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崩壊と誕生
恐怖心は人間の根源的な感情であり、生きるための根本的なシステムです。
もし、恐怖心が無ければ生きていくことは出来ないでしょう。
しかし、その恐怖心が肥大化して、過剰に感じるようになると、生きるためのシステムが逆に働きだし、生きていくことが怖くなると同時に死への恐怖も肥大化します。
つまり死を恐れる人は、生きることも恐れるようになるということです。
現世の人間界に於いて、特に近代国家、もっと絞るとこの100年間。
昔ながらの生活をしている、
つまり自然と共に暮らしている人々を除いては、死の恐怖は極端に肥大化し、多くの人々は、死なない為に、ただ生きているという状態となりました。
そして今後の世界は、とにかく安全にという選択肢を提示して、その世界を多くの人々が支持するという構図が完成しつつあります。
結果、家畜のように管理され、挙句の果てには機械的に管理される世界へと確実に導かれて行っています。
つまり、人間の機械化を人々は無意識に選択させられているのです。ですから死の定義も書き換えられ、尊敬死からいずれ自由選択の死という、新しく死の定義がなされることとなるでしょう。
あるいはある一定の年齢になれば、生産性の無い人間、劣等とみなされた人間は、無用人間として処分される世界が来ると思います。
しかし、心配は要りません。何故なら、その時には死の定義は変化しており、死は怖いものでは無く、機械的なものとなっているのです。
僕が上記に記載したことは、そんなバカなと言うことではありません。すでに実際に社会的に経済的に政治的に世界的に確実に推進されています。
具体的に言えば、監視カメラ、マスクやワクチンの強制、強要、マイナンバーカードによる個人情報の一元化、マイクロチップ、ワクチンパスポート、電子マネー、医療による個人の身体的、精神的、過剰介入。
政治による思想への過剰介入、言論の統制、スマートシティ、ムーンショットへ、その過程における似非地球環境問題からの人口削減、抑制、さらに遺伝子改変による優勢化。
全てが嘘の世界に導かれ、個人という人間は消失し、単なる人間の機械部品化から、電子的仮想現実世界、つまり人間が電子の世界、素粒子の世界に導かれて行くということです。
これはもしかしたら、元の世界に回帰して、つまり素粒子から人間世界、そして人間世界から素粒子への回帰、さらに絶滅時の崩壊エネルギーを利用してのビッグバン、誕生のプロセスかもしれません。
まあ、全てがバカバカしいので関係なく、気楽に生きていきましょう。
ただ、物理的、五感の現実世界からは逃れられないので、それは観念するしかないな。
無症状という病気~消費される大衆
現代における病気とは何かと言えば、症状の無いことである。
だから、病気になる前に健康診断を受けるようにシステム化されている。これを予防医学と称している。
病気になる前に病気を発見しましょう。早期発見早期治療が必要です。これが予防です。(呼ぼう医学だ。おいでおいで待っているよ)
予防とは無症状のうちに病気を発見して、薬を投与し発症を抑えることとされている。だから会社に入ると、毎年のように健康診断がほぼ強制的に行われる。
おまけに希望すれば社会保険から補助がおりて、身体の隅々まで検査することが出来る人間ドックという港まで用意してくれる。
人々は、何の症状もないのに、病気が発見されると良かったと胸を撫でおろす。
お医者様や厚生労働省やマスコミは電波を通じて、”皆さん、健康診断を受けましょう。早期発見早期治療が大切です”
専門家はあなたにこう言います。
”あなたの身体も心もあなたにはわかりません。無症状を放っておくと深刻な問題を引き起こしましすよ”
一般の方もこう思っています。早めに病気を見つけなくては。悪化して病気になってから病院に行く人は迷惑だ。医療費を圧迫している。迷惑だ。自業自得だ。
僕はこう言います。
早期発見して、早期治療で病院に何十年も通って薬をせっせと飲んで、最終的に薬害により、病気が悪化して高額医療を使用しているあなた方が医療費を圧迫している。
病院に行かずに悪化した人は、それまで医療費をほとんど使用せず、悪化して病院で治療を始めた時点で初めて皆さんと同じ立場になっているのですよ。医療費を圧迫しているのは健康診断にせっせと通い。早期治療早期発見をして来た皆さん方です。
病院で治る病気は一切ありません。一生飲み続けないといけない薬とその副作用による薬剤性の病気は存在します。しかし、それは副作用で発病したとはみなされることはありません。
常に新しい病気として診断されます。そうやって病気は表から隠され深く潜航していきます。
さて、本当の予防とは何かというと、健康診断に行き、早期に病気を無症状のうちに発見してもらい、薬を飲むことではありません。
雨風をしのげる住居、適切な飲食物、適度な運動、太陽の光、仕事、良好な精神状態、家族関係、社会との関係など、このようなことを整えることです。
