「神話」は良く聞きますが「仏話」は聞いたことが有りません。それでも、「仏様のお話」は「お釈迦様(ガウタマ・シッダッタ)」が実際に話したお話とされているので「真実の話」と解釈されていて、「神話」の場合は「ウソ話」の代名詞になっているようです。
事実;神が成した事。
真実;人が、事実であると信じる事。
「風評」とは違って、字義からすると、「神話」は事実であり、「仏話」は真実となります。
「神」にも大きく分けて二種類あり、西洋の「万物の創造主」と、日本の「万物の内在神」です。「創造主」の場合は現在のところ「ウソ話説」が有力で、「内在神」はヒッグス粒子(神の粒子)が予言されていることから「真実相当性」があります。
「西洋神」は、万物の創造主であり一体しか存在しませんが、「神道の神」は万物の内在神なので、無数に内在します。日本の「仏教」には神は存在しないようですが、悟った人(死んだ人)が「神」に相当し無数に増える事から、「八百萬の神」との相性は良いようです。
「仏話」に似た言葉に「法話」がありますが、これは「仏法(仏教徒以外に対しての法話は説法と言うそうです)」の解釈説明や仏教を広める為の話であり、世に良かれと思う「現世の話」なので、トある宗教団体のように、現世での自己実現や来世での幸福を願う組織は、「仏教」の範疇には入らないような気もしますww
それはさておき、”記紀”の史実部分は真実(人が、事実であると信じる事)と言えますが、「神話(神が成した事:事実)」部分は過去の話で「来世にとっても良かれと思う話」と解釈できます。但し、「西洋神」には正しさが一つしかないので、過去の「事実」はさておいて、バトルの末に生き残った?神のみが現世・来世における「真実」の証明となります。
「神道」は宗教では無いので、「来世の幸福」を様々に願っても何の問題もありません。何せ、過去・現在・未来に至るまで、万物に神は宿っているので「正しさの証明」すら不要です。
多くの人が「ウソ話」の例えとして「神話」を持ち出すのは、GHQの洗脳工作である「西洋神(一神教)」が深く影響していて、「神道の神」を忘れたからだと思われます。
事実;神が成した事。
真実;人が、事実であると信じる事。
「風評」とは違って、字義からすると、「神話」は事実であり、「仏話」は真実となります。
「神」にも大きく分けて二種類あり、西洋の「万物の創造主」と、日本の「万物の内在神」です。「創造主」の場合は現在のところ「ウソ話説」が有力で、「内在神」はヒッグス粒子(神の粒子)が予言されていることから「真実相当性」があります。
「西洋神」は、万物の創造主であり一体しか存在しませんが、「神道の神」は万物の内在神なので、無数に内在します。日本の「仏教」には神は存在しないようですが、悟った人(死んだ人)が「神」に相当し無数に増える事から、「八百萬の神」との相性は良いようです。
「仏話」に似た言葉に「法話」がありますが、これは「仏法(仏教徒以外に対しての法話は説法と言うそうです)」の解釈説明や仏教を広める為の話であり、世に良かれと思う「現世の話」なので、トある宗教団体のように、現世での自己実現や来世での幸福を願う組織は、「仏教」の範疇には入らないような気もしますww
それはさておき、”記紀”の史実部分は真実(人が、事実であると信じる事)と言えますが、「神話(神が成した事:事実)」部分は過去の話で「来世にとっても良かれと思う話」と解釈できます。但し、「西洋神」には正しさが一つしかないので、過去の「事実」はさておいて、バトルの末に生き残った?神のみが現世・来世における「真実」の証明となります。
「神道」は宗教では無いので、「来世の幸福」を様々に願っても何の問題もありません。何せ、過去・現在・未来に至るまで、万物に神は宿っているので「正しさの証明」すら不要です。
多くの人が「ウソ話」の例えとして「神話」を持ち出すのは、GHQの洗脳工作である「西洋神(一神教)」が深く影響していて、「神道の神」を忘れたからだと思われます。
日本書紀が創作した日本神話は三世紀の建国の史実が不都合だった権力者藤原不比等によって奈良時代にできたもので、記紀神話となると江戸時代にできたものですよ。それまでの神話は記紀神話とは全く異なるもので、神仏習合、修験道や道教の影響を受けたものでしたよ!古事記は日本書紀が隠した史実を藤原氏に悟られないように暴露する目的の暗号書だと判明しました^_^
縄文・弥生人の神に対する現代人の思い込みが記紀のミスリードだと分かりました。 当時の人々は草木にも八百万の神が宿るというアニミズムだと学校で説明されていますが、歴史学者佐藤弘夫「日本人と神」(講談社現代新書2021年pp.32-34)に、「当時の人々が個々の草や木を、アニマをもつカミとして崇敬したという証拠は見いだせない。」とあり、原初の人類は太陽や月の運行など自然現象に人知を超えた力を見出しカミとして崇め、同様に大きな磐座、あるいは人類のもちえない能力のある動物を神として崇めていたとあります。ネットでもブログを出されていますのでご参照ください(^_-)-☆。 「日本の神はどこからきたのか? 自然現象から宗教が発生するワケ」
日本の仏話は権力者が隠した史実に基づかない神話を仏典を使って解釈したものですので日本では真実ではないと思いますよ!残念ですが🙀
もっとも、それらの解釈は人それぞれでいいのかもしれませんが😇
私も当時の人が「神として崇敬」したとは思っていません。「神」の定義が違っているのでは?
「内在神には真実相当性がある」と思っているだけで、当時の人は自然に対して「現代人以上の観察能力を持ち合わせていた」と考えています。
刮目天さんは、為政者に注目して考察しているようですが、私は市井の人の精神に興味があります。
日本に関していえば、「為政者(権力者)」と「心ある国民」のどちらが正しい(正義がある)かは、現在も古代も変わらないと思います。