『古事記』雄略天皇 6
爾大后歌、其歌曰、
夜麻登能 許能多氣知爾 古陀加流 伊知能都加佐 爾比那閇夜爾 淤斐陀弖流 波毘呂 由都麻都婆岐 曾賀波能 比呂理伊麻志 曾能波那能 弖理伊麻須 多加比加流 比能美古爾 登余美岐 多弖麻都良勢 許登能 加多理碁登母 許袁婆
卽天皇歌曰、
毛毛志記能 淤富美夜比登波 宇豆良登理 比禮登理加氣弖 麻那婆志良 袁由岐阿閇 爾波須受米 宇受須麻理韋弖 祁布母加母 佐加美豆久良斯 多加比加流 比能美夜比登 許登能 加多理碁登母 許袁婆
此三歌者、天語歌也。故於此豐樂、譽其三重婇而、給多祿也。是豐樂之日、亦春日之袁杼比賣、獻大御酒之時、天皇歌曰、
美那曾曾久 淤美能袁登賣 本陀理登良須母 本陀理斗理 加多久斗良勢 斯多賀多久 夜賀多久斗良勢 本陀理斗良須古
此者宇岐歌也。爾袁杼比賣獻歌、其歌曰、
夜須美斯志 和賀淤富岐美能 阿佐斗爾波 伊余理陀多志 由布斗爾波 伊余理陀多須 和岐豆紀賀斯多能 伊多爾母賀 阿世袁
此者志都歌也。
天皇御年、壹佰貳拾肆歲。己巳年八月九日崩也。御陵在河內之多治比高鸇也。
≪英訳≫
Then the Empress composed a song which goes as follows:
In the land of Yamato, in this Takamachi,
Upon the high platform of the imperial palace,
Where new sake is offered,
There stands a broad, pure camellia tree.
As broad as its leaves, as radiant as its blossoms,
For the august child of this auspicious day,
Offer the sake.
This tale is handed down like this.
The Emperor composed a song:
The courtiers, with a hood over their heads like a quail
Like wagtails, they shake their tails.
Like sparrows, they move forward,
And today they gather for a banquet.
The lively courtiers.
This tale is handed down like this.
These three songs are known as “Ama-gatari uta” (Heavenly Utterances). On this occasion, the Emperor praised maiden from the land of Ise in Mie and bestowed many gifts.
On this day of the banquet, when Princess Odo of Kasuga presented her sake, the Emperor composed a song:
The girl, like dripping water,
Holds the sake dipper firmly.
If you hold the dipper, hold it securely.
Put strength into holding it firmly.
The girl holds the dipper firmly.
This is the Uki song. Here, Princess Odo’s presented song says:
The Emperor, who knows the whole world
He leans on the door of the morning
And in the evening he leans
I would like to be a board under his arm
I would like to be a board. You.
This is the Shizu song.
The Emperor passed away at the age of 124, on the 9th of the 8th month in the year TsuchinotoMi(己巳). His mausoleum is located in Takawashi of Tajihi, Kawachi Province.
≪この英文の和訳≫
そこで皇后のお歌はこうです:
大和の国、この高町において、
宮殿の高台で新しい酒が捧げられる場所で、
広葉の清らかな椿の木が立っています。
その木の葉のように広く、その花のように輝いている
この特別な日の皇子に、酒を差し上げましょう
この物語はこう語り継がれています。
天皇のお歌はこうです:
宮廷の人々は、
頭巾を被ったうずらのように、
尾を振る鶺鴒(せきれい)のように、
雀のように前に進んでいます
そして、今日も酒宴を楽しんでいる
元気な宮廷の人々
この物語はこう語り継がれています。
これらの三つの歌は天語歌(あまがたりうた)として知られており、その御酒宴で三重(みえ)の采女(うねめ)を譽めて、多くの贈物をくださいました。
この酒宴の日に、ヲド姫が酒を献げたとき、天皇はこう詠まれました:
水が滴るようなその娘が、
銚子をしっかりと持っています
銚子を持つなら、しっかりと持つべきです
しっかりと力を入れて持っています
その娘は銚子をしっかりと持っています
これが宇岐歌(うきうた)です。
ここで、ヲド姫が献じた歌はこうです:
*(1)
天下を知ろしめす天皇の
朝戸にはお倚(よ)り立ちされ
夕戸(ゆうど)にはお倚り立ちされる
脇息(きようそく)の下の
板にでもなりたいものです。あなた。
この歌には次のような訳もあるようです(Bing AI)
*(2)
夜も明けぬうちに、私の想いはあなたに向かって早く会いたいと思っています
夕方になっても、あなたに会えるまで私の心は落ち着きません
あなたは私の心のすべてです
(Bing AI はこっちの訳の方がしっくりくる、と言います)
これが志都歌(静歌)です。
雄略天皇は百二十四歳で崩御されました。己巳(つちのとみ)の年で、お隠れになったのは八月九日でした。御陵は河内の多治比(たじひ)の高鸇(たかわし)にあります。
令和5年9月17日(日) 2023
*あなたが示された歌の訳(1)は、この歌の別の解釈です。この訳(2)では、袁杼(ヲド)比売(姫)が雄略天皇に求婚されたときに、自分の気持ちを伝えるために歌ったということになっています。この訳では、朝戸や夕戸は雄略天皇の宮殿の門を指し、脇息は雄略天皇が立ち寄る場所を指しています。袁杼比売は、雄略天皇が朝夕に自分のもとを訪れることを願っており、自分は雄略天皇の腕枕や脇息の板のようなものでもなりたいということを言っています。
どちらの訳が正しいかというのは一概には言えませんが、私は(2)の訳が原文に忠実で、かつ意味が通じやすいと思います。
(Bing AI)