ハッピー(吉田鍼灸指圧治療院から)

宮崎県都城市南横市町7879-2
0986-23-8531
社会と病気の関係について全てを解き明かしていきます。

無関心の勧め⑨ 真正バカ大人

2022-09-25 20:08:22 | 無関心の勧め
真正バカ大人
 
こんな個人的なことを記事にする必要などないと思われるかもしれません。
 
でも僕はこれは記事にしないといけないと僕の本能が言っているのです。
 
僕は治療院を流行らせようとか、収入を増やそうとか、有名になろうとか、同情してほしいとか、とにかく今の僕にはそんなことは一切興味も関心もありません。
 
こうやって記事にすることにより、僕と同じように苦しんでいる人の助けになれば良いとかいうことも、全く興味も無いし、関心もありません。
 
記事を書くのは全く個人的なものであり、それを公開するのも個人的なものであり、読んでくれるかどうかとか、どう思うかなどどうでも良いのです。バカだなと思われても全く関係ありません。
 
僕は僕に忠実であるということがもっとも大切なことなのです。
 
僕には保育園の頃の記憶はほぼありません。小学校に入学する時には、知能を疑われ、知能検査を受けることになり、校長室で他のもう一人の子供と知能検査を受けたのを強烈に覚えています。
 
その後、僕は普通学級に入りましたが、もう一人はなかよし学級に入りました。
 
僕は全く周りと合わせることが出来ず、ルールに縛られた学校は苦痛でしかありませんでした。当時の僕には不登校という選択肢は思いつかず不登校にはなりませんでしたが、学校から100m先に住んでいたにも関わらず、遅刻の王様でした。
 
当然、友達も全くいませんでした。
 
小学校一年生の時、剣道を習っていましたが、一年で辞めて野球部に入りました。しかし、野球部は一週間で辞めました。
 
そうやって小学校を意味も無く過ごし、やはり近くの中学校に入りましたが、学校に行っていたものの勉強に全く興味も無く、周囲とは全く合わせることが出来ないのは同じでした。
 
部活はテニス部に入りました。僕はビヨンボルグにあこがれていたのです。でも、いくら練習しても上手くならず、いつもイライラしてテニスラケットをマッケンローのように地面に投げつけていました。
 
顧問の先生からしょっちゅう怒られたものです。勉強はほとんどしないので、成績は最下位。
 
友達もおらず常に孤立して、僕は一匹狼だと言っていました。
 
高校に進学しても、勉強する気は一切なく、やはり最下位。これって本当に最下位だったのです。進学校だったので、どうして学校にいるのか意味がわかりませんでしたが、何故か中退せず卒業しました。
 
僕は感情を持っていませんでした。
 
大学はどこも受からず、その当時出来たばかりの私立大学に進学しました。何の目的も意味も無く大学に行きました。
 
大学では数名の友人ができました。大学は自由だったので、かなり楽でしたが、そのせいでほとんど大学に行かない状態になりました。
 
大学もろくに行かなかったけれど、何故か単位をとって、卒論を出して卒業し、これも何故か大きな企業に採用され就職しました。全て自分の意思などなく流されるように生きていました。
 
ちなみに卒論の題名は「意思決定論」でした。意思の無い僕が意思決定論とはギャグです。
 
何しろ夢も希望も何も無いのです。僕には何もかもがモノクロに見えていました。
 
これは小学生の頃からそうです。生きているだけ。何故なら、僕は周りに合わせることも出来ず、協調性もほぼ無く、勉強も追いつけず、コミュニケーションもとれない。だから、僕は小学校から中学、高校、大学、そして企業に就職してからも友達はいません。
 
正確に言うと大学時代の友達数名だけ、会社員時代の友達1名だけ、未だにつながっていますが、ほぼ会うことも無く話すこともありません。
 
神奈川が本社の会社に就職し、神奈川→宮崎→長崎と転勤しました。当時は給料も高くて大金を手にして、同期入社の寮仲間と毎晩のように飲み歩き、お金を散財しました。
 
一番楽しかったのは、海外に数か国旅行に行ったことです。
 
就職して事務系の仕事でしたが、仕事の内容に意味を見だせず、疑問だらけで僕は上司に反発してばかりいました。
 
その会社は9年務めましたが、無意味な仕事に嫌気がさして辞めました。そこで行われていた不正(多分どこの企業もやっている程度のことだが、僕には出来なかった)も僕には苦痛でした。
 
