オメガねこ

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「MMT」 と 「国債・税金」

2022年01月28日 | MMT
 「MMT(最新通貨仮説:現代貨幣理論)」では、民主主義国家(財政民主主義)の政府が自国通貨建てでの国債発行をした場合、その発行額の過多によって政府が財政破綻をする事は無い、とされています。

 小売店が原価100円の商品を仕入れて150円で売った場合は、問屋に100円を支払い百円の領収書を受け取り、顧客から150円を貰い百五十円の領収書を渡します。この時の「現金通貨」には貸借の記録が書かれていないので「領収書」に記す事になります。

 「現金通貨」には「貸借の記録」が書かれていないのですが「強制通用力が有る貨幣・紙幣」なので「例外的な通貨」と言えます。商品には価値はありますが「通貨」とは言いません。一方「領収書」そのものには価値は無いのですが、その「貸借の記録」には価値があり、返品時の返金を受ける効果が有る事から「通貨」と言えます。

 政府が「自国通貨建ての国債の発行」で破たんしないのと同様に、小売店は「自社仕様での領収書の発行」で破綻する事は有りません。例えば、100円で仕入れた商品を1万円で売れた場合は一万円の領収書を発行します。その金額が売買価格と同じであれば一億円でも十億円でも「貸借の記録」でしか無いので何の問題も有りません。

 これは「骨董品」や「美術品」で見られる事なので誇張ではありません。但し、売買価格と領収書の金額が違えば破綻するかもしれないし刑務所に入るかも知れません。売買に瑕疵があったり欠陥商品だった場合は「領収書の金額」を払い戻す必要があるので、金額が一致しなければなりません。

 支払いが銀行経由の時は、多くの場合「領収書」は発行されず、少なくとも片方の「預金通帳」に「貸借の記録」が印字されます。これは、銀行預金が「(預金)通貨」である事を示しています。

 銀行はこの「預金通貨」の金額がいくら多くても、それが理由で破綻する事は有りません。「貸借の記録」と受け渡り金額が一致していれば問題は無いのですが、貸出先が債務不履行の場合は銀行が損をする可能性は有ります。但し、同額の担保を設定しているので、回収は可能です。

 日本政府が発行する国債は、日本政府が債務者で債権者(貸出元)は民間か日銀です。つまり、政府が(経済)破綻すれば日銀や民間が損をする可能性が有る事になります。但し、日銀は政府の子会社であり、「日銀通貨(紙幣)」自体が日銀の負債なので、政府と日銀の負債を相殺する事で何も無かった事になります。

 民間に渡った国債が償還されない場合は少し問題が起きますが、自国通貨建てなので日銀が日銀通貨を発行して民間から国債を買い取れば何の問題も有りません。何よりも、その政府は国民が選択した事が明らかなので、最終責任は国民にあり、若しも国債保有者が損をした場合は、国民に責任があると言えます。つまり、国債の担保は国民自身と言えます。

 勿論、私を含めて「国債保有者」は、国民がバカであるリスクも引き受けて買っているので心配無用です。国債保有者の資金によって予算執行が行われ、国債を保有していない人も便宜供与を受けている事を認識して貰いたいと思います。

 「税金を納めているからその必要は無い」と思っている人は、それは誤解です。国民からの税金(罰金)は、発行済みの通貨を回収しているだけであり、デフレの要因になります。

 国債発行は「政府の借金」の問題では無く、経済政策の手法に過ぎないと言えます。但し、「外貨建ての国債発行」の場合は、外国通貨との為替レートに影響を及ぼし、過剰な円安に成るほど発行すると外貨建ての借金が返済できなくなって経済破綻が起きる可能性は有ります。



「定額給付金」 と 「預金額増加」

2020年10月27日 | MMT
 麻生財務相は講演で、この夏の10万円全員給付に関して「当然、貯金が減るのかと思ったらとんでもない。その分だけ貯金が増えました。・・・カネに困っている方の数は少ない。ゼロじゃありませんよ。困っておられる方もいらっしゃいますから。しかし、預金・貯金は増えた」と、預金額が増えた事が「定額給付金」の失敗であったかのように言ってます。
 
