神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

弧族

2010-12-29 10:50:00 | 日記

家では、読売新聞をとっている。先週から、「弧族」という題で、失業して、社会生活のネットワークも失われ、生活保護をうけたり、借金地獄におちいって、自殺したり、そのよな、話をドキュメンタリーのような感じで、記事がかかれている。

私の主人も23歳で横浜市大の商業部をでて、中小企業に就職し、社員として、30年働いた。その時のスキルは、お酢の醸造をしている会社で、お稲荷さんをつくる工場があったり、お酢をつくる工場があったり、神奈川県下では、いくつもの支店があった。

トラックにお酢を積んで、神奈川県下のお寿司屋さんにお酢を配達していた。

私の主人も倉庫管理と、お酢をお寿司屋さんに配達する仕事や、会計の事務とか一人何役もしていた。

夏になると、県下のお寿司屋さんを招いて熱海で、試食会をして、温泉や、食事の接待を旅館でしていた。

私達が結婚式を挙げたときは、身内同士でしていた会社で、常務さんや、社長の奥様や、同僚がきてくれた。

私は、その会社にいっぱい感謝することがあったと思う。

私の主人は、少し、アスペルガー的なところがあるようだ。

結婚した時はわからなかったが、最近、そんな気がする。

子供も、その気がある。

しかし、主人は、家族のささえとか、親類のささえとか、いろいろあって、それをカバーしてもらったようだ。

主人のお姉さんがいるが、その人は、私にとって、とても、怖い存在だった。

そんな、主人も30年の会社生活で、どうにかこうにか、いろんな人と接触する技術を自分なりにつくってきた。

私は、今は、ほとんど、家計簿をつけていない。しかし、主人が代わりに家計簿をつけているが、見ていると、半端ではない。これって、会社で日常におこなっていた行為のようで、それが、習慣化しているのだ。

男の人が、仕事を失うというのは、ただ、お金を得ることができなくなるだけではないような気がする。

その人が、今まで、自分で積み上げてきた仕事ノスキルをつかわなかったら、消えてしまう。

また、仕事を通して、もっていた、人間関係もなくなるのです。

どんな、会社で、地位があっても、その会社がなくなれば、そこに就いていた地位もなくなり、営業などで知り合った知人との、関係もなくなってしまうのです。

人間が、生きがいを持って、生活していくには、やはり、仕事を通して、社会貢献ができ、そのうえで、賃金をいただくのが普通なのではないかと思う。

現在60歳以上の人の仕事はあまりないようです。

どんな、仕事でもやるという意気込みがない限り、仕事が見つからないかもしれません。

60歳で定年になっても、65歳にならなければ、厚生年金は、全部もらえないので、やはり、65歳まで働くようになります。

定年で、昔は、赤いちゃんちゃんこをきて、お祝いしたものですが、今はまだまだ働ける若さがあるので、働けるうちは社会との関係を維持する意味で、働き続けるのがいいです。もし、それが、無理だったら、ボランテイアをするなどして、社会とのネットワークを作る必要があります。


