女神になりたい主婦のブログ

「き・く・あ」の実践

私は小林正観さんの本が好きで、何冊も持っています。

正観さんの言葉は、とてもわかりやすく、表現が易しくて
心にストンと落ちる内容ばかりです。

読むと本当に心が軽くなり、肩の力が抜けます。

幸せって、今こうしていられることなんだよなあって
感じられます。


『「き・く・あ」の実践』という本を、昨日久しぶり思い出しました。

き→競わない
く→比べない
あ→争わない

ということです。

私達は、子供の頃から競争させられ、負けるのが悪いことと教えられ
受験では、みんながライバル。

就職でも、人に勝たないといけなくて、本当に苦しいことがいっぱいあったなと思います。

そうやって育ったので、大人になっても抜けなくて。

人と比べては、「ここが劣っている」と、わざわざ劣等感を抱いたり。

みんなそれぞれ、違うのは当たり前なのにね。


なぜ、こんなことを思い出したかというと

たまにですが、私は人からライバル視されていたり
逆に異様に好かれていたり、という経験が何度もあります。

自分では気づかぬうちに、失礼なことしたかな?とか
なんか良いことしてたっけな?とか考えても
よくわからないんですよね。

ライバル視してきた人を、「私のことが嫌いなんだなあ」と思って接していたら
(私はみんなに好かれたいとは思いません)

実は私のことを羨ましいと思っていたんだな、とハッとしたことがあります。

なんというか、勝手に高評価されてたみたい。


私はずっと「目立ちたくない」と思って生きているのですが
私の見た目って全然、特徴的ではなく、むしろ目立たないんです。

声も通らないし。

なのに、人からライバル視されたり、好かれたりしちゃうのって
無意識に目立った行動をとっているからだと思うんですよね。

自覚ないんですけど、すぐはみ出すので。

鼻につくとか、癇に触るって言うんですかね。

目立ちたい人にとっては、本当に腹立たしい存在だろうし(笑)
または逆に、あんなふうに目立ちたい、と思われてしまう。

だから、なるべく大人しくしているんですよ。

せめて見た目だけは、地味にしてね。

あまり人と接しなければ、嫉妬されることもないので
あまり多くの人と関わらない生活をしているのですが
それでもね、あるんですよ〜。

陰で悪口言われてるなら、構わないんですけど
そういう人ってアピールしてくるから。

これって完全に相手の問題だと思うのです。

勝手に私と比べて、嫉妬してイライラしてくる〜。

この前も姉のことを書きましたが、わざわざ私と比べて嫉妬するの。

私のことが、とても幸せそうに見えるのか、苦労せずに良い思いをしていると思うのか。


羨ましいと思う人だって、ものすごい苦労をしているかもしれないし
見た目にはわからない、とてつもない悩みがあるかもしれない。

鼻につくなーって思う行動だって、何か理由があるかもしれない。

その人の背景にあることなんて、ほとんどわからないと思うのです。

一部を見て、羨ましくなるだけで。

人は人、自分は自分。


だから、嫌だなあって思うことをされても
きっと私がすごく幸せそうに見えて、羨ましいんだな
と思うことにしています。

私は幸せなんだなって、再確認するきっかけになるだけだから。

あとね、幸せを感じている人って、嫉妬しないの。
意地悪しないの。

些細なことは気にならないの。

幸せな人でいようと思います。

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