現代医学には無症状の病気が多数あります。
現代医学的には無症状=病気なのです。
高血圧、糖尿病、C型肝炎、高脂血症、慢性腎臓病(これは今CMで売り出し中です)、ガン、骨粗鬆症など他にも多数あります。
そして、3年前から登場した無症状の風邪があります。
この無症状の風邪は、たった一種類のウイルスを調べて風邪という診断が下ります。風邪を引き起こすウイルスや細菌は200種類以上あり、どれも変異していくにもかかわらず、そのうちの一種類があったからといって、その新型の風邪が風邪の原因だとは一切言えないにもかかわらず、ずっとそれを繰り返しています。
(鼻の奥に花粉がついているから、あなたは花粉症だと言われ、何の症状も無いのに予防薬を与えられて喜んでいる状態は悲劇の喜劇)
もし、アデノウイルスと新型の風邪のウイルスを調べて両方存在したら、どうやって診断するのでしょうか?いやライノウイルスやRSウイルス、旧型コロナウイルス、インフルエンザを調べ検出されたら、一体どのウイルスがその風邪を引き起こしたと証明できるのでしょうか。
実際に、この3年間インフルエンザは検査をしなかったので、激減しました。しかし、現在、インフルエンザの検査を再開したところ、流行していることになりました。
そもそもインフルエンザも本当にインフルエンザなのか不明なのです。なぜなら、他のウイルスの検査を行っていないからです。
全部マジックですよ。
無症状と言えば、ヘルペスウイルスはほとんどの人が持っており、無症状です。そして現在、帯状疱疹が流行しているとして、帯状疱疹のワクチンが進められています。
ヘルペスウイルスの検査をしたらパンデミックになるでしょう。
梅毒も同じです。どちらも身体が弱っている人が発症します。なぜ、今頃になって帯状疱疹が増えたり、梅毒が増えるのでしょうか。若者の性の乱れとかいい加減なことが言われていますが、今の若者は彼女も彼氏もいないうえに、接触せずこの3年間、引きこもっていたのです。
昭和の時代はもっと滅茶苦茶だったでしょう。AIDSはどこに言ったのですか?狂牛病は?結核は?無症状の結核はいくらでもいますよ。
そしてなぜ急に慢性腎臓病を言い出したのか?(薬を漫然と飲んでいるから腎臓に負担がかかり増えているんだろう)
なぜ子宮頸がんワクチンの再開なのか?
全く意味不明なことが行われています。
これから遺伝子診断がもっと導入されるでしょう。そうするとどこかの女優さんのように、乳がんになる前に乳房を切除するとか、無症状を超えた領域まで病気の概念が拡大していくでしょう。
(もう生まれる前に死ぬしか病気を防ぐ方法は無いな。抗ヒューマンワクチンの開発を急ぐべきだ)
実際に妊娠した時に、遺伝子診断は導入されており赤ちゃんに障害がある場合は命の選択がなされるようになってきています。
これは良いことと言われていますが、本当に良いことか考えてみてください。現在は出生率がものすごく低下し問題になっています。女性に限らず男性のも不妊の人が増えています。
遺伝子診断は、優生学に直結した話です。遺伝子診断の先には、優秀な精子と優秀な卵子を使用した子供を望む人が増えてくるでしょう。
不妊の人たちは、培養器でで子供を培養することとなるでしょう。欧米や中国ではもう始まっています。
その際、優秀な子供を創るために、優秀な精子と卵子、さらに遺伝子改変技術によりデザインされた子供を望むことになるでしょう。
つまり、どういうことになるかというと、一般庶民は子供が作れなくなるということです。なぜなら優秀ではないからです。もし作れる人がいれば、それはエリートに限られます。これは法律でそう定められる可能性があります。
なぜなら、そういう科学技術があるのに劣等な精子と卵子を受精させて赤ちゃんを誕生させる理由が全くなくなるからです。
もしあるとすれば、奴隷にするために生殖させるでしょう。
もっとも、ここで言う優秀なという概念は、学歴が高いとか、知能指数が良いとか、運動神経やルックスが良いとか、健康長寿である言う基準になると思います。
ですから、この優秀であるという基準が間違っていればこの方法は必ず失敗するでしょう。
この3年間で起こった人口減少と、今後訪れる不妊時代を考えると、これは意図的に起こし、劣等な人間を減らし、今後も生まれないようにして、優秀な遺伝子を持ったデザインされた人類だけにしようという、優生学に基づいた計画だと思います。
単に地球上の人間が増えたから削減しようということではありません。
さて、病気の概念に戻ります。
このような一般的な平均値から外れた優秀な人々は、現代医学の健康の数値からすると、基準値を大きく外れた人がいわゆる一流大学を出て、官僚や政治家になるわけですから、これは完全に病気なので、平均値に下げる治療をしなければなりません。
特に外国のエリート大学に行った人は重病です。
薬物の投与と入院が必要でしょう。
自分たちは優秀だと思い込んでいるので、矯正措置も必要です。あなたの子供の偏差値が異常に高く、東大に行きそうであればすぐに病院に連れていくか、早めに偏差値を平均値まで下げてください。
