最近の「教育論」では、マイノリティーが「1+1=3」と答えた場合、教師は「非常に独創的で、革命的で、批判的だ。」として、満点をつけるのが正しいようです。それは、数学は白人が世界を支配するために考え出された学問なので、「1+1=2」と答える事は白人の支配を認める事を意味するから、らしいです。
これには重層的な嘘(間違いか無知かも?)が含まれています。そもそも、数千年前はインドやアフリカの方が「欧州(白人世界)」よりも発展していて、「白人のアメリカ」は存在すらしていません。「数字」を最初に発明したのが誰かは知りませんが、通説では「0(ゼロ)の概念」を含み「数字はインドで発明された」と言われています。但し、インド人の多くはアーリア人を始祖としているので「総てのアーリア人は白人」とするのなら、インド人も白人と言えるかもしれません。
史実から考えると、白人はインド人が発明した数字のルールに従っているに過ぎず、「1+1=2」に不満があるのなら、インド人を恨むべきです。更に「1+1=3」は独創的でも革命的でもありません。ましてや「批判的な解」でもありません。このような「文字列」を幼児は良く書きますし、何かを変えようとしている訳でもありません。単に、書いているだけなので「芸術的」かも知れませんが何も批判していません。
若しも、「1+1=2」を習って知っている学生がテストで、論理性も無く意識的に「1+1=3」と書いたら、それは教師をバカにしているだけで、社会を変えようとしている訳では有りません。但し「意味論としての1+1=3」には社会的論理性を見出す事は出来ます。
「男一人」+「女一人」⇒「家族三人」
で、結合による増殖性を表す「自然の法則」です。これは「伝統的な家族社会」を容認しているので、「非常に一般的で、保守的で、迎合的だ。」として、満点を付けられるかも知れません。
マルクス主義等の「あっち系」の思想は、脳内循環しているだけなら「笑い話」で済みますが、レーニン以降の実践派には注意が必要です。共産主義では伝統的な手法である「Cultural cleansing:文化浄化」を「自国の革命」に利用し、他国に対しては名を変えて「Cancel culture:伝統排除」を拡散しています。
左による共産主義革命や、右からの民主主義革命など、「革命」は現状破壊でしか達成し得ない事は歴史が証明していて、有り余る「お金」の持ち主は遊び感覚で「世界を混乱」させています。
但し、DSは「頭が少し不自由」なので、論破は可能です。

これには重層的な嘘(間違いか無知かも?)が含まれています。そもそも、数千年前はインドやアフリカの方が「欧州(白人世界)」よりも発展していて、「白人のアメリカ」は存在すらしていません。「数字」を最初に発明したのが誰かは知りませんが、通説では「0(ゼロ)の概念」を含み「数字はインドで発明された」と言われています。但し、インド人の多くはアーリア人を始祖としているので「総てのアーリア人は白人」とするのなら、インド人も白人と言えるかもしれません。
史実から考えると、白人はインド人が発明した数字のルールに従っているに過ぎず、「1+1=2」に不満があるのなら、インド人を恨むべきです。更に「1+1=3」は独創的でも革命的でもありません。ましてや「批判的な解」でもありません。このような「文字列」を幼児は良く書きますし、何かを変えようとしている訳でもありません。単に、書いているだけなので「芸術的」かも知れませんが何も批判していません。
若しも、「1+1=2」を習って知っている学生がテストで、論理性も無く意識的に「1+1=3」と書いたら、それは教師をバカにしているだけで、社会を変えようとしている訳では有りません。但し「意味論としての1+1=3」には社会的論理性を見出す事は出来ます。
「男一人」+「女一人」⇒「家族三人」
で、結合による増殖性を表す「自然の法則」です。これは「伝統的な家族社会」を容認しているので、「非常に一般的で、保守的で、迎合的だ。」として、満点を付けられるかも知れません。
マルクス主義等の「あっち系」の思想は、脳内循環しているだけなら「笑い話」で済みますが、レーニン以降の実践派には注意が必要です。共産主義では伝統的な手法である「Cultural cleansing:文化浄化」を「自国の革命」に利用し、他国に対しては名を変えて「Cancel culture:伝統排除」を拡散しています。
左による共産主義革命や、右からの民主主義革命など、「革命」は現状破壊でしか達成し得ない事は歴史が証明していて、有り余る「お金」の持ち主は遊び感覚で「世界を混乱」させています。
但し、DSは「頭が少し不自由」なので、論破は可能です。

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