筑豊の縄文・弥生

筑豊の考古学は「立岩遺蹟」「嘉穂地方誌」先史編の2冊に凝縮されている。が、80年代以降の大規模調査成果は如何に。

九州の縄文・撚糸文

2007-11-04 09:42:27 | Weblog
 九州の縄文・撚糸文

 田川の添田で、撚糸文土器を見たがおよそ東日本のものとはかけ離れていた。しかし、突然に降って湧いたように撚糸による施文方法が出てきたはずもない。福岡市松木田遺跡では大量の撚糸文土器が検出されているようであり、柏原遺跡では刺突文土器とともに縄文早期の古層として把握されて来た。
 その中で、気になる点がいくつかあるが、まず、口唇部に絡状体圧痕を施すものが結構指摘されている。つまり、撚糸文の原体を口唇に押し当てていることになる。結果として、口唇には刻み目状の凹凸が生じることとなるが、この場合、口唇とそれ以下に施す施文とに意図的なものがあるのかどうかである。また、押し当てているのか、回転させているのかを見極める必要があろう。関東の井草式は口唇部が肥圧しそこに縄文を回転させている。大丸式は撚糸文でやはり口唇部に回転させて施文している。つまり、松木田の場合施文面が少なく原隊を押し当てたのか、回転させたかの判断は難しいと考える。また、原体を回転させると撚が中々見えないが、狭い面積の口唇に確実に施文するとしたら、片方の手で土器内面から固定させ指先で原隊を少し回転させると確実に、綺麗に施すことが出来る。その場合、撚糸の撚り明確に分かるように、以下にも押し当てたように見える。
 私が述べたいのは、絡状体圧痕と記載すれば、多縄文系のものと混同する恐れがあり、確実に押圧しているのか、それとも少し回転させているのかそのあたりよく検討していただければと思う。口唇の狭い場所に確実に施文しようとするなら、絡状体を押し当てて口縁部に乱れを生じさせるよりは、回転押捺によるほうが確実で綺麗な痕跡を作ることが可能である。
 柏原や松木田で思うのは、撚糸の間が実に密接している点と撚がよく見えないほど直線化している点である。おそらく、軸に密に巻く際に撚が戻るため節がかなり間延びしているのではなかろうか、しかも、コイル状というよりは、直線状に巻かれているため、斜方向へと条が走るなら斜位に回転させているのであろう。
 田川の添田で見た撚糸文はいかにも太い条で思わず撚縄文かと思ったくらいである。押型文土器と一緒のようで、器壁を両者が飾るものもある。福岡の縄文早期前半期の型式整理は、もう少し時間を要するだろう。

 古文化談叢52集2005に投稿した資料紹介の中で、撚糸文土器を1例挙げているがこれは条の中に縦に間延びする節が明確に観察できたため、1段のLを短軸絡状体として施文したものと考えている。撚が見えない場合lやrつまり0段のものをそのまま絡状体にとして施文する場合も想定されよう。
 17回九州縄文研究会 「福岡大会の九州における縄文時代早期前葉の土器相」という資料集を見ているが、福岡市柏原E遺跡(P91)の11と13は撚糸の末端がループ状につながっているように見えるが、どうであろう。しばしば、縄文の折り返しの部分が器面に接触するとユーターンするような連続性が見られる場合がある。最も、11は口縁部であるから、施文の連続でそのような文様になったのかもしれない。また、縄文もあるようで撚糸文より比較的薄い器壁のようで、口縁部内面に施されるものもあるようだ。表裏縄文との関係はどうであろう。
 続いて松木田(p72)の8は、1回の施文スパーンが短く不連続的で、他のものとは異なるような感じである。撚糸文は縄文に比べ軸があって回転させやすく、比較的長いスパーンの施文を可能としている。しかし、縄文は指先からせいぜい第2関節くらいのスパーンで、それをまんべんなくくり返すことで全体に施している。それと、条の乱れがもう一つ気に成っている。各条は一見撚糸文に見えるが、幅といい条間に見られる細い条など反撚の縄文を想起させるがどうであろうか。
 さて、北部九州の撚糸文の系譜は何処にあるのだろうか。近年、九州でも縄文晩期の大洞式がちらほら出土しているようで、かつて、近畿までといわれた東北系の土器は、今や九州に至っている。近い将来、関東の撚糸文土器群との関連が明確になってこよう。ひにくにも大規模開発のお陰であろう。
 
