テレビとうさん

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「宗教」 と 「科学」

2022年07月10日 | 科学
 「中華思想」とは、支那大陸に於ける「皇帝のいる中華」とその周辺属国の小中華、更にその周辺の「四夷(東夷・北狄・ 西戎・南蛮:野蛮民族)」の構造体を意味し、その西洋版が「白人帝国主義」です。

 「帝(みかど)」は、天下を治める最高の支配者です。「天下」の定義は地球が平板と思われていた時には全地球を意味し、「地球」が球である事を知っている人にとっては、精々「高所から見渡せる範囲の地域」が「天の下」であると理解できます。

 「天」が地球圏以外の全領域を意味するのなら、「天」には下は在りえず、地球は全天の点領域と言えます。地球が天の下に在ると思い込んでいる宗教家はいると思いますが、現在は「天の中心に地球が在る」と考える人は居ないと思います。

 イスラム教では「メッカ」の方角に礼拝すると言われていますが、それは「地球は平板」でなければ、メッカを見渡せる範囲外の地域では、その方向は地球圏外を指していてメッカを向いていません。例えそれが非ユークリッド幾何学を駆使しても一定方向に定めることは出来ません。

 イスラム教徒が地球が丸い事を知っているかどうかは分からないのですが、イスラム教徒の「メッカの方角」に従いメッカに尻を向けてたとしても、距離の違いは有りますが頭は必ずメッカを指します。更に、非ユークリッド幾何学を駆使すれば、どの方向もメッカを指すことは出来ます。

 地球は球形である事を考慮すれば、日本から見たメッカの方向は「西北西の地下」に在るので、頭を地面につけた状態で尻を精一杯上げた状態になります。但し、礼拝の気持ちが地球の引力で曲がりメッカに到達するのなら、尻を上げる必要は有りません。

 明治初期に日本に来た白人が、石を拝んでいるお年寄りを見て「それは只の石コロですよ」と親切に教えてくれたそうです。するとお年寄りは「知っていますよ」と答えたそうです。

 何故、「石」が「石」なのか?

 「石」の成分は素粒子の集まりで、「素粒子」は空間の歪みを具現化した「場」である事が分ってきました。素粒子の一つで、動き難さを与える「ヒッグス粒子」が「モノの質量」に関係していると推定されていて「神の粒子」と言われていました。

 しかし、「科学」と「宗教」を同一視、或いは「科学」が「宗教」否定するのではないかとする懸念から、この粒子を「いわゆる、ヒッグス粒子と呼ばれているモノ」と言うようになったそうです。

「神の粒子が内在する唯の石」を拝むお年寄り。
「メッカとは違う方向」を拝む信者。
「科学を無視」して国民を誘導する科学者。
「天には下が無い」事を知らないで天下国家を語る為政者。
「宗教を利用した為政者」の命を奪う、宗教に恨みを持つ人。

 「宗教」と「科学」、それをアウフヘーベンする「神道」。




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