全ての人は地球に宇宙に貢献している
僕は一時期ベジタリアンやビーガンを目指していたことがある。
肉食は残酷だ、野蛮だ、家畜はかわいそうだ。戦争が無くならないのは人間が肉食をしているからだと。
今でもかわいそうだと言う気持ちは変わらないが、ベジタリアンもビーガンもやめた。
理由は考えがしっくりと腑に落ちなかったからだ。
なぜならそれは自然の中においても同じことが行われ、食物連鎖と言われる。草食動物は植物を食べて、肉食動物は草食動物を食べる。肉食動物は死ぬと植物の栄養分となる。
なんと植物は肉食なのだ。全てが循環している。真実はこれだけだった。さらに動物も植物も生命であり、さらに昆虫や微生物も存在する。
微生物はサイズが小さいので普段は意識に上らない。
植物は昆虫や動物に食べてもらうことで種を運んでもらい移動し繁殖する。お互いがお互いを支えており、結局は形が変わるだけで、微生物も植物も動物も何もかもが同じものから構成されている。
確かに一見人間は家畜を育て、食べる以上に生産し楽しみの為に食べるという野生動物と違う食性を持っている。このシステムは何かを見直さないといけないとは思う。
そういっても、動物を食べないという行為を全人類が出来るわけでもなく、もともと狩猟採集していた時代には肉食が主だった時代もあるし、国によっては肉食の国もある。
その中で、肉を食べないという行為を自分が行わないことによって、食料として育てられた大切な命が捨てられる、あるいは何も考えない人に無駄に食べられるということを考えた時に、それはダメだと思った。
食物連鎖の循環を大切に考えた時に、僕は家畜として悲惨な状態で育った動物さんの命を僕が食べることで、僕の命として大切にしたいという思いが強くなった。これは偽善でもなんでもなく、屁理屈でもない。自然の摂理を大切にする真理である。
もちろんベジタリアンやビーガンの人たちは心の優しい人が多いので、それはそれで大切な行為だと思う。これは私が考えていることです。否定はしません。
人間は環境を破壊して、お互いに争い、地球にとって不要な生命だと言う人がいますが、私はそれは違うと思います。人間の寿命や頭脳で理解できる範囲をはるかに地球や宇宙と言う生命体は超えており、近視眼的に目の前の事しか理解できない私たちにはその大きな仕組みがわからないだけです。
自然を地球を宇宙をそして人間の身体の仕組みを見渡した時に、全てが完璧に設計され見事にその神秘的な力が働いていることを考えると、人間が地球のがん細胞だという理論は全く成り立ちません。
鉱物、微生物、植物、動物この地球上に存在する物質で無駄な、不要なものは何一つ存在しません。
人間は地球上に存在しない物質を創り出し環境を汚染していると言いますが、地球上に無い物質を人間が創り出すことはできません。原発や原爆も全て地球や宇宙にすでに存在している物質からエネルギーから構成されています。
人間の与える影響など微々たるものであり、もし大きな影響を与えることがあれば、それは人間を生み出した地球の宇宙の意志であるということです。間違いではありません。
もし間違いがあればこの世界は一瞬で崩壊するでしょう。
この世界はプラスとマイナス、陰と陽、光と闇が同じ比率で存在しているわけではありません。もし同じであるならば、それは0(ゼロ)であり、無となります。
しかし、私たちは有の世界に存在しています。有が存在するには無が無いとわかりません。光が存在するには闇がなければ見えません。
私達には光が見えて闇が見えます。
ということはどちらかが比率で言うと多いのです。対称性は崩れています。50:49.99999%かもしれません。残りの0.00001%は不明な領域です(比率もわかりません)。
ですから、私たちの世界はこの0.00001%の領域に存在しているのです。この領域のさらに狭い周波数領域を私たちは見たり聞いたり触れたりしているのです。
この感覚領域(周波数領域)は同じ人間でも違い、動物や植物や昆虫や魚類、微生物でも違い、物理的サイズでも違います。
私たちが共有しいる空間領域にもまさに多世界(他世界)が展開されています。
この狭い領域で人間は宇宙が、地球が、国が、隣の人が、環境破壊が、と問題を勝手に創り出して混乱しています。
しかし、そんなことはありません。全てが完璧に働いています。
あなたは安心して生きていればいいのです。何も間違いはありません。あなたはこの世界に存在しているだけで、すでに地球に宇宙に貢献しているのです。
人間が間違って生まれているのならばいつか絶滅するだろうと言う人がいますが、もし絶滅したとしても、それは間違いではありません。それは必要なことであり、絶滅では無く役割を終えて他の役割に変化、移行したのです。
このように大きな視点を持てば、あなたという人間がどれだけ大切で貴重な存在かということを認識できると思います。
働いていないとか、生産性が無いとか、能力が足りないとか、社会的に役に立たないとか、社会的に成功しているとか、役に立っているから偉いとか、お金持を持っているとか、持っていないとか、引きこもっているとか、そんなことはあまり重要なことではありません。
いろんな悲惨なことが目の前で展開されても、それはすべて必要があって起こっていることです。そこには良いも悪いもありません。人生には意味が無いという考えもありますが、プラスとマイナスの対称性が崩れているが完璧に全てが作用している世界においては、全てに意味があると思います。
あなたはただ存在しているだけで、そしてすべての人々がすでに地球に宇宙に貢献しているのです。
恐れや不安などがあったとしても(それを無くす必要はありません)、実際は何も心配しなくていいのです。
何か悩んだときには、”私は存在しているだけで地球上のすべての生命体に宇宙に貢献している”と考えて下さい。
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