胃腸がもたれたり、胸やけがあったり、便秘や下痢など排泄が調子が悪かったりする多くのケースは、食べすぎ飲みすぎが原因です。
吸収は排泄を阻害します。
お腹も空いていないのに時間が来ると朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べているのが原因です。
食事をして食物を消化してエネルギーに変えて、不要なものを排泄する、この消化吸収排泄には多大なエネルギーと時間を要します。
子供の頃、こんな歌を聴いたことがあると思います。
どうして おなかが へるのかな お腹と背中がくっつくぞ!~おなかのへるうた
この感覚を今の多くの日本人は忘れています(貧困からこの状態にいる方が存在するのは別の悲しい問題です)
お腹が空いていないのにご飯を食べていると、まだ消化できていない食物があるのに、次の食物が入ってくるという状態になります。
これでは胃腸を酷使することとなります。おまけに過食であったり、油の多い食事だったり添加物だったり、アルコールなど胃腸に負担がかかる食事になっています。
吸収は排泄を阻害することにより、身体には老廃物が蓄積する上に、排泄ができない状態となります。その排せつ物は身体に溜まり続け、特に脂肪として溜まります。もちろん血液は汚れます。
身体は過食により消化吸収に多大なエネルギーを使用することにより、排泄は滞り、さらに脂肪に吸着したあるいは血液に溜まった老廃物に対処しなければならず、それも間に合わない状況になり、体中が慢性炎症状態となります。
そしてそこに胃薬などの薬物が加わり、症状を和らげる為に、身体の感覚は麻痺していき、常に眠いだるい、胃の調子だけではなく不定愁訴から果ては代謝障害、糖尿病から胃がんまでなんでもありの状態になります。
東洋医学的には、肺気の循環が悪くなり、衛気(身体を守る気)の働きが悪くなり、隅々まで気が回らなくなります。大腸の働きも落ちて便秘や下痢、さらに皮膚に湿疹やアトピーのような症状(皮膚がくすむ、乾燥するなど)が現れます。
同時に脾臓の働きもおちて、免疫力が低下します。さらに胃の働きも低下して消化吸収排泄分泌の全ての能力が低下します。
胃の働きが落ちると人間は全体の生命としてのエネルギーが落ちて、何もしたくなくなります。
精神的には悲しみや憂い、鬱のような感情になるでしょう。当たり前です。胃の調子が悪くて気分が良い人はいません。
これらを改善するのには肺気の循環を良くすることです。それは良く動くことです。そうすることで全体の気の流れが良くなり、もちろん大腸も動き出します。
脾の働きも胃の働きも改善され、鬱のような精神状態も良くなるでしょう。
鍼灸ならば、肺の経絡、大腸の経絡、脾の経絡、胃の経絡を使用します。
さて、胃の調子を良くするには、どうするのかに戻りましょう。それは簡単です。
どうして おなかが へるのかな お腹と背中がくっつくぞ!~おなかのへるうた
朝食や昼食、夕食の時間で食べるのではなく、お腹がグーとなってお腹が空いたときに食べると、胃腸を酷使することなく、お通じも良くなるうえに、食事が本当に美味しくなります。
子供の頃、お母さんお腹空いた今日のご飯は何?といっていたのを思い出してください。
時間で食べると食べ過ぎになります。
野生の動物はお腹が空いてから狩りをしたり、草を食べます。これが一番本能的な機能を復活させる方法です。そして動物は満腹になることはなく満足します。それが本来の機能です。
今の人間の食べ方は商業主義で身体の本来の機能や感覚を騙されています。
胃腸の調子の悪い方は、薬でごまかすのではなく、そうやって食べてみてください。
きっと日常が快適になります。
僕は治療家としていろんな話をする時に、嘘がないように努めている。
だからビジネス的な観点から治療院を考えたことは無い。
ビジネス的な観点が入るとどうしても嘘が多くなる(もちろんすべてでは無いが)
そうなると本当のことや本質的な話が中心となる。
結果、僕が言うことが理解できるのは全体の2割くらいしかいないので、大抵は理解できず、2割くらいの人に
(厳密には1割くらい。なぜならこの2割の本質的に理解している人の中の1割の人は本質を知っている確信犯の詐欺師になるからだ)
しか理解できない。
そうやって、一部の人にしか理解できない状況になる。その1割の人がこの狭い田舎にはあまりいないので、僕の治療院には全国から少数派が集まることになる。僕は一部の人にしか理解されない。
これは当たり前のことなので、別に愚痴を言っている訳でもなく、自分が絶対に正しいなどと主張している訳でもない。
大衆とは全体の8割の本質的とか真実とか関係ない協調性が高い人々の集まりなので当たり前だ。確実に僕は変な人と認識される。これも当たり前だと認識している。
問題はこの本質とか真実とか関係なく、この8割が正しいことを一方的に押し付けてくる社会だが、それもこの世界を安定させるための仕組みなので、僕はそういうもんだと認識している。
7年前のことだが、地元のママさんグループからワクチンの講演を頼まれた。
僕はワクチンに対してはかなり懐疑的でメリットは一ミリも無いと論文やデータから学んでいた(僕が大学生の時の公衆衛生学の有名な教授は講義でワクチンが流行り病を解決したと言うストーリーは全部嘘だ授業でデータを示しながら当たり前のように講義していた)
