オメガねこ

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「夫婦同姓」 と 「夫婦別性」

2021年03月11日 | 雑感
 「夫婦別姓」に賛成する人が半数近くいて、その理由の多くは「個人の自由」を主張しています。一方、これに反対する人は「日本の伝統」を持ち出しますが、実は「姓(苗字)」が一般化したのは明治以降の日本が西洋化し始めた時からで、江戸期以前は多くの一般人には「別姓・同姓」の概念すら無かったかも知れません。

 そもそも、「個人の自由」は思想の話であり、「日本の伝統」は習慣の話なので、対立概念ではない語彙で反論しても結論を得ることは出来ませんし、「日本の伝統」を補強する「理論」は有る筈もなく、二千年以上の日本の歴史の内の、「西洋かぶれ」した明治以降の150年の伝統を持ち出しても不利になるのは明らかです。

 同時に、「戸籍制度」が確立したのも明治以降なので、それを無視して「明治以前は ”夫婦同姓” では無かった」と屁理屈を言うのも愚かしい話です。「夫婦同姓」と「戸籍制度」は、安定的な日本の家族制度を保障するには切り離す事の出来ない制度と言え、「夫婦別姓」は将来的には「戸籍制度」の破壊を意味します。

 つまり、「夫婦同姓」の問題点を議論しても意味は無く、主題である「戸籍制度」の問題点を国会で議論すべきです。恐らく、「戸籍制度」の問題点が有るとすれば、「先祖の犯罪履歴」や「在日外国人」「帰化日本人」の来歴が保存される事くらいだと思われます。

 私もそうですが、残念なことに一般人が自分の先祖を辿っても精々明治迄で、「戸籍制度」のない江戸以前は調べようが有りません。

 それは兎も角、「個人の自由」を補強する制度としては「選択的夫婦別姓」が有り、これに反論する事はほゞ不可能です。そして、これを敷衍すると「選択的夫婦別性(←姓ではない)」に繋がります。つまり、夫婦は「個人と個人の契約」であり国の規制は憲法違反、或いは「婚姻制度自体が思想信条の自由を侵している」とされ、更に拡張すると「多夫多妻」「実子・養子の自由契約」に行きつきます。

 「婚姻制度」は大人の話で、大人が自ら決定するのを民主主義と云う事になりますが、ここには「生まれてくる子供の話」はありません。勿論、子供にしても「誰が親であるかは問題ではない。子供には子供の人権が有る。」と主張する事も可能になります。

 無産階級による「文化大革命」では数千万人の人民が犠牲になりましたが、当然「子供や学生」は無産階級に属し、「有産階級」である彼ら自身の親・親族を粛正しました。これを「共産主義」では「個人の自由」「積弊なる文化の破壊(キャンセリング・カルチャー)」と言い、その結果として「個人の総体(人民)」が国家の細胞になり、これを頭脳である「共産党」が制御します。当然「生き残った人民」は無産階級なので生産性は無く、周辺諸国からの収奪でしか永続することが出来ない政治体制と言えます。

 これもさて置き、「大人の事情」で親が子供を売ったり買ったりする事は可能ですが、「共産主義等で洗脳」されない限り、子供が親を売ったり買ったりする事はほゞ不可能です。この現実を無視したのが一方的な自由が保障された「選択的多夫多妻・自由養子制度」です。今、世界では子供やその臓器が売買されているそうです。

 世界と日本の制度を比較して、世界でも珍しい「戸籍制度」が良いと思うのなら「夫婦同姓」と「夫婦別性(←姓ではない)」との組み合わせが最良です。日本が嫌いならば「戸籍制度」を廃止すれば、簡単に日本を破壊することが出来ます。

 「選択的多夫多妻・自由養子制度」の長い制度名の中の「子」に、自分自身を置いた場合を考えれば、結論は明らかなような気もします。




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