 縄文中期の船元式という型式の土器が筑豊でもちらほら出土する。話では撚の緩い縄文を回転押捺するという。しかし、中には、節がよく見えるものがあり1段撚のものというのは解るが、節の特徴に注意するものがあるようだ、それは節が細長く詰まった感じのもので、両端が尖っているように見えるものである。この場合、0段のものを2本以上の複数を撚るという、つまり、多縄文ということにならないだろうか、得てして条の幅が大きく感じるが、撚り合わせる0段のものの太さより、多条にするために自ずと縄が太くなるように思える。いかがであろうか。
 
 縄文を撚るには、ティッシュを裂いて使うのだが、早い話コヨリを作ればlかrが出来上がる。その時、コヨリを目先から正面、つのまり、横にして朝顔のつるが巻き登っていくように左から右に斜めに上がりながら回転していくのを時計回りのrその反対に右下から左斜め上に巻き上がっていくのがlである。rを二つに折って折り曲げた箇所をL方向に撚る。その時、撚りがほどけながら絡み合う。得てして巻が弱い撚りが完成するので、右手指先で2本のrを強く締めながらL方向に撚って行くと安定した1段Lの縄が誕生する。これはちょっとしたテクニックが必要であるが、中々に面白い。
 1段のLが出来たら観察する。反時計回りに植物のつるが巻くように上に登るのが分かる。そこで気をつける事は、縄の状態ではなく土器の表面に押し付けてあったり、転がしてあったりするところで、つまり、押圧すると縄の裏面が常に押し付けられることから、縄の見た目の節が左上がりででも圧痕は右上がりとなる。逆にRは見た目右上がりだが、圧痕は節が左上がりとなる。それを見るには、LとRの縄を鏡にうつせば、圧痕の招待がつかめよう。
 さて、このLとRを回転押捺させるとややこしくなってくる。押圧縄文の節は回転押捺によって条となる。1段の場合、節が転がってつくる条には節がない。無節縄文というものになる。しかし、条の中を観察すると繊維の縦線が見える。この繊維は、LとRに撚り合わされる前のrとlが出現しているのである。条の平行線に対して、繊維の方向がやや左上がりでであればL、右上がりであればRとなる。また、状の方向でも見ることが可能である。ただし、横に転がした場合と縦に転がした場合は、条の方向が変ってくるのでご用心。
 縦か横かは、条の中の節や繊維の状態で分かる。横の場合条に対して繊維の方向や節の出かたがたっている。縦に転がすと条に対して繊維の方向や節が寝ている。私の場合、回転方向を節などの状態で把握して、縦回転に方向を変えてみる。そうすると、Lは左上から右下に条が流れ、節や繊維はその方向にやや左上がりとなっている。Rは右上から左下に条が流れ、節や繊維は条に対してやや右上がりとなっている。これは、縄文を見るときの大前提となるので覚えていて欲しい。これが2段、3段となっても基本である。
 Lは二つ折りにして撚ると2段のRLとなる。その場合、圧痕は縄を見た目は、節が右上がりで、節の中に左上がりの小さな節が2つ団子みたいに入れ子となっている。横回転させると条は右上から左下に流れ、その中に節が出来る。節は1段のLが現れているのである。節の方向は条に対してやや右上がり、その節の中にはさらに繊維の方向が分かり、それはrが現れているのである。LRの場合は条が左上から右下に流れ、節は条に対してやや左上がりとなる。
 再度、気をつける事は縄文は回転方向によって条の流れが左右に変化するので、条と節の関係を確実に捉えることが基本となる。ちなみに、条が横に流れる場合は、斜度45度くらいで回転させている。

 多縄文
 通常、lやrを折り曲げて2本で撚るものが多いが、時として、lやrを3~4本撚り合せて一段の縄にする場合がある。また、一段のLやRを3~4本撚り合わせるものがある。この場合の特徴としては、節が詰まっていて細長く整然としている。LRでRがlを3本を寄り合わせたものとすれば、圧痕は右から左に細長い節が見られ、その節の中にRがあるが、通常2本の撚り合わせでは節の中2~3の入れ子化した小さな節が見られるが、多縄文の場合6個程度が見られる。さらに回転押捺させると左上から右下に流れる条の中に左上がりの細長く詰まった美しい節が見られるのが特徴である。この場合、何本のlを撚っているかは、条の中の節に何本かおきに同じ形の節が現れるので、特徴在る節から次に出現する同様の節の手前までを数えればその数が分かる。同じLRでもRが何本か撚られる場合は、条に特徴あるものがあるので、先の節と同様に数えれば何本のRを撚り合わせたかが分かる。
 それで気になるのは、筑豊でも出土する船元式の縄文に多条と思われるものがある。戸田哲也氏は、「縄文文化の研究」縄文土器Ⅲの「縄文」の中で、反撚りによる多縄文を原体としているものとして、船元Ⅳ式を示されている。確かに、節が細長く詰まったもので、節の両端が鋭利なものがある。これは要注意である。また、緩く撚った縄文を回転させたとするものがあるが、節がよく観察できないものである。しかし、粘土の乾燥状況により湿りすぎると節が流れてしまったり、逆に乾燥しすぎると節の表面だけが押捺され条と条の間隔が広く見えるものもあるので注意が必要である。
 
