屋が倒れる音は、雷の音とそっくりだ。家の中にいると、あっという間に押しつぶされかねない。かといって、外に走り出れば大地が割れ裂ける。羽がないので、空を飛ぶこともできない。竜であったなら、雲にでも乗るだろうに。これまでの恐ろしかった経験の中でも、とりわけ恐ろしいのは、やはり地震だと思った。
 
このように、大揺れしたのは少しの間でやんだが、その余震がしばらく続いて絶えなかった。ふつうでも驚くほどの地震が、二、三十回揺れない日がない。しかし、十日、二十日とたつうちに、しだいに間隔があき、ある日には一日に四、五回、それが二、三回になり、もしくは一日おき、二、三日おきに一回というふうになり、だいたい三ヶ月くらい余震が続いただろうか。
 
四大種(地・水・火・風)の中で、水と火と風は常に害をなすものだが、大地の場合はふつうには異変を起こさない。昔、斉衡のころとかに、大地震が起きて、東大寺の大仏のお首が落ちたりして大変だったらしいが、それでもやはり今度の地震には及ばないとか。

その直後には、だれもかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。」

また、同じころだったか}とありますが、この地震の前には養和大飢饉(1181)が起き多くの行倒れ、餓死者が出たそうです。その数は,わずか2か月間に平安京内だけで4万2300余に上ったと伝えられます。

(一)大火 安元三年 (1177) 4月28日
(二)辻風 治承四年 (1180) 4月29日「竜巻」
(三)遷都 治承四年 (1180) 6月2日から11月26日「都を他の地に移すこと。」
(四)飢饉 養和元年 (1181) から同2年まで。
(五)地震 元暦二年 (1185) 7月5日以降。

この時代の五大災厄でした。
時は平安時代の末期、今の世の平成平安が偶然であることを願います。

PS:きのう、スーちゃんの肉声でのメッセージ辛かったですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。



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