一神教の世界では「天動説」が信じられていました。これは不思議な事で、神が宇宙を創造したのなら、地球が動こうが天が動こうが「神の勝手」な筈ですが、何故か人間は「地球を中心に天が廻っていると神が言った」と解釈しました。
一般人ならば、毎日繰り返し同じように天が東から登り西に沈むのだから「天動説」を主張するのも解りますが、「神の啓示を受けた人」を崇拝する人たちが「天動説」を信じ、これが「間違いである事」を知った後も「神」や「始祖」を信じている事には疑問が生じます。それでも、それが「ウソであるとしても」大多数の人が信じている事を過去から現在そして未来へと繋いでいく思想を「保守主義」というので、「一神教の信者」は「保守的」で、その時に「地動説」を主張する人を「左翼的」と分類する事は可能です。
「進化論」が定着し「ビッグバン理論」が優勢になると、ローマ教皇は「何れも神の為せる業なので否定はしない」と言い始めました。
現在では、「ビッグバン否定論」を主張する人はあまり見ませんが、例えば「宇宙には始まりも終わりも無く、中心も果ても無く、宇宙時空間全体が循環的に動いていて、あらゆるところで素粒子が結合・離散を繰り返し、その一つの(偶然の)結果として物質・反物質が生成され、更に、その結果として現在の宇宙が生成された」と云うものです。つまり、「天動説」や「地動説」も誤りで、素粒子とは波動現象が可視化されたモノである事も考慮すると「(空間波動)全動説」とでも言いましょうか?
「全動説」では、神も物質もその本質は「波動」に過ぎないと言えるので、「唯物論」を主張する共産主義よりも更に「左翼的」です。ところが、「神道」では「神は萬物に内在している」とされているので、モノの本質は波動であり、波動が粘着力(神)によって素粒子として可視化され、素粒子が凝集して物体が形成されたと説明できます。
「神道」を信仰する人は「保守的」と言われますが、その理論は「左翼的」です。世界は「ヒッグス粒子」を発見する事で、少しだけ「神道」に近づきます。「ヒッグス粒子」はその性質から「ヒッグス場」と書いた方が理解しやすく、モノ(素粒子)の動き難さ(=慣性、質量)を提供します。これらの理論体系を「ヒッグス機構」と言います。但し「ヒッグス機構」は「ビッグバン」を前提にしているので、「全動説」よりも「保守的」です。
光速(以上)で動くモノは互いに影響し合う事なく、相互に透明(無)と言えます。光同士を左右から投影し合っても互いに通り抜けてしまい、相互作用は起きません。「ヒッグス場」によって「モノの動き難さ」が与えられると、モノは光速以下で動くことが出来、衝突を起こす事が可能になります。衝突によって分離や結合が繰り返され現在の宇宙が生成されました。
光束(光子が光速で同方向に移動する光の束。)の隣同士の光子の相対速度は【0m/s】ですが、これを監視している「人間」から見ると「光束は総て光速で移動している」ので、相互作用は確認できません。その光束と同じ速度で「人間」も移動すると、その光束の正体を見る事が出来ますが、それは単なる「現世」に過ぎません。「現世」を光速で移動する「神」から観ると、それは単なる「光束」に過ぎません。
天地初めて発し時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神。次に、高御産巣日神。次に、神産巣日神。この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき。
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