オメガねこ

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「政治」 と 「科学」

2022年07月20日 | 雑感
 安倍元首相の国葬が計画されているようですが、これは閣議決定されただけなのでまだ「予定」でしか無いと思います。現在の「国葬」には根拠法が無いので、予算執行は国会による議決(国会への報告も含む)が必要で、強行すると裁判が待ち受けています。

 憲法第八十七条
①予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
② すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。


 この国葬を、国会決議なしに内閣府設置法を援用し執行した場合は、民主主義に反し正当性が無いと言えます。逆に、国会決議を経てから国葬が行われるのなら、反対者に対する強制ではないので思想信条とは関係なく、徒党を組んで阻止デモをする人が民主主義に反する事になります。

 憲法第十九条 
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


 国葬に反対の人の多くは「安倍氏には功績が無い」とか、良くて「功罪あい半ば」、悪くて「様々な疑惑が晴れていない」と言います。

 「政治は結果責任」なので、安倍氏の政策が生存中に結果を見なかったと考えるのか、或いは現在まで日本がウクライナのように直接侵略を受けていないのは安倍氏の功績とするのかでも、評価は分かれます。

 若しも民主党政権の「悪夢の3年間」が「悪夢の13年間」になっていたら、現在の日本は「新疆倭人自治区」或いは「State of Japan」と呼ばれているかも知れません。つまり、功績や結果は、あまり意味は無いのですが、仮定の話と比較しなければ判断できないと言えます。

 どんな政策も、誰かが損をし誰かが得をします。当然、政策のせいで死亡する人がいるかも知れないし、そのお陰で死なないで済んだ人がいるかも知れません。その「生死の差」は、仮定の話と比較する事になるので「科学的推量」で判断する事になります。

 但し、「科学」自体にも同様なことが言えて、科学が発達したせいで死亡する人もいれば、死なないで済む場合も有ります。食品添加物や医薬品は「功罪あい半ば」とも言えます。

 自動車事故で死亡する人もいますが、自動車の救急搬送で命が救われる場合も有るので、一応「科学の功績」と言えます。しかし、自動車が有る現在と、自動車が無かった場合を仮定して比較する事は意味が有りません。

 おそらく、自動車が無かったら、現在生きている人の殆どは生まれていなかったと思われるからです。男女の出会い方が変わるので、別の人が生まれている事になり、「科学的推量」も他の人がする事になります。

 「科学」も「政治」も、具現化された時点で良い評価がなされる場合は、その殆どが欺瞞で、カネが動いています。逆に、間違っていると批判された場合でも、未来には正しさが証明され、「地動説」のように評価・感謝されるかもしれません。

 但し「地動説」も間違っていて、今のところは宇宙には中心が無く「汎天動説」が正しいと考えられています。

 つまり、「政治」も「科学」もその正しさは現在知られている常識が基準となるので、民主主義を標榜するのなら、反論を認めたうえで多数決に頼るしか無いと言えます。

 多数決の結果として多くの被害者が出ても、自己責任である事は「悪夢の3年間」で証明されていますし、その評価は、その結果として誕生した次世代に任せるしかありません。




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