公衆衛生学の観点では、流行り病の流行が抑えられたのは、ワクチンでは無く、衛生環境と栄養状態の改善であるのは明らかだった。
グラフを見ると一目瞭然で、公衆衛生の改善と栄養状態の改善によって流行り病は極端に減少した。ワクチンが投与されたのは、減少した後であり、むしろ投与後にわずかながら流行り病は再燃して流行していた。
これはワクチンによる偽装としか言えないくらいにどの流行り病も同じグラフだった。
僕がそのことを講演で話した後に、ママさんグループに僕はワクチン反対ではないよ。と話した時にママさんは驚いた。
僕は続けて言った。
ワクチンは在っていいんだよ。むしろあった方が良い。それが効くとか効かないとか、害しかないとかでは無く、在ることが大切なんだよ。
想像してごらん。ワクチンが無い世界を。もしワクチンが無くて子供が大変なことになったら、あなた方は政府になんて言うだろう。きっと有効なワクチンを開発してくださいとお願いすることになるだろう。あなたたちはきっとワクチン推移派なるはずだ。と。
その言葉が理解できたかどうかは僕にはわからないが、大切なことはワクチンはあってもいいし、あった方が良い。
問題は、それがどういうものであるか、現時点でメリットはあるのか情報を調べて、その後どうするか判断できることなのです。
今回のコロワクについても同じこと、僕の記事を遡ってみてみればわかるが、僕は過激な恐怖を煽るような表現は非常に少ないはずだ。
僕はいわゆる反ワクでは無い。あっても良い。必要なのは情報を調べて自分で判断することだ。だから、ワク推進であってもいけないし、反ワクでもダメなのだ。
必要なのは、こういうワクチンがあります。国としては推奨しますが接種するかどうかはご自分で判断して下さい。
これがバイアスが強制に近かったことがものすごく大きな問題なのだ。
これは国から官僚、政治家、専門家、医師、マスコミ、地方議員、会社、組織、自治体全てにおいて強制に近い状況があったことである。
僕がこの4年間で知っている議員さんに話をした時に、僕と同じように自分で判断して下さいと言っている人は皆無だった。
むしろ積極的に推奨している人が多かった。これは物凄く大きな問題だと思います。
何の根拠も無いのに有権者に推奨するのは深刻な問題。
やってはいけないこと。
言えるとしたら、こういう薬がありますが、いろいろと調べてどうするかご自分で判断して下さい。
そして聞かれたら、私は調べて打つことに決めました。あるいは打たないことに決めました。
これが全く無かった。
僕はこの4年間ずっと議員さんやいろんな人に話をしてきた。
もう結果が出ているのに、未だに理解が出来ていない。
あーそうか、これが行政や議員さんの仕事なんだねと理解した。
考えてみると、本当のことや自分で考えて下さいと言えば、次は確実に落選するし、行政ならば苦情だらけになるだろう。
何しろ8割の人は、そんなことなど考えていないのだからね。
8割の人に理解してもらえるような、期待に応えるようにするのが正しいこと。その結果が悲惨であろうと、8割の人が最初に望むならば責任など生ずる訳もない。
それは大衆が望んだことだから、今更騙されたとか言っている人も、もともと賛成していた訳なので、言い難い。
結果、社会はどんどんおかしくなるが、それは皆さんが望んだことが実現しているだけなので、何の問題も無いのだ。
文句を言っちゃいけないよ。となるのだ。
非常に疑問なのだが身近な議員にどうして文句を言わない?
身近な人は友達だもんね。言えないよね。そして議員さんも、親しい人にでもポロっと本音を漏らすとリークされる可能性があるから本音は言えないよね。次に落選したら困るしね。
人間社会はいつも通常運転です。戦争も特別なことでは無い。通常の人間の営みとしか今のところ考えれない。
歴史上、未だかつて戦争の無い短い時期はあっても、必ず戦争は止められないのだから、今にはじまった訳でもない。
だから、僕らはそれが(社会がいつもおかしく混乱して争いに満ちている)通常の営みと認識して、
”君たちはどういきるか”
を問われているのです。誰も悪くはありません。
あいつが悪い、こいつが悪いと言っているあなたが争いを起こしているのです。
当院で月に一回OSHOの瞑想会をクローズドで行っているが、その中でも僕はナダブラーマ瞑想がお気に入りだ。
この瞑想は声を出して行うのだが、参加される方それぞれの声が共鳴、共振してまさに異次元の世界に入り込み、物凄くパワフルな波動となる。
いつかオープンにして行うかもしれません。今のところは未定です。
僕の感覚では、瞑想は集団瞑想の方が安心感と共に瞑想状態も深くなり、さらに個としての存在をより強く感じることが出来ると思います。
#OSHO #ナダブラーマ #瞑想 #クンダリーニ瞑想 #集団瞑想
病気が良くなるということについて
良くなる覚悟が無い人は、どんなに良い治療をしても、良くなることは一切ありません。
良くなりたいと思っている人は、決して良くなりません。
良くなるとか良くならないとか言う概念を超えた時に、病気はどうでもよくなります。
こだわっている状態を捨てることです。
そもそも良くなるとは何なのか、治るとは何なのか、それさえも騙しなのです。
そんなものはありません。そのまま生きていくと受け入れた状態で、良くなるとか治るとか言う概念を超えるのです。
治るとか良くなるとか、それは嘘であり壮大な騙しです。