--- 大したニュースでは無いので読み飛ばしてください ---
gooニュース【日刊スポーツ】
東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)が4日、都内で報道陣の取材に応じ、辞任を否定した。
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前日のJOC臨時評議員会では「女性は競争意識が強い。誰か手を挙げると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね」「女性を増やす場合は発言の時間もある程度は規制しておかないと、なかなか終わらないので困る」「組織委にも女性はいるが、みんなわきまえている」などと配慮に欠く発言が続き、国際オリンピック委員会(IOC)が男女平等を推し進める中での女性蔑視とも取れる言葉で問題視されていた。
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最後の質問で「今回の発言にみんな怒っている。五輪運営のトップが女性を尊重しない。森さんの五輪を見たくないという声も上がっているが、どう受け止めているか」との指摘には「謙虚に受け止めている。だから、撤回すると言っています」と返して締めた。
--- 以上 ---
但し、森氏の問題とされる発言の内容は、ラグビー協会の理事会にも関連して、
「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた、5人います。
女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。
ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです」
であり、他人の発言の引用で、森氏も同意していると思われますが、発言の一部を切り抜いて批判するのは間違いですし、この「内容自体」も森氏発言の一部に過ぎず、「批評(批判ではない)」の対象にはなりません。
この「評議委員会」の内容や目的は良く分らないのですが、「評議」するのだから「意見を言わない人」は元々不要だと思いますし、発言の時間を規制してまで早く終わらせる事情が有るのなら、最初からその事情を前もって説明しなかった運営側に問題が有ると言え「女性の問題」ではありません。寧ろ「わきまえている組織委の女性」が仕事をしていないような言い方で、こちらの発言が「女性蔑視」だと思います。勿論、男性は殆ど意見を言わない場合が多く、無駄なのは「男性」の方とも言えます。
一般的に、「女性」は言語中枢が優位な為に話し始めたら何時までも話し続けることが可能で、「男性」は論理中枢が優位な為に内容を整理してからでないと言葉にする事が難しいとされています。これらは「差別」ではなく、平均的な男女の特質差です。恐らく運営側の開会時のの発言は「皆様のご忌憚のない意見をお聞かせください」だと思いますが、それで困るのなら最初から、男女の特質差を考慮し「ご発言は、男性は1分以内、女性は2分以内でお願いします」と言って時間超過時にマイクを取り上げれば済む話です。
「わきまえていない女性」は、質問時間に自分の意見を滔々と語ったり、同じ質問を何度も繰り返す国会議員がいるので、こちらを批判するのなら理解できるのですが、意見を言う会議で「女性全員が意見を言う事」が問題なら、最初から会議の運営方針が間違っていると言え、反省するのは会長と運営側の方です。
「長くなって困る様な会議」なら、どうせ大した話はしていないと思うので、どうでも良いのですが、問題なのは記者会見での質問の方です。「みんな怒っている」のなら、全員が怒っている筈ですが、その声は殆ど聞こえません。これは ㋚系のよく使うウソの「ほら話」で、慣れているのでまだ許せますが、「森さんの五輪を見たくないという声もあがっている」は全く意味不明です。
恐らく「五輪」を楽しみにしている人は大勢いるとは思いますが、「森さんの五輪」を見たいとか見たくないとか言う人は日本中探してもいないと思います。そもそも「森さんの五輪」なんて聞いた事もありません。これに対して森氏は「謙虚に受け止めている」と回答したところを見ると、記者も森氏も「五輪は森氏のモノ」である事を共通の認識としている事になります。
森氏は単に「五輪を運営する委員会の代表」に過ぎません。町内会の会長は「町内会の組織を運営する代表」に過ぎないのと同様に、五輪も町内も会長のモノではありません。これは「民主主義の基本」ですが、㋚系には理解できないのかも知れません。
支那大陸を「中共の代表」が我が物顔で支配しているのとは、訳が違います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c9/91d14fde2d744b46e8c09b7a02d4afe2.png)
gooニュース【日刊スポーツ】
東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)が4日、都内で報道陣の取材に応じ、辞任を否定した。
