流行りましたよね、PPAP!
・・・よね?
いや、イキナリ及び腰で書いてしまうのは、他でもない、ワタクシ、テレビがないもので、イマイチこの流行の規模の大きさを実感できてない立場にいるのですよ。
だいたいが、いろんな流行の流行り始めに弱い。
本件につきましても、どうも結構流行しだしてから、
「ああ、どうも、そういうのがあるらしいな」
と気づいたというていたらく。
決定的に情報が遅れとるわけです。
で、まぁ、本日は「こういう流行は、それほど旬を長く保てるわけではないだろう」という想像の元、この文の書き出しを「流行りましたよね」としてみたわけなんです。
多少、過去の話ですよね、というニュアンスで勝負してみたわけなんです。
ええ、モチロン、おっかなびっくりですとも。
もしかしたら、ダンスフロアーは、まだまだ連夜PPAPで盛り上がってるかもしれない、というリスクを覚悟してみましたよ。
まだ盛り上がってたら、ホント、ごめん!
正直、わからんのだあ!
先日も、ちょっと久しぶりに、とある、ひと世代上の人とお会いした時に、
「PPAPって、流行ってるけど、アレは何?」
と尋ねられたのでした。
この方からすると、ワタクシなんかはまだまだ若造枠に入るということなのかもしれません。
多少はそういうテレビ的な話題にも詳しいはずだと買ってくださっているのかもしれないわけです。
「うーんと、まぁ、アレはですね・・・」
などと言葉を濁してますと、さらに追い討ちが。
「アレは、何がおもしろいの?」
うーん! これは困ったですね!
ある物事が人にとっておもしろいかつまらないかというのは、実はとても難しい。
何をおもしろいと思うかって、結構人柄とか人間としてのあり方とか、そういうのに関わってくるんじゃないかと、ワタクシなんか思うわけなんですよ。
「私は佐藤ではありません。」と書いたTシャツを着ることを、ワタクシは「おもしろい」と思うわけですが、そう思っていただけない方も世の中にはたくさんいらっしゃるようなのですよ!
しかし、Tシャツが売れないからって、儲からなくって悔しいからって、買ってくださらない方に、
「なんでだよ! おもしろいだろ! これこれこういう理由で、このTシャツ、おもしろいだろ!」
と迫ってしまっては、これはいけない。
そんなことしたって、誰も納得してくれるわけではなく、ワタクシが儲かる未来も見えないわけです。
誰も幸せになれない。
おもしろい、というのは、実は個人的な経験とかに基づくものであって、言わばこれまでの人生の生き方によって決定されているものだからなのですね。
だからこそ、千差万別であり、だからこそ、自由なのであります。
誰が「おもしろい」と言っても、自分がつまらなければ「つまらない」でいいのです。
結局、この時のワタクシは、
「あー、アレですね・・・。うーん、アレはね・・・アレは、いいの!」
とか答えたような気がします。
つまらないと思えば、それもよし。
流行ってるということは、多くの人がおもしろいと感じたということなのでしょうが、別に自分がそれと違う価値観を持っていたとしても、問題はないのです。
「流行ってるみたいだねー。おれにはイマイチだけど」
で十分だと思うのです。
それを
「なんか流行ってるみたいだけど、自分には何がおもしろいのかわからない」
みたいにからみ始めますと、自分にもおもしろくないことになっていく気がするのですね。
自分にはおもしろくないけど、アレをおもしろいという人もいっぱいいるんだね、という一歩引いた姿勢と言いますか、まぁ、そういうのでいいんじゃないの、と思うのですね。
で、さあ、コイツが流行りまして、先日ぼんやりネットサーフをしていたワタクシの元に「ピコハラ」という単語が現れたのでした。
つまり「忘年会のかくし芸で、やりたくもないPPAPを上司に強要されること」なのだと言うのですよ。
これには、さすがに笑ってしまうワタクシなのでした。
「『ピコハラ』て言いたいだけちゃうんか!」
と。
まずもって「忘年会でかくし芸」というのが、ワタクシには非常に昭和時代の認識に思われます。
今時あるのか!
「あー、宴もたけなわだけども、ここらで一発誰か何かやって見せてくれんか?」
「お! それでしたら、不肖ワタクシめが裸踊りなど・・・」
なんてノリの忘年会が今時あるのか!
