ワタクシは、当時ちょっとした勤務をしていた都内某所のビルにいました。
トイレに立った帰りの通路であの揺れに遭遇。
これは明らかに、震源の近くは大変なことになっているな、と直感しました。
ワタクシだって、ちょっとタイミングがずれて、トイレの個室にいる時にあの揺れだったら、地獄絵図だったでしょう。
執務室に戻ると、同僚のみなさまも不安な顔をしてました。
ワタクシは、すかさず冗談を言うことにしました。
とんでもなくヤバいことが起こってる。でも、今の状況が解らない。
こんな時は、とにかく落ち着くこと、リラックスすることです。
あわてて動いたって、たぶん入ってくる情報はそれほど多くない。
だったら、まずは無駄な不安を忘れること。
冗談というのは、こういう時に役立つものなのです。
絶対にすべらないぞ、と強く思って、ワタクシは冗談を言い始めました。
モチロン、どうせワタクシの冗談ですので、さして質の高いものでもありません。
ほとんど忘れてしまいましたが、ただひとつ、同僚でいつもロングスカートが似合ってて「なんだかお上品」な感じのしてたY女史に
「Yさん、ご自宅のワインセラーが心配ですよね」
という冗談を放ったことだけ覚えてます。
なんとなく上品な人、から一気にワインセラーまでぶっ飛ぶのがおもしろいかな、という程度の冗談ですが、幸いY女史はノリのいい方で
「え? ええ、そうですね・・・(ワインセラー?)」
って笑って下さったので、ワタクシも救われたのでした。
で、なんとかみんなが少し笑いだしたかな、という時に、隣の部署にいたKさんがヘルメットを被って現れたのでした。
Kさんは、おじさんからそろそろおじいさんに差し掛かろうかという年代の方でしたが、常に冗談を言うマインドを忘れておらず、ワタクシは密かに「こういう歳の取り方をしたいものだ」と尊敬していた人物だったのです。
いつも軽妙な冗談で周りを笑わせていたKさんが、この時ばかりは真剣な顔で
「みんな、今は冗談とか言うのは止めよう。どこでどんな被害が出ているかわからないのだから」
と言ったのでした。
ワタクシはさっき言ったように「こういう時こそ冗談だ!」と思っていたのですが、Kさんは、そうではなかった。
しかし、ワタクシにはKさんの気持ちもまた、わかったのです。
根っこの部分では、Kさんはやさしい人なのですね。
きっと震源に近いところには、ひどい被害に遭ってる人もいる、その人達のことを思えば、今の状況で冗談を言うことは憚らねばならない、と。
しかし、それでも、ワタクシはKさんに聞こえないように、なおも冗談を言うことを止めませんでした。
それはそれとして、今ここに不安な気持ちのワタクシの仲間がいる。
その気持ちを和らげるのに、冗談は効果があって、これは冗談が役に立つほぼ唯一のシーンなのだ。
日頃、冗談を言う度に、例え周りを笑わせたとしても「くだらないこと言って」と言われなければならない、ワタクシ達冗談を好きな人種にとって、唯一それが役に立つシーンなのだ。
今こそ、言わなくてどうする。
その日、その後の仕事は中止となって、ありとあらゆる交通機関が停まった中、ワタクシはアジトまで歩いて帰ったのですが、その時もやはり歩きながら考えたのは
「冗談が世界に果たせる役割とは?」
という問題でした。
ワタクシの考えは正しかった気がする。
しかし、Kさんの思いもまた、理解できる。
当時、すでにナゴヤ堂をやっていて「Tシャツを通して世界に冗談を訴える」ということをいつも考えていたつもりのワタクシでしたが、この時以来、さらに強くそれを考えるようになったと思っています。
そしてそれは今も。
「冗談が、世界に対してできることとは?」
この10年、それをずっと考えています。
トイレに立った帰りの通路であの揺れに遭遇。
これは明らかに、震源の近くは大変なことになっているな、と直感しました。
ワタクシだって、ちょっとタイミングがずれて、トイレの個室にいる時にあの揺れだったら、地獄絵図だったでしょう。
執務室に戻ると、同僚のみなさまも不安な顔をしてました。
ワタクシは、すかさず冗談を言うことにしました。
とんでもなくヤバいことが起こってる。でも、今の状況が解らない。
こんな時は、とにかく落ち着くこと、リラックスすることです。
あわてて動いたって、たぶん入ってくる情報はそれほど多くない。
だったら、まずは無駄な不安を忘れること。
冗談というのは、こういう時に役立つものなのです。
絶対にすべらないぞ、と強く思って、ワタクシは冗談を言い始めました。
モチロン、どうせワタクシの冗談ですので、さして質の高いものでもありません。
ほとんど忘れてしまいましたが、ただひとつ、同僚でいつもロングスカートが似合ってて「なんだかお上品」な感じのしてたY女史に
「Yさん、ご自宅のワインセラーが心配ですよね」
という冗談を放ったことだけ覚えてます。
なんとなく上品な人、から一気にワインセラーまでぶっ飛ぶのがおもしろいかな、という程度の冗談ですが、幸いY女史はノリのいい方で
「え? ええ、そうですね・・・(ワインセラー?)」
って笑って下さったので、ワタクシも救われたのでした。
で、なんとかみんなが少し笑いだしたかな、という時に、隣の部署にいたKさんがヘルメットを被って現れたのでした。
Kさんは、おじさんからそろそろおじいさんに差し掛かろうかという年代の方でしたが、常に冗談を言うマインドを忘れておらず、ワタクシは密かに「こういう歳の取り方をしたいものだ」と尊敬していた人物だったのです。
いつも軽妙な冗談で周りを笑わせていたKさんが、この時ばかりは真剣な顔で
「みんな、今は冗談とか言うのは止めよう。どこでどんな被害が出ているかわからないのだから」
と言ったのでした。
ワタクシはさっき言ったように「こういう時こそ冗談だ!」と思っていたのですが、Kさんは、そうではなかった。
しかし、ワタクシにはKさんの気持ちもまた、わかったのです。
根っこの部分では、Kさんはやさしい人なのですね。
きっと震源に近いところには、ひどい被害に遭ってる人もいる、その人達のことを思えば、今の状況で冗談を言うことは憚らねばならない、と。
しかし、それでも、ワタクシはKさんに聞こえないように、なおも冗談を言うことを止めませんでした。
それはそれとして、今ここに不安な気持ちのワタクシの仲間がいる。
その気持ちを和らげるのに、冗談は効果があって、これは冗談が役に立つほぼ唯一のシーンなのだ。
日頃、冗談を言う度に、例え周りを笑わせたとしても「くだらないこと言って」と言われなければならない、ワタクシ達冗談を好きな人種にとって、唯一それが役に立つシーンなのだ。
今こそ、言わなくてどうする。
その日、その後の仕事は中止となって、ありとあらゆる交通機関が停まった中、ワタクシはアジトまで歩いて帰ったのですが、その時もやはり歩きながら考えたのは
「冗談が世界に果たせる役割とは?」
という問題でした。
ワタクシの考えは正しかった気がする。
しかし、Kさんの思いもまた、理解できる。
当時、すでにナゴヤ堂をやっていて「Tシャツを通して世界に冗談を訴える」ということをいつも考えていたつもりのワタクシでしたが、この時以来、さらに強くそれを考えるようになったと思っています。
そしてそれは今も。
「冗談が、世界に対してできることとは?」
この10年、それをずっと考えています。