昭和16年12月8日に「開戦の詔勅」が布告され、12月12日に「大東亜戦争」と明記する事が決定しました。「開戦の詔勅」の内容からすると、これは「平和の為の戦争」と言えます。 昭和20年8月14日の「終戦の詔勅」にも同様の事が書かれており、敗戦を認めたこと以外は、「開戦の詔勅」の意義が貫かれています。
「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書(開戰の詔勅)」(現代語訳抜粋) ・・・米国及び英国に対して宣戦を布告する。・・・ ・・・東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事です。 ・・・中華民国政府は、以前より我が国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに我が国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。 ・・・すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって日本国の光栄の保全を期すものである。
「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅(終戦の詔勅)」(現代語抜粋) ・・・日本国民の安寧をはかり、万国共栄の喜びを供にするのは、天照大神・神武天皇はじめ歴代天皇が遺された規範であり、私の大切な想いでもあります。先に、米英二国に宣戦布告した理由もまた、日本国の自存と東亜の安定を願ったからであり、他国の主権を否定し領土を侵すことは私の志ではない。・・・
「開戦の詔勅」には対戦相手を「米英両国」と書いてあり、「終戦の詔勅」には「大東亜戦争終結」と書かれています。 日本は米国に負けましたが、米国以外の英国を含む連合国には凡そ勝っています。つまり、日米戦争に負けて大東亜戦争の終結を宣言した事になります。ソ連は日ソ中立条約を無視して参戦してきましたが、日本は国家としての応戦はしなかったので、勝敗は有りません。
その後、大東亜諸国は次々に独立を果たし、大東亜戦争の目的の一つが達成されました。戦争目的が達成された事を以て勝利とするのなら、大東亜戦争に勝利したとも言えます。
これは「平和の為の戦争」です。
一方、中国は平和を装いチベット・ウイグル・南モンゴル・満州などを不平等協定で強制的に併合し、更に、南シナ海を占領し、太平洋を米国と二分する事を公言しています。 平和を装って領土を拡張する事は、「戦争の為の平和」と言えます。
これらは、目的を達成する手段としての「戦争」と「平和」です。
スペイン・ポルトガルによる大侵略時代(通称、大航海時代)はローマ教皇を仲介にしたトルデシリャス条約とサラゴサ条約で世界を二分し、西・葡両国は手段としての「平和協定」を結び、西・葡両国以外とは正当な行為としての「侵略戦争」をしました。 米国による西方侵略(通称、西部開拓)はマニフェスト・デスティニーを根拠に正当な行為としての「謀略戦争」をしました。
これは、手段としての「平和」と、理念としての「戦争」です。
科学的共産主義は「平和」を理念とし、世界を統一する目的により過去に数千万人が犠牲になりました。そして、その行きつく先はユートピアです。 このユートピアとはアルカディア(理想郷)ではなく、誰もが争ったり競い合う事もなく、全員が同じ時間に同じものを食べ、毎日変わらず同じ事をして、怠惰な生活を日々消化するだけの世界です。
これは理念としての「平和」です。 その手段は「戦争」なのか「革命」なのかは判りませんが、多くの人が犠牲になり、最終的に生き残った人たちは「平和」の悪夢を見ます。
まさに世界史はこの繰り返し。そして今後もずっと続くのでしょう。
日本が大東亜戦争に突き進まなければならなくなったのは、これとは違います。
そもそも国際連盟で常任理事国として、国際社会に人種差別撤廃をことあるごとに訴え、有色人種を代表して白人社会と戦ったことが、西欧社会の怒りを買った原因のひとつだったんだろうと思います。
「八紘一宇」の旗をかかげ、植民地にあえぐアジア諸国の独立と自立をめざした日本。そろそろGHQの呪縛は解かれてもよいのではないでしょうか。
「GHQの呪縛」で精神的な打撃は「靖国神社」だと思います。
数年前までは、特亜とアメリカが歩調を合わせて批判していましたが、経済・軍事面での歩調の乱れから始まり、政治的分断が決定的になると、アメリカ自身の「靖国参拝」が有るかもしれません。
しかし、これを期待しているようじゃダメですね。