冬桃ブログ

遊行期ではあるのだが……。

  インド哲学では人の一生を四つの期に分けるそうだ。
  
 〇学生期(がくしょうき)8~25歳
  目上の人にならって学び、心身を鍛える。
 〇定住期(ていじゅうき) 25~50歳。
  家住期ともいう。家族を得て、社会的な責任を持つ。
 〇林住期(りんじゅうき) 50~75歳。
  家族や社会と決別して、自分の内面と向き合い
  成熟を目指す。
 〇遊行期(ゆぎょうき) 75歳~最後
  人生の終焉に向けて、この世への執着をなくし、
  死に場所や悟りを求めて巡礼などの旅に出る。
 仙人になる人もいる。

 私はまさに、最後の遊行期。終活という言葉は
知っているが、家族がいるわけでなし、清算
しなければならない財産や仕事があるわけでなし、
なにもせずにこのまま消えようと、「巡礼の旅」に
出ようと、誰も困らない。
 
 けど、このたびの入院中には、ことあるごとに
「ご家族は?」と訊かれた。なんやかやの
書類や決定に必要なのだ。
 S村に来て、村役場や介護認定の場などでも
「ご家族は?」の問いは何度もあった。
 「いません」と答えるのは慣れているのだが
人に世話を受ける不自由な身になると、
その「いません」がみょうに切なくなる。
 
 遊行期なんだもの、かりに家族がいたとしても
そこは切り離すのが当然なんだよ、ひとりぼっち
があたりまえの時なんだよ、と自分に言い聞かせる。
 なのに、足を傷めて、なんの役にもたたない存在で
S村に置いていただいている。
 申し訳ないことではあるが、誰かのために、
もしくは社会のために、なにもできなくても
許される「期」なんだからと、また言い訳する。
 根が小心者だから、悟りも開き直りもできない。

 ささやかな幸せは、日々、一期一会の出会いがあること。

ブットレアの花とクマンバチ(?)


今年、初めてセミを見た。
でも、殻だけ残して飛んで行ってしまった。


プチヒゲカメムシ


クロスキバホウジャク


マルハナバチ


黄色いカマキリ


 夜、車に乗せてもらって近くの店へ行ったら
祭囃子が聴こえた。
 そのあたりの神社のお祭りのようだ。
 山車や神輿、お獅子も「わっせ! わっせ!」
の掛け声とともに通った。


 暗くなったら花火も!


 意地悪を言うようだけどねえ、
親子で一緒にいられるのもいまだけだよ。
 野良と生まれたからには覚悟して生きないと。








 
 
 
 
 
 

コメント一覧

yokohamaneko
みえこさん

 どの「期」も満足にできないまま
過ごしてきましたよ。
 でも人の欲望には限りがありません。
 「足るを知る」ことも大事なのでしょうね。
Unknown
山崎洋子様
 強く前向きでどんな時も希望をみいだす洋子さんですので、周りに支えてくださる方が何時もおいでなのでしょう。
 身近な昆虫や草花などの自然、そして大宇宙のなかで生かされておいでですね。豊かな遊行期があれば、人生は完成に向かうのでしょう。
 私などは、林住期もできていません。お元気でいらしてください。みえこ
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