【驚愕】明治時代の日本の風景写真が美しすぎる…驚くべき写真と話題に【衝撃】
【驚愕】1950年代の貴重な日本の写真 発見された1950年代の日本の写真が凄すぎる…衝撃!
兄は現在,鶴見に住んでいる。
私が結婚する時、一緒にすんでいたアパートに今もすんでいる。
私と兄は兄が7歳、私が6才の時、父親が列車事故で亡くなり、その後、母親は私達兄弟を祖父母に預けて、家政婦として1人で働いた。
彼女が33歳の時で、63歳の時、私の教会の近くのアパートに移ってきた。
そして、86歳で亡くなる。
兄は、中学を卒業して、静岡の叔父の世話になりながら、職業訓練所で電気工事の資格取って、関東電気工事の会社に就職する。
その後、諏訪にいって、寒い土地で5年程、仕事をしたが、東京にもどって、仕事をさがす。
ある時、私が山手の病院に勤めていた時、きたない恰好で、私に、お金をくれないかと訪ねてきた。
びっくりした。
それから、住み込みで鶴見のサッシの会社で働く。
私が自殺未遂をした時は、富士宮まで迎えに来てくれた。
そして一緒にアパートで暮らす。
貯金をはたいてくれた。
3年くらいいっしょいに住んで、私は教会の牧師のお世話で結婚する。
おおきな家をもった、お金持ちの家に嫁いだ。私にとっては玉の輿でした。
兄は私が結婚した後勤めた会社で、定年まで勤めた。
日本中の大手の会社の機械の修理をする会社で、よく、秋田、新潟、九州、北海道などに主張していた。
仕事だけで、景色などの観光みたいにゆっくりできず、夜中の12時まではたらいたといっていた。
今は、年金も少ないが、もらって、貯金も少しはあるようで、のんびりすごしている。
母の事は、いっさいノーコメントだったほど、関心がなかったが、イエス様の話をしたり、月刊誌を送ったりしている中、また私が毎日祈っているので、イエスさまが祈りにこたえていてくれているようで、母に対する無関心もすこしずつとれて、母の人生に対する理解もするようになったようだ。
今日は、久しぶりにいっしょに、活魚のみせで、お寿司や鉄火丼やはまぐりを食べた。
毎月1日、なるべく会って、会食している。
その後、鶴見川のそばの公園にいって、川を見たり、サクラを見たりした。
母親の話をしていたら、いつもはあまり話題にあげても関心がないようだったが、今日は母親の人生について、本人が30年も一人で生きてきたことに、あの時代は女の人が一人でいきていくのは大変だった。自分で働いたお金で、趣味の美術館巡りや相続したお金で服をつくったり、海外旅行をしたり、好きなことをして生きられて、よかったねというはなしになった。
ちょうど、ベンチに座って話していたら、前を丁度、私達が母から離れたくらいの、兄弟が母親に手を引かれて、前を歩いていた。
「私達が父親が死んで、母親から離れ離れになったのはあのくらいだったね。」とはなした。
兄の心が少し、母親を許す、気持ちになってうれしく思った。
いつも喜んでいなさい。絶えず、祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。(聖書)