僕は組織で仕事するのは全く向いていないことが明らかだと自分で確信したので、自営業しかないと思い、叔父が治療院をしていたので、そういう仕事もいいなと漠然と思っていたので、鍼灸師になる為に、鍼灸学校に3年間通い、卒業して国家試験に無事合格して、すぐに開業しました。
 
そして現在開業して19年に至ります。通常は開業してすぐに開業する人はいません。国家試験に合格しても治療など出来るはずもありません。臨床経験の無いペーパードライバーです。これは医師も同じ。国家資格を取得しても治療などできません。
 
普通はどこかに弟子入りして何年も臨床をして開業するか、病院や整骨院などに就職するかのどれかです。
 
しかし、僕は弟子入りなど考えは全く無く、誰かの言う事を聞くことは僕には一切できないので(指示や言っていることを理解できない)、そうならないように、国家試験が目標では無く、国家試験に受かったら即開業出来るレベルになると決めていたので、開業ができたのだと思います。それと勢い。
 
僕は子供の頃から、お前は努力が足りないとか、根性が無いとか、だからダメなんだと散々言われて育ったのです。
 
しかし、僕は死に物狂いで本を読み、なんとか自分を変えなければいけないと努力してきました。それでも全く上手くいかず、コミュニケーションが出来ないので、人が怖く、極度の対人恐怖症で毎日が針の筵にいるような、この世界は僕にとっては地獄にしかすぎませんでした。
 
とにかく外に出る時はなめられない様に、常に睨み付けるように生きて何かあれば、喧嘩をするということで、
僕は毎日、本当にヘトヘトに疲労し、生きる希望も夢も気力も無く、何もかも嫌でした。
 
周囲には僕が必死に生きていても、根性無しとか、努力が足りないと思っているのです。お前はダメだ、お前はダメだ。
 
おかげで、僕は読書だけは小学生の頃から半端なくすることになりました。心理学の本を中心に、哲学や医学あらゆる分野を幅広く深く読み漁り、今日に至ります。
 
読書が半端ないということは、これだけは周囲の人も認識していたようです。
 
小学校から中学、高校、大学、会社員、治療家そして現代に至るまで、僕は自分を向上させようと死ぬような努力をしてきました。しかし、やはり漠然とした違和感とわけのわからないイライラに悩まされていました。
 
大学時代は学校に行かず、アルバイトをたくさんしました。新聞配達、バイク屋、テストドライバー、精肉店、野菜売り場、タバコ屋さん、宅急便、工場の倉庫整理など、しかしどれ一つまともに続いたことがありません。
 
はやければ3日、大抵3ケ月が限度です。同じペースで出来ないし、他の人と合わせることが出来ない、言われたことを理解できない。言われたとおりに出来ない。その行為に意味を見いだせない。そして苦痛になり続けられなくなるのです。
 
これは今でも同じです。僕は一般的な仕事は不可能だと思います。社会的には完全不適応です。
 
おそらく、僕は今の鍼灸師、治療家以外の仕事は何も出来ないと思います。
 
今の仕事を無くせば、ほぼ社会で生きるのは無理でしょう。もっとも家族がいるので助けてくれると思います(それは甘えていると大人は言うでしょう)。
 
助けてくれるひとが居なければ野垂れ死にしかないでしょう。仕方が無いことです。
 
でも大人の皆さんは、いや頑張れば何でもできるずだと言います。
 
僕ははっきり言います。
 
出来ません。
 
これは努力が足りないとか、甘えているという次元では無く、身体も心も動かず本当に出来ないのです。努力が足りないとかでは無く、僕はこれまで死ぬほど努力をしてきたのです。
 
その結果、2年前の様に僕は倒れてしまったのです(身体が硬直し言葉が出なくなりました。脳のどこかに損傷があるようですが、精密検査は拒否しました。今も呂律が回りません。そして左手がうまく動きません。これは微妙な感覚なので周りには気づかれていないと思います)回復まで一年かかりました。
 