 個人が「消費材」を購入し「お金」を使うと企業は「収入」を得、その「お金」は「タンス預金」にはならず、取り敢えず銀行に預けられます。その口座は「当座預金」か「普通預金」で、当然「預金額」が増えます。次に、従業員の給与として、個人の預金口座に振り込まれます。これは何を意味しているかと言えば、「政府が通貨を発行すれば、ほゞ同額の民間の預金が増える」という事です。

 実際の個人消費に影響するかどうかは、例えば銀行振り込みの場合で、「1万円給付」の場合は銀行預金を減らしてまでの消費増は考えられないし、「100万円給付」となると借金返済や高価なものを購入する事が考えられます。「10万円給付」くらいならば困っている人は全額使うかも知れませんが、微妙な金額です。何れにしても、預金総額は変わりませんし、
内閣府の景気ウォッチャー調査8月版を見ると、それなりの効果は出ているようです。

 民間の「預金」は、個人と法人に分かれます。企業の場合は「法人所得税率」が高い場合は納税額を減らす為に、社員の報酬・給与が増える傾向があって個人の預金額が増えます。逆に税率が低い場合は、企業の内部留保に廻って法人の預金額が増える傾向にあります。結果として「個人の預金割合が増えた」と云う事は、企業の内部留保に廻るほどの「給付金」が配られなかったか、或いは旅行などのようにモノの「供給制限」が有った可能性の方が大きいと思います。

 民間がどれだけ無駄使いしても、誰かの預金が減って他の誰かの預金通帳に「数字が移るだけ」なので、誰かが「通貨」を発行すると必ず「預金額」は増えます。現在は、「ハラマキ」にお金を蓄える人は居ないので、当然の結果と言えます。麻生財務相の希望通りに「預金額を減らす」と云う事は、自宅の金庫かタンスに「お金」が貯蔵されている事が考えられ、不健全と言えます。個人が消費すると、廻り回って個人に「お金」が戻ってきます。これが経済の仕組みです。

 これは「MMT」の基礎概念なので、経済担当相には説明するまでもない「常識」だと思っていた私の認識の甘さかも知れません。

「通貨とは、貸借の記録に過ぎない。」
「発行された通貨は、発行体が回収しない限り民間で流通を繰り返し、減ることは無い。」
「自国通貨の発行額は、自国の『モノやサービスの供給余力』が許す限りに於いて、制限はない。」
「一般税は、経済活動の行き過ぎを抑え込む為の、罰金としての手段に過ぎない。」
「目的税は、財務省の軛から解放され各省庁の独自財源になる場合は、必ずしも罰金とは言えない。(再分配)」

 若し、通貨発行量が「現物で保管する量」によって制限を受けるとしたら、「MMT」は間違いと言えますが、実際は「通帳の数字」でしかなく、桁数が書ききれなくなる場合以外は、何も問題は起きません。日本はデフレで、需要が減少して供給余力が過剰な為に経済成長が止まっています。規制緩和は更なる「供給余力」を生み出し、デフレが継続します。

 政府主導のイノベーションや構造改革は「企業側」の問題ではなく、政府自身の「新しい切り口」を必要としていて、企業は政府とは関係なく勝手にイノベーションを考えています。今の政府は、一部の企業の代理人の口車に乗って「規制緩和」を推し進めていますが、これが一般企業の競争力を奪う結果になっています。



「国民経済」 と 「経世済民」

2020年04月06日 | MMT
 一般に「国民経済」はGDP(国内総生産)で計算しますが、これは必ずしも「国富」を示しません。何故なら、生産物の全てを輸出した場合でもGDPになり、国民は生産物を手にする事は無く「外貨」を手にするだけで、しかもその「外貨」は国内では使えないからです。その「外貨」を国内通貨に換えても、総ての製品は輸出されていて、欲しいものは輸入する事でしか手に入れる事は出来ません。GDPの計算では「輸入」はマイナス要因になるのでGDPを押し下げます。

 「輸入」で自分は豊かになった心算でも国の経済はマイナス成長になる事も有ります。日本には資源が無いので、原材料を輸入し、加工して付加価値を付け輸出する事で経済成長を成し遂げると言いますが、その「付加価値」に対しては消費税がかかり、消費税を支払うのは日本国民だけです。輸出品は勿論の事インバウンドにしても外国人には還付されます。

 日本国民は付加価値で儲ける筈なのに、付加価値を付けると日本人が「罰金」を取られて、外国人は免除されます。政府は「消費税は社会保障に使う」と言ってますが、今回の「武漢肺炎」騒動では、その患者の30%が日本人ではないそうです。これに対して厚労省は「日本人ではないが外国人とは限らない」と言ったそうです。つまり、在日宇宙人か?