再就職で、派遣の仕事をする。

2010-12-28 20:02:40 | 日記
4人部屋で、ナースステーションの前に、フロアーがあって、昼間はみんなそこに集まって、テレビヲミテイルヨウダ。レクリエーションをする暇がないほど、忙しいのです。
食事は、2階まで、車いすで、移動するので、30分前からエレベーターで、順に降ろします。
認知症のあるひともいますが、ほとんど、逗子に住ん
仕事を探したけれど、自分がやりたい仕事はなかなかもらえない。
2週間まえに、以前勤めていた、総合福祉ツクイ株の派遣の仕事があったので、やることにした。
逗子の老人保健施設グリーンハウス逗子です。
全部で、4階だてだ。デーケアーの利用者様と、老人保健施設の利用者様、あわせて、100人くらいいるようだ。
私は、今日、派遣として働いたのは、3階でした。
ほとんど、おむつ交換と見守りト、トイレ介助でした。
でいて、骨折されたとか、脳こうそくデ、リハビリが必要なひとが入所されています。
今日は、4カ月、脳こうそくご、ここに入所して、歩行を歩行器でできるまでになって、明日退所される人とお話できた。そして、今日、入所された人にもお話することができた。
私を、指導してくれた人は、介護長の人でしたが、昨日夜勤だったのに、日勤もしていた。
働きすぎではと思った。
床がなく、したデ、デーケアーの人がレクリエーションしているのが、見えて、建物の周りを、グルーっと部屋ができている。
開放的で、とても、すてきな老人保健施設だ。
利用者さんには、グループホームと違って、声かけヤ、スタッフとのコミュニュケーションが少ないと思った。マタ、レクリエーションで、習字とかされているようで、壁には習字の書いたのが貼られていた。
壁には、余り、写真とか、写真とか飾りが、少ないようだ。
神様、よい、仕事を与えてくださって、ありがとうございます。

メリークリスマス

2010-12-24 10:12:00 | 日記
メリークリスマス
 
神はその一人子を賜ったほどに、この世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためです。(ヨハネ3章16節)
 
 
ことしも、いよいよ押し迫ってきました。いろいろな面で、多くの方々が、困難を抱えてこの年を終わろうとしています。
ある人は、大学を出たけれど、就職できない、会社からリストラされた、家族がうつ病である、両親が介護が必要になり、今までの生活を変えなくてはならない、金銭的にとても、苦しくなったなど、人間が生活していく上で、必要な,衣、食、住、病気、介護、失業、貧困など、いままで、のほほんと生活できた、日本の状況が長く続く不況の中、希望もなく、先が見えない時代になって不安に覚える人々が多くなりました。
しかし、私たちは、生きていること自体が奇跡であることを、あまり、考えません。
人間と生まれたとき、その人の人生がすべて、神様の御計画の中にあって、母の体内で、まだ、骨も作られていない、形もないとき、そのひとのすべてが天と地を作られた神様のノートの中に、その人のすべてがかかれてあったと聖書の中にかかれてあります。
私たちが生まれたのは、偶然ではなく、その人しかできない何かを持って生まれてきたのです。
クリスマスは、天と地を作られた神様が、苦難の中にいる一人ひとりに
「あなたは、愛されるために生まれた、あなたの人生は愛でみちている」ということを教えたいために、「あなたは、私の目には高価で尊い」といわれる、神様に出会って、本当の自分をしる方法をしってほしいのです。
どうして、本当の自分、高価で尊いと私たちに語っている、神様を知ることができるでしょうか。
それは、私たち人間が、生まれてから持っている、罪、をあるお方が身代わりに死ぬことによって、罪を取り除いてくださっているのです。
それは、2000年前、イスラエルのベツレヘムという場所の馬小屋でうまれた、イエスさまが、十字架にかかって、私たちの罪の身代わりとなって死んでくださいました。イエスさまが、自分の罪の身代わりに死んでくださったと信じたひとは、その人の罪は、たとえ赤い炎のようであっても、雪のように白くなると聖書には書いてあります。すべての、罪、が許されるのです。そして、その人は死んだあと永遠の命が与えられるとあります。
今、苦難の中にいる人は、きっと、イエスさまが一番近くにいて、あなたの心のドアを叩いています。わたしのところにもどってきなさい。
そうすれば、その重荷をとってあげますと・
 
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところにきなさい。わたしが、あなたがたをやすませてあげよう。
私は、心優しく、へりくだっているから、あなた方も、私のくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、魂に、安らぎが来ます。
私のくびきは負いやすく、私の荷は、軽いからです。
(マタイ11章26節から27節)
 

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2010-12-24 09:21:33 | 日記

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メリークリスマス

 

神はその一人子を賜ったほどに、この世を愛された。それは、御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためです。(ヨハネ3章16節)

 

来年も神様の祝福が豊かに皆様の上にありますように。来年もよろしくお願いします。