オメガねこ

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「正歳四節」 と 「春耕秋収年紀」

2020年10月31日 | 歴史
 【魏志倭人伝】
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其會同坐起 父子男女無別 人性嗜酒

《 魏略曰 其俗不知正歲四節 但計春耕秋收爲年紀 》

見大人所敬 但搏手以當脆拝 

其人壽考 或百年 或八九十年
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「魏略曰」の挿入文は、「人性嗜酒」の後に、本文ではなく参考情報として《注記》で書かれています。私流に訳すと、
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倭人の集会では、老若男女の区別は無く、皆酒を好む。

《 魏略によると、倭人は正月や四節(或いは、四季を以て1年とする正しい歳の数え方)を知らない。ただ春に耕し秋に収穫したことを数えて年紀としている。》

地位の高い人に対する礼儀は、ただ手を打って、跪拝(ひざまついて礼拝する)の代わりにする。

倭人は寿命を、八十~百歳と考えている(或いは、執筆者の推測)。
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 中華思想では、地上は天によって定められていて、天の意志により気候が決まり(天候)、天命によって中華皇帝(天子)が決まるとされています。天によって定められた皇帝に朝貢する為には、当然、皇帝の定める暦に従う必要があります。「不知正歲四節」の正確な意味は分かりませんが、少なくとも倭人は「中原」の暦を使用していなかった事は明らかです。つまり、「魏志倭人伝」が発行されたとされる3世紀迄は、日本は「華夷秩序」の「夷狄」或いは「化外の地」とされていた事になります。

 何故、「化外の地」であり「朝貢国」でもない倭(国)が「漢委奴国王」や「親魏倭王」の金印を「与えられた」のかが判りませんが、若しかすると逆に「東の強国(倭国)」の力や威厳を利用する為の小細工だったかも知れません。最近でも似たような事件があり、天安門事件(1989年)の後に経済制裁で困った江沢民が天皇の中国訪問(1992年)を要請したり、習近平が副主席の時(2008年)に「天皇特例会見」をして江沢民と同格になり、2013年には国家主席になりました。この時の関係者が「金を懐にイン」したかどうかは分かりません。

 それは兎も角、倭での歳の数え方が魏とは違った事は明らかで、魏では四節を以て1年とし歳も1歳増えますが、倭では通年の考えはなく、歳は「何回収穫した」かで数えたか、或いは「春の耕作」と「秋の収穫」の回数を合計して歳としたかです。この時代には、「期間の年」と「人の歳」が同じである必要性が有ったとする合理的な説明は出来ないし、制度としての「二倍年」も否定はできません。

 なにせ、日本共産党が否定する「天皇制」を、中国共産党が利用する合理性が有るくらいなので、固定観念で制度を捉えることは禁物です。




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