そうしないと官僚や政治家になり、国が重大な病気に罹り死んでしまいます。
無自覚ではいけません。
昨夜は、Thinker メンバーシップのZOOM ミーティング http://www.thinker-family-health.com/ だった。
以下はThinkerを主催の鶴田さんが述べた言葉ではありません。僕が捉えた言葉です。
Thiker は健康情報を中心に、社会的な陰謀論的視点から真相論、哲学的、スピリチュアル的な視点、さらに本質的な視点からこの世界を追求している。
思考を広げ、あらゆる概念(マジック)を外し、一体この世界はどういう仕組みであり、私たちはどうやってこの世界を理解し、どう生き抜くのか。
それが僕の中のThinkerである。
昨夜のテーマは”悪”についてだった。
シュタイナーの本にそのままズバリ、”悪について”という本があり、僕も以前読んだ。
一体悪とは何かというのは、一体善とは何かという問いと同じである。
僕はこのことをずっと考えてきた。
そして僕が現在たどり着いたのは、僕は善悪の概念と関係が無いということだ。
だから良いこととか悪いこととかも関係ないし、正しいとか間違っているとい考えも僕には全く関係ない。
そんなものは知らないということである。
だから、僕がこのところずっと言っていることにつながる。
”何事にも無関心で何もするなということ”
社会的、政治的、国際的問題などの大きな問題は放っておけということです。
そもそも、そこには問題など存在しない。問題にしたい力があり、それを情報として皆さんにメディアや様々な媒体を通じて、電子顕微鏡で拡大し、送り届けて皆さんをコントロールしているだけだ。
その方法は常に恐怖を伴う、そこには必ず”悪”を利用する。それも一方的な”悪”として送り届ける。
そして皆さんはそれを”悪”だと操作される。実際はそれが”悪”であるかどうか全く不明なのに、電波的に頭をハイジャックされた人々は何の思考も入り込む余地がなく、ただ脊髄反射(膝蓋腱反射)で反応しているだけに過ぎない。
真実は、その問題は問題ではなく、その問題を問題にしたい人が大問題だと言っているに過ぎない。
そのことに人々は全く気付く様子はない。なぜならそれは反射を利用していからだ。
悪と正義を利用した感情的、そして肉体的反射。そこに思考は全く存在しない。
そうやって人々はお互いに混乱しながら意味も何もない混乱と不毛な戦いに明け暮れて、気が付いたら死ぬ。
もちろん。それが悪いわけでもない、何しろ夢見心地で死を迎えるのだから。
物事に対して一般的に悪と言われていることに対して、自分が正しいと主張し、そのために活動することは良いと思われているが、
それは必ず悪になる。
なぜならば、誰かにとっての”善”は、誰かにとっての”悪”であるからだ。
これは善悪の概念を捨てない限りは、その先には、いつまでも混乱と争いしか存在しない。
だから僕は善悪の概念は関係が無いと言い。自分が正しいと思うことはするな。もっと言うと、何もするなと言っているのである。
無関心でいろ、介入するな、干渉するな。
自分軸を持てとかいう言葉がよく言われるが、僕はこの自分軸とか他人軸という言葉とも全く関係が無い。
うまり僕は善悪とのバランスをとることとも、自分軸と他人軸のバランスも関係ない。
とにかく関係ない。僕にはその言葉が存在しない。
無関心はいけないというマジックも僕には通用しない。
ただ、僕は自分の身の回りのするべきことを、ただやっている。
自分の周囲手に届く範囲について、手入れをしている。その範囲は僕が自分の中に世界を創り、それを外に拡大している。
そこにはなるべく争いが生じないようにしている。他人の人生には干渉しない。ただ毎日、治療家として父親として夫として友人として、僕という存在を表現している。
それ以上でもなければ以下でもない。
僕の言葉を聞いて、僕の考え方、行動を見て、誰かがどう思おうが関係ない。
何かを思うのは僕ではなく、僕を見た人の問題であって僕とは関係ない。
僕は人を社会をコントロールしないしするつもりもない。そしてコントロールされるつもりもない。
自己中とも関係ない。
以上の文章は読んでも全く理解できない人がいるかもしれないが、それにたいして、僕が丁寧に説明することも無い。
それはその人が自分で考えることである。
僕の考えを押し付けるつもりもないし、自己顕示欲もない、誰かに勝つつもりもない。
ただ、僕はこの世界を、時には悲惨に時には面白く体験しているだけなのです。
もしも、いやこの吉田の考えはおかしいとか、思う人がいるならば、例えば僕に言うのでは無く、それは自分の心が反応した感情なので、自分に問うことをお勧めします。
追記
僕も目の前で何かが起これば必ず動きます。さらに僕をみていろいろとやっているじゃないかと思う人がいるかもしれませんが、それはそうみえるだけで、僕は実際は何も行っておらず、とにかく無関心なのです。それをみて判断しているのは、僕ではなく、僕を見た人の、あなたの反応なのです。僕には関係ありません。