上手く言葉が出ないときは、自分の中で少しイライラしています。
 
それで僕は完全に理解したのです。
 
僕は僕が出来ることしかできない。僕は自分の心に反することは一切できない。これは努力で乗り越えられるものでもなく、甘えている訳でもない。
 
僕はこの2年間でそう悟ったのです。そして僕はビジネスも、努力も、根性も、甘えているとかいう言葉も一切関係無くなりました。
 
自分を変える必要が無いことも理解しました。僕は僕以外の何物にも成れない。それが真実です。
 
一般的な社会認識とか社会通念とか、一般的な大人の考えを持っている人から、どれだけ僕自身が理不尽なことを強要され、追い込まれ、けなされ、僕がどれだけ地獄を見て生きて来たのか、一般的な大人の皆さんには、おそらく想像だにできないでしょう。
 
ここでも、いや俺はもっと大変だったけど乗り越えたとか、やはり甘えるなというように僕を説得したり、諭したりしたい人が出て来そうですね。以前はそうでした。立派な大人は僕をどうしても説得したり、諭したいようです。
 
頑張れば出来るとか、努力しろとか、全部嘘です。このような言葉を信じてはいけません。
 
自分が好きなことをしなさい。
 
僕は、過去の自分に言いたいと思います。
 
僕が言っていることを良く理解できる人と出来ない人がいるでしょう。僕の言うことがわかるあなたは、すこしこのことについて考えてみてください。
 
しかし、世間の常識的な大人とか言うバカは、俺はもっと大変なことを経験してきたんだぞとか、他の国にはもっと大変な人がいるんだぞとか、あの人に出来てどうしてお前にできないんだとか、俺が出来たんだから、お前にも出来るはずとか、全く意味不明な理屈であなたを諭し、説得し、無意味に責めたて追い詰めていきます。
 
このバカ大人は自分の一般的な常識が間違いないと思い込み、過度で極端な一般化を当てはめて、正しい振りをして、あなたをダメな人間だと思い込ませます。(浅はかで道徳を振りかざす、大人の都合と言う正義なのでその意識さえ無い)
何も知らないあなたは、自分の努力が足りないとか、もっと頑張らなければとか、あの人にできるのにどうして僕にはできないんだとなり、なんだか変だなと思いながらも、正論っぽい言葉の前に反論も出来ず、自分を責めて、何もかもが自分のせいだと思いこむことになるのです。
 
そしてあなたは罪悪感から生きる気力が無くなるのです。
 
僕はこういう場合、周囲と喧嘩ばかりしていました。しかし、喧嘩をしても、またその周囲にいるいわゆる常識的な大人から、説教されるのです。そして、やはり自分がおかしいのだとなんとか自分でこころをねじ伏せて、
結果、何も悪いことをしていないにも関わらず自分を変えようとあがき、努力して結局、自分以外の何者にもなれず、罪悪感の塊となるのです。
 
自分は自分であっていいのに、自分であることをとにかく否定されるのです。
 
通常の一般的な常識を持ったいわゆる大人は、自分の思考の浅さにも全く気づいていません、僕はこういう大人を“真正バカ大人”と言っています。
 
今、僕が言いたいのは、こういうバカは相手にする必要はありません。ということです。僕が子供の頃から持っていた、訳のわからない漠然とした違和感、怒り、イライラ、反発から喧嘩、無気力そして罪悪感の理由はここにあったのです。
僕が根性が足りなかったり、努力不足だったり、ダメ人間だったりした訳ではありません。
 
僕はこのことを悟りました。
 
そうして今、ゆったりと深呼吸をして青空や雲や鳥の声、綺麗な花が、まさに目の前にいきいきと、美しく、じっくりと観察することができるようになった訳です。
 
皆さん。世の中に、そして大人の都合に、一切騙されない様にしてください。嘘だらけです。
 
そして現在、まさに嘘社会が目の前に展開されているわけです。しかし、大人の都合で生きる真正バカ大人は相変わらず蔓延っています。
 
根性も努力も、自分を変えることもする必要はありません。好きなことをしていれば、その時、あなたはあなたになることが出来るのです。
 
自分を変えようとした瞬間から自己否定がはじまり、あなたはあなたでない人になろうとして、自分自身を見失い、さ迷い歩き疲れ果て、そのうちくたばり、人生を終わることになるのです。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 無関心の勧め⑧ | トップ | 無関心の勧め⑩ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

無関心の勧め」カテゴリの最新記事