 また、
1月の春節付近の入院患者の半数以上は中国人で、その多くは武漢市出身です。この人たちが自費で入院しているとは思えないのですが、そうなると「日本人の為の社会保障費」が使われている可能性が大きくなります。

 それはさて置き、GDPには「三面等価の法則」が有り、計算方法は色々ありますが、基本的な計算方法は「生産(供給)量」を主眼に置きます。たとえ国民が飢え死にしても、生産量さえ増やせばGDPは増え、国内で売れなくても国費を投入して輸出に回します。これを「グローバル経済」と言います。

 「経済」とは、本来(日本では)「経世済民」を意味します。「世(国)を経(治)めて民を済(救)う」です。決して生産量を増やす事ではありません。国民の需要要求に応えるだけの供給量を確保する事が目的ですが、これが成立する為には条件が有ります。

 それは、国民は強欲であってはならない事と、同時に為政者は国民を所有物と考えてはならないと云う事です。これを一言で言うと「一君万民」、分かり易く言うと「国民は天皇の赤子。為政者は天皇の臣下。」です。これは「身分制度」ではなく、家族で言うと、両親にとって子供は平等であり、兄は弟の面倒を見ると云う事です。「親子兄弟姉妹」は身分ではなく、役割です。

 これもさて置き、「国民経済」を「経世済民」として考えると、以下の常識が「常識」になります。

国民経済の五原則
①.国民経済において、最も重要なのは「需要を満たす供給能力」である。
②.国民経済において、貨幣は使っても消えない。誰かの支出は、誰かの所得である。
③.国民経済において、誰かの金融資産は必ず誰かの金融負債である。
④.国民経済において、誰かの黒字は必ず誰かの赤字である。
⑤.現代において、国家が発行する貨幣の裏づけは「供給能力」である。

 この「原則」にある「誰か」とは自国民で有る事が大前提で、ここに外国人が加わると支配関係が生まれます。

 日本国民は、自ら働くことを義としているので、これを叶えるのが為政者の仕事です。働き過ぎると「供給過剰」になるので相応の「需要」を生み出す必要が有ります。現金をバラまいても貯蓄に回る場合は、政府自ら需要者になる必要があり、供給量を上回らない程度の財政出動をします。

 つまり、⑤に書いてある「国家が発行する通貨(貨幣)の裏づけは”供給能力”である。」は、この事を意味し、これが「MMT」の本質です。

---「供給能力を上回らない通貨発行は、その量に限度は無い。」---

 但し、此れには条件があり、「自国通貨建てで、自国内で循環する範囲」です。IMFを含む他国からの借金は「経済」にはなっても「経世済民」にはなりません。また、貿易総額はどうであれ、貿易収支は0円が理想です。



「貨幣」 と 「通貨」

2019年10月29日 | MMT

原始貨幣:物々交換の仲介機能。【モノAの価値=貨幣の価値=モノBの価値】

現代貨幣:政府発行通貨。【モノAの相場=貨幣の金額=モノBの相場】

通貨:貨幣と借用書(負債の記録)。【資産額=負債額】

 日本の法律で云う「通貨」とは「貨幣」と「紙幣」を言い、「貨幣」とは政府が発行する「硬貨」の事で、拡大解釈しても「政府発行通貨」であり「誰の負債にもならない通貨」と言えます。何故なら、日本政府は日本国民によって作られた組織なので、自分が自分に負債を押し付けても意味は無いからです。但し「紙幣(日本銀行券)」は「日銀が発行する通貨」なので、これは「日銀の負債」になります。「日本銀行」は資本金が1億円で日本政府がその55%を保有する、財務省の認可法人です。

 ここでは、「貸借対照表で反対側に負債項目が無い特殊な通貨」を「貨幣」と解釈し、「発行体の負債になる、一般的な通貨」を単に「通貨」と書きます。

 「通貨」には多くの種類が有り、最も一般的なものが日銀が発効する「紙幣」で、他には銀行が発行する「預金通貨」、企業が発行する「手形・小切手」、個人が発行する「借用証書」、・・・等々「無数に考えられます」。