見たことがない。
夏のさなかにドテラ着て、コタツに入って、鍋焼きうどんを啜る「がまん大会」くらい見たことがない!
忘年会でかくし芸を披露した、あるいは見たことがあるという方は、ぜひともコメントください!
2016年、平成28年を生きるみなさんの中に、そんな人がいるのか!
これは貴重な歴史的資料になる予感がします!
そして、第2に!
こんなもん、そのままPPAPなんかやったって、おもしろくないだろ、というのがあるのです。
いいだけみんな見飽きた(流行ったってことはそうですよね?)PPAPを、今更ドシロウトがそのままなぞったところで、どう笑えるのか?
いや、まぁ、これも「それでもおもしろい」という価値観の方もいるのかもしれませんけども。
ですので、まぁ「ピコハラ」という現象は、「ピコハラ」という言葉を発想したというおもしろさだけで、無理矢理記事をでっち上げただけなんだろうな、とワタクシは一人で結論づけたわけなのです。
要するに「出オチ」ということなのですよ。
ワタクシの中では、はい、これで終了、という話題でして、それでよかったのです。
ところが。
最近、ワタクシの行動範囲の中のごく一部で、どうもよからぬ話がささやかれている気配なのです。
つまり、このワタクシ・吉田ナゴヤが、どうもピコ太郎さんに似ていると!
ふふふ、ふざけるな!
どこが似てるっていうんだ! えー!?
じぇんじぇん違うじゃないですか! 失礼しちゃう! ねー!
(サングラスと帽子で隠してるからだ、いつもはもっと似てるとの意見アリ)
とうとう、面と向かって、
「PPAPやって!」
などと言われるという不祥事も発生しました!
じゃあ、何だ!
ワタクシがキンキラキンの衣装、ヒョウ柄のマフラーに身を包んで、パンチパーマで細いサングラスかけて、リンゴとペンを持って、
「アイ・ハヴ・ア・ペーン・・・」
とか、照れまじりの全然ノリ切れてないPPAPをやるのか!
寒すぎる!
あんなものはノリノリでやってこそ!
その志のない人にPPAPを強要するのは、絶対に止めましょう!
ストップ! 「ピコハラ」!!
・・・よね?
いや、イキナリ及び腰で書いてしまうのは、他でもない、ワタクシ、テレビがないもので、イマイチこの流行の規模の大きさを実感できてない立場にいるのですよ。
だいたいが、いろんな流行の流行り始めに弱い。
本件につきましても、どうも結構流行しだしてから、
「ああ、どうも、そういうのがあるらしいな」
と気づいたというていたらく。
決定的に情報が遅れとるわけです。
で、まぁ、本日は「こういう流行は、それほど旬を長く保てるわけではないだろう」という想像の元、この文の書き出しを「流行りましたよね」としてみたわけなんです。
多少、過去の話ですよね、というニュアンスで勝負してみたわけなんです。
ええ、モチロン、おっかなびっくりですとも。
もしかしたら、ダンスフロアーは、まだまだ連夜PPAPで盛り上がってるかもしれない、というリスクを覚悟してみましたよ。
まだ盛り上がってたら、ホント、ごめん!
正直、わからんのだあ!
先日も、ちょっと久しぶりに、とある、ひと世代上の人とお会いした時に、
「PPAPって、流行ってるけど、アレは何?」
と尋ねられたのでした。
この方からすると、ワタクシなんかはまだまだ若造枠に入るということなのかもしれません。
多少はそういうテレビ的な話題にも詳しいはずだと買ってくださっているのかもしれないわけです。
「うーんと、まぁ、アレはですね・・・」
などと言葉を濁してますと、さらに追い討ちが。
「アレは、何がおもしろいの?」
うーん! これは困ったですね!
ある物事が人にとっておもしろいかつまらないかというのは、実はとても難しい。
何をおもしろいと思うかって、結構人柄とか人間としてのあり方とか、そういうのに関わってくるんじゃないかと、ワタクシなんか思うわけなんですよ。
「私は佐藤ではありません。」と書いたTシャツを着ることを、ワタクシは「おもしろい」と思うわけですが、そう思っていただけない方も世の中にはたくさんいらっしゃるようなのですよ!
