家では、読売新聞をとっている。先週から、「弧族」という題で、失業して、社会生活のネットワークも失われ、生活保護をうけたり、借金地獄におちいって、自殺したり、そのよな、話をドキュメンタリーのような感じで、記事がかかれている。
私の主人も23歳で横浜市大の商業部をでて、中小企業に就職し、社員として、30年働いた。その時のスキルは、お酢の醸造をしている会社で、お稲荷さんをつくる工場があったり、お酢をつくる工場があったり、神奈川県下では、いくつもの支店があった。
トラックにお酢を積んで、神奈川県下のお寿司屋さんにお酢を配達していた。
私の主人も倉庫管理と、お酢をお寿司屋さんに配達する仕事や、会計の事務とか一人何役もしていた。
夏になると、県下のお寿司屋さんを招いて熱海で、試食会をして、温泉や、食事の接待を旅館でしていた。
私達が結婚式を挙げたときは、身内同士でしていた会社で、常務さんや、社長の奥様や、同僚がきてくれた。
私は、その会社にいっぱい感謝することがあったと思う。
私の主人は、少し、アスペルガー的なところがあるようだ。
結婚した時はわからなかったが、最近、そんな気がする。
子供も、その気がある。
しかし、主人は、家族のささえとか、親類のささえとか、いろいろあって、それをカバーしてもらったようだ。
主人のお姉さんがいるが、その人は、私にとって、とても、怖い存在だった。
そんな、主人も30年の会社生活で、どうにかこうにか、いろんな人と接触する技術を自分なりにつくってきた。
私は、今は、ほとんど、家計簿をつけていない。しかし、主人が代わりに家計簿をつけているが、見ていると、半端ではない。これって、会社で日常におこなっていた行為のようで、それが、習慣化しているのだ。
男の人が、仕事を失うというのは、ただ、お金を得ることができなくなるだけではないような気がする。
その人が、今まで、自分で積み上げてきた仕事ノスキルをつかわなかったら、消えてしまう。
また、仕事を通して、もっていた、人間関係もなくなるのです。
どんな、会社で、地位があっても、その会社がなくなれば、そこに就いていた地位もなくなり、営業などで知り合った知人との、関係もなくなってしまうのです。
人間が、生きがいを持って、生活していくには、やはり、仕事を通して、社会貢献ができ、そのうえで、賃金をいただくのが普通なのではないかと思う。
現在60歳以上の人の仕事はあまりないようです。
どんな、仕事でもやるという意気込みがない限り、仕事が見つからないかもしれません。
60歳で定年になっても、65歳にならなければ、厚生年金は、全部もらえないので、やはり、65歳まで働くようになります。
定年で、昔は、赤いちゃんちゃんこをきて、お祝いしたものですが、今はまだまだ働ける若さがあるので、働けるうちは社会との関係を維持する意味で、働き続けるのがいいです。もし、それが、無理だったら、ボランテイアをするなどして、社会とのネットワークを作る必要があります。