 反撚り
 反撚りという言葉が出てきたので、その説明に入る。これは、通常、LRLR、あるいはその反対にRLRLとくり返していくのが、縄文の正の撚りである。ところが、中にRRとかLLといったように同じ方向に2回撚ることがある。その場合、当然整然としてた縄にはならず、節が崩れたものとなる。しかし、以外に綺麗な文様を出現させ、原体は見事にしまって硬いものとなる。多い例としてはRRとかLLといった2段目の撚りの際に再び同じ方向に撚るものが多いようで、東北南部の大木式の中に円筒上層系の土器があって、上半部に施されたものを実測したことがある。反撚りを完全にすると、撚りが戻って前段の撚りがコイル状に巻き上がる形になる。しかし、実際はどこかに撚りが残っていて、長い節といったらいいのか、どこかに、撚りが現れてくる。RRとかLLは直前段反撚りと山内先生は記している。3段になるとRRLとかLLR、RLL、LRRということになるが、現れ方はそれぞれである。直前段反撚りの場合、節は1段目が状の中に出現するが細長く非常に斜めになっている。また、撚りのもどりが大きいほどその節は間延びして、条自体がねじれたように見える。その圧痕は多条文のように節の中に4つくらいの節が見られる。縦の回転押捺はLLの場合、条は左上から右下に流れるが、節は非常に立っていて、横回転に見える。RRはその反対に右上から左下に流れるがやはり、節は立っている。両者ともに条が明確ではなく、条の脇から別の条が現れる監事である。RRLとかLLR場合は、条が乱れて分からず、RLやLRがそれぞれ短い錠のうに見える。何か、芋虫の大群が這っているようにもみえ、面白い。
それに対してRLL、LRRは、条が明確で節は詰まった上体で美しく現れ、まるで、多縄文と見間違うようである。しかし、よく見ると多縄文より節が粗くそろっていない。また、RLLは右上から左下に条が流れ、LRRはその逆であるが、節が条に対してほとんど直角で正の撚りのような傾きが見られない特徴がある。
 戸田哲也氏は「縄文」『縄文文化の研究』5縄文土器Ⅲ 雄山閣1983の中で、1段の反撚りを2段目で正による縄文を関東の加曾利E式の末期に検出され、記載されている。実は、この本が出た頃に私も1段反撚りの縄文について書いた事がある。山形県埋蔵文化財調査報告書75集「水木田遺跡」1984の31ページである。この文章を書いていた頃に戸田氏のものを読み、あわてて、註として書き込んだ記憶がある。この報告書で縄文土器のほとんどを実測させてもらい、その時に、縄文の撚り方の手ほどきを受けたのであるが、九州に来てほとんど役には立っていないが、そのうち、撚糸文も含めてみんなで論議することがあろう。楽しみである。

 みなさんは、山内清男先生の「日本先史土器の縄紋」1979をご存知だろうか。実は、一度、東京の中野で行なわれた学会の場で販売されたことがあった。限定商品で当時1万円だったと記憶する。私の友人は購入したが、私は買わなかった。その時の後悔は山形県埋蔵文化財調査報告書75集「水木田遺跡」1984の整理作業でもろに現れた。私は、購入した人から借りては大学ノートに書き写した。コピーはもちろん使用することが出来たが、それでは頭に入らないと、毎日、少しずつ書き写したものが手元にある。その後、全集とともに文献も手に入れたが、この書き写したノートはある意味、私のちょっとした自信となっている。
 文様帯系統論という言葉をご存知かと思うが、わたしは、ゲジゲジとカエルとヘビとの関係を例え話として拝聴したことがある。食物連鎖のようにゲジゲジが最初に文様帯に登場する。それをカエルが食べてしまいカエルの世界になったかと思うとヘビが現れてカエルを食べてしまう。食べ終わったヘビは食べ物がなくなり、再びゲジゲジが出現しカエル、ヘビという繰り返しだというのである。未だに理解できないが縄文をやっている人だと解るかな。