しかし、Tシャツが売れないからって、儲からなくって悔しいからって、買ってくださらない方に、
「なんでだよ! おもしろいだろ! これこれこういう理由で、このTシャツ、おもしろいだろ!」
と迫ってしまっては、これはいけない。
そんなことしたって、誰も納得してくれるわけではなく、ワタクシが儲かる未来も見えないわけです。
誰も幸せになれない。
おもしろい、というのは、実は個人的な経験とかに基づくものであって、言わばこれまでの人生の生き方によって決定されているものだからなのですね。
だからこそ、千差万別であり、だからこそ、自由なのであります。
誰が「おもしろい」と言っても、自分がつまらなければ「つまらない」でいいのです。
結局、この時のワタクシは、
「あー、アレですね・・・。うーん、アレはね・・・アレは、いいの!」
とか答えたような気がします。
つまらないと思えば、それもよし。
流行ってるということは、多くの人がおもしろいと感じたということなのでしょうが、別に自分がそれと違う価値観を持っていたとしても、問題はないのです。
「流行ってるみたいだねー。おれにはイマイチだけど」
で十分だと思うのです。
それを
「なんか流行ってるみたいだけど、自分には何がおもしろいのかわからない」
みたいにからみ始めますと、自分にもおもしろくないことになっていく気がするのですね。
自分にはおもしろくないけど、アレをおもしろいという人もいっぱいいるんだね、という一歩引いた姿勢と言いますか、まぁ、そういうのでいいんじゃないの、と思うのですね。
で、さあ、コイツが流行りまして、先日ぼんやりネットサーフをしていたワタクシの元に「ピコハラ」という単語が現れたのでした。
つまり「忘年会のかくし芸で、やりたくもないPPAPを上司に強要されること」なのだと言うのですよ。
これには、さすがに笑ってしまうワタクシなのでした。
「『ピコハラ』て言いたいだけちゃうんか!」
と。
まずもって「忘年会でかくし芸」というのが、ワタクシには非常に昭和時代の認識に思われます。
今時あるのか!
「あー、宴もたけなわだけども、ここらで一発誰か何かやって見せてくれんか?」
「お! それでしたら、不肖ワタクシめが裸踊りなど・・・」
なんてノリの忘年会が今時あるのか!
見たことがない。
夏のさなかにドテラ着て、コタツに入って、鍋焼きうどんを啜る「がまん大会」くらい見たことがない!
忘年会でかくし芸を披露した、あるいは見たことがあるという方は、ぜひともコメントください!
2016年、平成28年を生きるみなさんの中に、そんな人がいるのか!
これは貴重な歴史的資料になる予感がします!
そして、第2に!
こんなもん、そのままPPAPなんかやったって、おもしろくないだろ、というのがあるのです。
いいだけみんな見飽きた(流行ったってことはそうですよね?)PPAPを、今更ドシロウトがそのままなぞったところで、どう笑えるのか?
いや、まぁ、これも「それでもおもしろい」という価値観の方もいるのかもしれませんけども。
ですので、まぁ「ピコハラ」という現象は、「ピコハラ」という言葉を発想したというおもしろさだけで、無理矢理記事をでっち上げただけなんだろうな、とワタクシは一人で結論づけたわけなのです。
要するに「出オチ」ということなのですよ。
ワタクシの中では、はい、これで終了、という話題でして、それでよかったのです。
ところが。
最近、ワタクシの行動範囲の中のごく一部で、どうもよからぬ話がささやかれている気配なのです。
つまり、このワタクシ・吉田ナゴヤが、どうもピコ太郎さんに似ていると!
ふふふ、ふざけるな!
どこが似てるっていうんだ! えー!?
じぇんじぇん違うじゃないですか! 失礼しちゃう! ねー!
(サングラスと帽子で隠してるからだ、いつもはもっと似てるとの意見アリ)
とうとう、面と向かって、
「PPAPやって!」
などと言われるという不祥事も発生しました!
じゃあ、何だ!
ワタクシがキンキラキンの衣装、ヒョウ柄のマフラーに身を包んで、パンチパーマで細いサングラスかけて、リンゴとペンを持って、
「アイ・ハヴ・ア・ペーン・・・」
とか、照れまじりの全然ノリ切れてないPPAPをやるのか!
寒すぎる!
あんなものはノリノリでやってこそ!
その志のない人にPPAPを強要するのは、絶対に止めましょう!
ストップ! 「ピコハラ」!!