いやーばんばん過去の悪事が露呈していくね。
そしてそれからは結局逃れることが出来ず、本人にそのまま帰ってくる。
現世での出来事は繰り返される。
もう好きな歌も歌えないね。
権力と金を手にした人は政治家も経営者もしかり、芸能人もミュージシャンも善人も狂っていく。
ある程度何でも出来るようになった時に、欲望に負けるんだね。
人は弱いもんだ。
そして欲望から自分が狂っていることに気づかなくなる。
しかし、しでかしたことは、必ずまた本人に降りかかる。
ただ言えることは人間は誰しもが未熟であるということだ。だからいずれ痛い目に合う。
その後始末をきちんとつけるしか無いと思うね。
この世のシステムだな。このシステムを見抜いて、繰り返しから抜け出すことと、”無為自然”であることが大切なことだ。
”無為自然”
追記
私たちの社会では何か問題が起こった時に善悪の概念を持ち出し、どちらが正しいとかジャッジをして、その個人や団体あるいは一部の責任にして幕を引こうとする。
しかし、それは何の解決にもならない。
なぜそのようなことが起こったのか、加害者、被害者と言われる双方の背景がどうだったのか?
必ずそこに至る理由があるはずであり、そのことをお互いに考えて共有して癒していくことが必要だ。
一方的な問題であったとしても、生まれた時にナイフを持って生まれて来る赤ちゃんはいない訳であり、育っていく過程でなぜそうなったのかということを考える必要がある。
そうなると、悲惨なことが見えてきて、その人も被害者という視点も出てくる。
社会としてはやむを得なく裁く必要があったとしても、根本的な問題を置き去りにすることは、私は関係ないと思っている人も問題に加担している可能性もあるし(社会的歪がその人個人に重荷を背負わせている可能性もある)
あるいは自分がそうなっていたかもしれないという視点。
これが重要だし、社会的視点から抜けていることだ。
私たちの社会では何か問題が起こった時に善悪の概念を持ち出し、どちらが正しいとかジャッジをして、その個人や団体あるいは一部の責任にして幕を引こうとする。
しかし、それは何の解決にもならない。
なぜそのようなことが起こったのか、加害者、被害者と言われる双方の背景がどうだったのか?
必ずそこに至る理由があるはずであり、そのことをお互いに考えて共有して癒していくことが必要だ。
一方的な問題であったとしても、生まれた時にナイフを持って生まれて来る赤ちゃんはいない訳であり、育っていく過程でなぜそうなったのかということを考える必要がある。
そうなると、悲惨なことが見えてきて、その人も被害者という視点も出てくる。
社会としてはやむを得なく裁く必要があったとしても、根本的な問題を置き去りにすることは、私は関係ないと思っている人も問題に加担している可能性もあるし(社会的歪がその人個人に重荷を背負わせている可能性もある)
あるいは自分がそうなっていたかもしれないという視点。
これが重要だし、社会的視点から抜けていることだ。
社会的歪は必ず正常化されるために、表に出て症状(社会的混乱)を出します。これは身体の治癒反応と同じです。ひずみが多いほど、混乱の度合いは深くなります。日本は治癒反応が激しく出る時期のようですね。
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