久しぶりのブログ更新となります。
昨年から今年にかけて獣害(特に熊)に関するニュースと、それに付随した田舎住民の心情を無視した心無い都会者のコメントに憤慨していましたが、当ブログにおける発信の意義とは即ち〝自分なりに自然を敬うこと〟であると思い至り、記事の再開を決意し、再度ブログの更新に踏み切りました。
今回のブログ更新までに渓流釣りへ幾度と無く赴きました。
その中で改めて感じたことですが、我々が普段暮らしている住宅地周辺には生きるために必要なセーフティネットが張り巡らされており、なるべく死に直結しないような工夫がなされているのだなと感じざるを得ません。
山岳渓流釣りをしていると、何となく自身の死を意識してしまう場面が度々訪れます。
ゴルジュ帯の上から谷底を見下ろしている時、強い獣臭を感じた時、電波の繋がらない深山で転倒してしまった時、市街地であるなら脆弱と感じるであろうマダニや山ビルが体を這っている時、落ちれば一巻の終わりであろう崖先でカゲロウが鼻先をかすった時・・・
険しい深山幽谷に身を置くと普段取るに足らないと思い軽く払い除けている小さな羽虫も、厳然たる自然環境の厳正なる掟に適応しており、私自身の生命と平等かそれ以上に高尚な存在であると痛感させられます。
幸いなことに今現在まで大きな怪我もなく渓流釣りをしてこれました。
私は無神論者であると自負していましたが、こと山岳渓流においては毎回山の神様に手を合わせて自身の安全祈願を行ってから釣りを始めることがルーティンとなっております。
これは私個人の見解ですが、自然環境の保全に必要なこととは自然環境を畏れるマインドではないかと思います。
自然を舐めてしまえば手痛いしっぺ返しが必ず身に降りかかるという教訓が現代日本人には必要なのではないかと考えます。
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