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前日のJOC臨時評議員会では「女性は競争意識が強い。誰か手を挙げると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね」「女性を増やす場合は発言の時間もある程度は規制しておかないと、なかなか終わらないので困る」「組織委にも女性はいるが、みんなわきまえている」などと配慮に欠く発言が続き、国際オリンピック委員会(IOC)が男女平等を推し進める中での女性蔑視とも取れる言葉で問題視されていた。
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最後の質問で「今回の発言にみんな怒っている。五輪運営のトップが女性を尊重しない。森さんの五輪を見たくないという声も上がっているが、どう受け止めているか」との指摘には「謙虚に受け止めている。だから、撤回すると言っています」と返して締めた。
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但し、森氏の問題とされる発言の内容は、ラグビー協会の理事会にも関連して、
「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた、5人います。
女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。
ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです」
であり、他人の発言の引用で、森氏も同意していると思われますが、発言の一部を切り抜いて批判するのは間違いですし、この「内容自体」も森氏発言の一部に過ぎず、「批評(批判ではない)」の対象にはなりません。
この「評議委員会」の内容や目的は良く分らないのですが、「評議」するのだから「意見を言わない人」は元々不要だと思いますし、発言の時間を規制してまで早く終わらせる事情が有るのなら、最初からその事情を前もって説明しなかった運営側に問題が有ると言え「女性の問題」ではありません。寧ろ「わきまえている組織委の女性」が仕事をしていないような言い方で、こちらの発言が「女性蔑視」だと思います。勿論、男性は殆ど意見を言わない場合が多く、無駄なのは「男性」の方とも言えます。
一般的に、「女性」は言語中枢が優位な為に話し始めたら何時までも話し続けることが可能で、「男性」は論理中枢が優位な為に内容を整理してからでないと言葉にする事が難しいとされています。これらは「差別」ではなく、平均的な男女の特質差です。恐らく運営側の開会時のの発言は「皆様のご忌憚のない意見をお聞かせください」だと思いますが、それで困るのなら最初から、男女の特質差を考慮し「ご発言は、男性は1分以内、女性は2分以内でお願いします」と言って時間超過時にマイクを取り上げれば済む話です。
「わきまえていない女性」は、質問時間に自分の意見を滔々と語ったり、同じ質問を何度も繰り返す国会議員がいるので、こちらを批判するのなら理解できるのですが、意見を言う会議で「女性全員が意見を言う事」が問題なら、最初から会議の運営方針が間違っていると言え、反省するのは会長と運営側の方です。
「長くなって困る様な会議」なら、どうせ大した話はしていないと思うので、どうでも良いのですが、問題なのは記者会見での質問の方です。「みんな怒っている」のなら、全員が怒っている筈ですが、その声は殆ど聞こえません。これは ㋚系のよく使うウソの「ほら話」で、慣れているのでまだ許せますが、「森さんの五輪を見たくないという声もあがっている」は全く意味不明です。
恐らく「五輪」を楽しみにしている人は大勢いるとは思いますが、「森さんの五輪」を見たいとか見たくないとか言う人は日本中探してもいないと思います。そもそも「森さんの五輪」なんて聞いた事もありません。これに対して森氏は「謙虚に受け止めている」と回答したところを見ると、記者も森氏も「五輪は森氏のモノ」である事を共通の認識としている事になります。
森氏は単に「五輪を運営する委員会の代表」に過ぎません。町内会の会長は「町内会の組織を運営する代表」に過ぎないのと同様に、五輪も町内も会長のモノではありません。これは「民主主義の基本」ですが、㋚系には理解できないのかも知れません。
支那大陸を「中共の代表」が我が物顔で支配しているのとは、訳が違います。
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「特質差はアテにならない」のではなく、互いに生物学的特質差を活用していないだけだと思います。
「自由な場」では、女性の話は長くてとめどなく続くように思えますが、内容は一貫している場合が多く、示唆に富んでいます。
男性の話は簡潔な場合が多いのですが、よく考えると如何とでも取れるように「逃げ道」を含んでいます。
これは、私の経験談です。