 「MMT」の日本語訳として「現代貨幣理論」が使われていますが、これを日本の法律に合わせて再翻訳すると「現代の政府発行通貨の理論」になります。「現代の政府発行通貨」は日本では「硬貨」しか無いのですが、その「硬貨の発行量」は5兆円程で、わざわざ論理立てて説明する程のモノでは有りません。現在では違法行為にはなりますが、「貨幣には、硬貨意外に紙幣も含む」とすると、政府発行紙幣も可能になり、更に、他の通貨を流通禁止にすると、その経済的意味では「共産主義理論」と同じと言えます。

 共産主義では、総ての経済運営・管理を政府がするので、民間企業や個人が「通貨」を発行する事は許されません。と言うより、民間とか企業・個人と云う概念すら有りません。共産主義下の(政府発行)通貨は、その用途と期日が定められた配給券と言え、私有は認められません。何故なら、通貨の私有が認められると蓄財が可能になり、計画経済に支障をきたす事になるからです。政府は、計画に沿ってさえいれば、他の制約を受ける事無く「自由に通貨を発行できます。」

 これが、「MMTは共産主義思想の理論だ」と誤解される所以だと思います。そこで、MMTを「最新の通貨理論」と和訳すると、その論理構造が一変します。「通貨」とは「発行体と流通経路・決済手段などが、無数に考えられる媒体」なので、プリペイドカードや暗号通貨など、政府が直接制御できない「通貨」も可能になります。特定の通貨である「貨幣」が「国家管理の通貨」なのに対して、「貨幣」を包含する「通貨」は自由主義や資本主義の象徴とも言えます。

 MMTでは、「通貨の流通」は国民の自由意思に任されている事を前提にしているので、国民が将来不安などで消費を減らした場合は、市場の供給能力の範囲で「政府は税収に制限される事無く、財政支出を増やすことが出来る。」とし、逆に国民の消費意欲が過剰になり、市場の供給能力を超えそうになった場合には「政府は国民の消費意欲を減らす為に、増税したり財政支出を減らすことが出来る。」と言っているだけです。

 MMTは当たり前の事を言ってるだけであり、「トンデモ理論」だとか「理論式が書かれていない」とか言う人が多くいます。今までの経済理論には「多くの論理式」が書かれていますが、現在の経済運営が思うように行かないのは「その式が間違っているから」とも言え、現行の経済理論の方が「トンデモ理論」と言えます。


「MMT」 と 「財政積極論」

2019年09月27日 | MMT

 「MMTは資本主義を否定し、国の経済を財政支出の拡大に頼る社会主義政策だ。」とバカなことを言う人がいます。

 これが正当な主張だとすると、「学校制度は学問の自由を否定し、子供を洗脳する独裁主義政策だ。」とか「医療制度は人道主義を否定し、反体制派から臓器を奪う選民主義政策だ。」など、トンでもない言い方が可能になります。勿論、これに該当する国が無いとは言いませんが。

 「MMT」では、「自立している各国政府は、任意の自国通貨建て国債等の発行により財政支出量を調整することで、望ましいインフレレベルを目指す経済政策を、税収に制約される事なく行える。」を仮説の出発点にして、展開されています。

 現在のECB総裁であるマリオ・ドラギ氏は、「ECBはMMTのような新しいアイデアを検討すべき。」と発言したそうです。

Draghi Says ECB Should Examine New Ideas Like MMT」ブルームバーグ報道

 この発言の具体的な内容は分かりませんが、ユーロを自国通貨にしている各国は、経済的には一国で自立していませんし、自国通貨も発行していので「MMT」の範疇外ですが、各国に独自通貨の発行を部分的に認めた場合は、成立する可能性も残されています。

 若し、金融政策を担うECB自身が財政支出すると、「金融と財政の一体化」になり、共産主義経済と言えます。これを実行すると、ほゞ失敗する事が見えていますが、これを以て「やはり、MMTは危険思想だった。」とのレッテル張りが行われると思います。

 「財政支出」はあくまでも国家の安全保障に拘わる基盤整備が対象で、地震や台風などの「民間では出来ない」計画的な事前対策が主な支出先になります。災害の後処理などは、政府よりも民間の方が良く知っているので、民間に任せて助成金で対応すべきです。

 緊急対策には「社会主義政策」が、通常の経済は「資本主義政策」が相応しく、国家的事業には「MMT」による「財政政策」が必要になります。