1890年に発布された「教育勅語」は「学者」等によって複数の解釈があり、時局に合わせるように変化し、1947年の日本国憲法の施行後、昭和憲法に違反していると解釈され、1948年に廃止(排除・失効決議)されました。
「教育基本法」は1947年3月31日に施行されましたが、「昭和憲法」が施行されたのは1947年5月3日なので、約1か月間は「明治憲法」の下で施行されたことになります。つまり、「教育基本法」は「明治憲法」から見ても合憲であったと解釈されます。これは、「昭和憲法」に則った法律の制定は、「昭和憲法」の施行以前でも構わないのですが、新法の施行が有効になるのは「昭和憲法」施行後で、それ以前に施行される法律は明治憲法に従う必要があるからです。
日本国憲法(1946年11月3日公布。1947年5月3日施行)第100条
1 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を經過した日から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続き並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続きは、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。
つまり、「教育基本法」が「昭和憲法施行日以前」に施行されたと云う事は、「教育基本法」自体が「明治憲法」は有効であるとの前提で書かれていると言えます。そうでなければ、最初から無効と言えますし、事実上無効です。
一方、「教育勅語」は「明治憲法」と同様に明治天皇の御名御璽が為されている事からも、「昭和憲法」施行時まで有効である事は当然と言えます。この事から法律上、「教育勅語」と「教育基本法」はその内容に齟齬が有る筈はありません。若し齟齬があれば「教育基本法」が憲法違反と言えますし、事実上違憲です。
「教育勅語」には「朕がおもふに、我が祖先・・・・・・・朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。」と書いてあり、「勅語」は明治天皇の「思いと望み」であり、法律ではありません。この正式な「天皇の思い」を、国会決議で無効にする事自体が可笑しな話です。平成時代の「天皇のお言葉」を忖度して、憲法違反の「天皇退位特例法」を制定するくらいですから、問題なしと言えばそれ迄ですが。
明治維新後、世間の道徳的規範が乱れ、生きる基準がまちまちで、このままでは「他のアジア地域と同様に、西洋諸国の植民地になりかねない。」と危惧した明治天皇が、道徳の基本方針を立てるように臣下に命じ、その結果出来上がったのが「教育勅語」です。「古事記」や「日本書紀」等と同様に、書かれている内容の「真偽」は兎も角、(結論として)「道徳的」な事柄が書かれています。若し、内容の真偽を問うならば、聖書や仏典の真偽も問う必要が出て来ます。
更に言うならば、「昭和憲法」に書かれている「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」が「ウソ」である事は明白で、日本政府は「チベット・ウィグルなどを圧迫している中国」と、「不名誉」な経済交流を深めようとしています。また、「天安門事件」の正当性を主張する中国政府と、この「正当性」が虚偽である事を知りながら、世界で最初に外交関係を回復したのも日本です。
「昭和憲法」では、「すべて国民は、個人として尊重される。」とされていますが、これは非科学的で「ウソの類」とも言えます。国民は国民である前に人類であり、人類が存続する為には「個」よりも「集団」が尊重されなければなりません。少なくとも「家族の一員である個人」として尊重されなければ、「人間性」を喪失する可能性があります。実際に、個人主義が過ぎたと思われる事件が散見されます。
「(旧)教育基本法」でも「・・・世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。・・・」と書いてあり、いかにも昭和憲法並みにウソ臭く「人は学校教育が無ければ何をするか分からない。」ような、上から目線の言い草です。
「教育勅語」には「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦ましく」と、「ヒト」を「人間」として書いています。
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