30年前…私はどこで何をしていたんだろうか…。
阪神淡路大震災。
30年前、自分がどこで何をしていたのかまでは思い出せないけれども…テレビの映像に衝撃を受けたのを覚えている。
それまで、航空機墜落事故とか…昭和天皇の崩御とか…衝撃的なニュースをいくつか観てきた私だけれども、恐らく…地震による災害で、これ程大きな被害をテレビで観たのは初めての事だったように思う。
当時はまだ…ショッキングな映像もテレビでは流れていた。
覚えているのは…大規模火災となり、街中が燃えていた映像と、それを目前にして立ち尽くす人々。
そして、横倒しになった高速道路。
特に高速道路の横倒しには驚いた。
私自身、東京を離れるまでは…高架となっている関越自動車道沿いに実家があったから。
そして幼い頃から、首都高は当然よく通っていて…安全神話ではないけれども、倒れるという事を想像すらした事がなかったから。
どうしたら倒れるんだろう…手抜き工事だったとか?
あれはどうやって撤去するんだろう?
高速と一緒に落ちかかっている車に乗ってた人はどうなったの?
そんな事が次から次へと浮かんできて。
もちろん、手抜き工事でも何でもなく…それだけ地震の威力の強さ、恐ろしさを後々知る事になる。
当時、私は高校生位だっただろうか。
テレビで観る映像を前に、私も立ち尽くすしか出来なかった。
後から、神戸に住む遠縁の方が…家の下敷きとなり、亡くなった事を知る。
(それも火災にあったらしいが、恐らく私を思い…父が詳細を話そうとはしなかった。)
この時、漠然と思ったこと。
これじゃ…復興なんて無理だ…。
そう、感じた。
何者でもない私に、出来る事なんて何もなかった。
当時の被災者方の避難生活には到底敵わないが、私も当時は生きる為に必死だった頃で。
阪神淡路大震災の募金箱を見ても…1円や10円でどうにかなるもんか…私には何も出来やしない…そう感じていた。
どんどん膨らんでいく災害死亡者数に、実感がどんどんなくなっていく…。
街がひとつ消えたという事?
市がひとつ消えたという事?
あまりにも多い被災者の数に、全然頭がついていかなかった。
「これが夢なら…これが夢なら…」と泣きながら何度も言う被災者のおばあちゃんに、思わず私も一緒に泣いた。
炎の陽炎の前で、立ち尽くす人…しゃがみ込む人…横切る人…。
同じ日本で、何が違うというんだろう。
この世界は…何なんだろう…。
ちょうど自分はその頃、何の為に生まれ…何の為に生きているのか…思い悩む年頃でもあり、誰かを笑顔に出来るなら…こんな私が代わりになるのに…と思ったくらい。
しばらく…この阪神淡路大震災のニュースは続いた。
何度も何度も繰り返される被災状況に、自分の無力感を知らされた時期。
その後、もう一度泣く事になる。
被災地の復興。
新しい高速とその街並みがテレビに映しだされた時、泣いた。
復興なんて無理だ…と思っていた私にとって、復興出来たんだという事が、まるで夢のようで。
あれだけの被害があったのに、それを全く感じさせないくらい…素晴らしい街並みに復興出来たのは、それだけ諦めずに頑張った人が沢山いたからなんだと思ったら、私…何やってるんだろう…って。
生きる為に必死になってるのは、私だけじゃないんだ…と思ったら、安堵感よりも…強い焦りに似たような気持ち。
これだけ一生懸命に生きている人が沢山いたのに、私は何をしてきたんだろう?
私は何が出来てたんだろう?
恐らく…この頃から、私の信念も一生懸命から一所懸命に変わった。
何事にも全力で!常に全力で!
そういう信念を抱くキッカケになったんだと思う。
そして今思うのは…
あれから、東北大震災や熊本大震災、能登大震災等など…様々な震災が国内でも沢山あった。
地震だけじゃなく、広島や熱海の土砂災害や、あちこちの豪雨災害も。
その都度、自分に今できる事は何だろうか?
考えるチャンスを沢山もらった。
行動に移すキッカケを沢山もらった。
被災地の災害支援活動で、ありがとうと言われる事も多かったけれども、お礼を言われたくてしているのではなく、自分に出来る事がそれしかないと感じた私の無力さを埋める為だったのかもしれない。
中でも…豪雨災害での土砂の掻き出しは、自分の無力さを痛感した。
掻き出しても掻き出しても…全然先が見えない。
土嚢作りの得意な私でも1時間もすると、泥の重さで身体はバキバキになり…これを夕方までやり続けるのかと思ったら、もう帰りたいと思うくらい。
そんな私の弱さを見抜いたのか、家屋の片付けをしていたその家の子供が、「これ終わって家に帰ったら、お姉さんはお風呂に入れるんでしょ?いいなぁ〜帰れるお家のある人は。」と、私に問いかけた。
涙を堪えるのに必死だった。
悔しさじゃない。申し訳なさで。
そう、私達ボランティアは…帰れる家がある。
家に帰れば…電気も点くし、お風呂にだって入れる。
今日も疲れたなぁ〜!とか言いながら、布団に入って眠れる。
だけど、ここにいる人達は…そんな日常すら奪われてしまったんだ。
そう思ったら…全力でやり遂げなきゃいけない。
無我夢中で、今自分がやれる事を全力で。
その行動こそが、その問いの私の答えになるんだ…事実は変えられないし、身代わりにもなれないんだ。
そうして、手の皮が向けてもずっと泥を掻いて掻いて…なのに終わりは見えなくて。
でも終了時間になった時に、今度はその家の方が泣いて…「本当にこんなに綺麗にしてくれて助かりました!本当にありがとうございました!」と言われた時には…まだ全然泥が残っていて。
それでも、これが復興の第一歩なんだなと思ったら…私も帰りの車の中で泣いてしまって。
もう疲れた…もう行きたくない…そんな気持ちは、その子が言ったように…いつも通りお風呂に入ってる自分の罪悪感で、消えた。
けど、そのボランティアは毎日場所が違って…翌日は別の場所へ。
そこでまた1から泥の掻き出し作業。
正直…2日目と3日目が1番キツかった。
筋肉痛に襲われていたので。
でも、疲れたな…少し休みたいな…と思う度にずっと…あの子の言葉が蘇る。
帰れる家があるんだからいいよね…お風呂に入れるんだからいいよね…
その言葉がずっと私の活動を支え続けてくれた。
家に帰ったら帰ったで、子供達の食事の支度や洗濯等…家事に追われて休む暇もなかったけど…それが私の日常で。
私は日常を過ごしている訳で。
子供達の前では、絶対に疲れたと言わないように…その頃は意地でこなしてただけ。
でもね…今、思うんだ…。
あれだけ、東海地震が〜とか…東南海地震が〜とか騒がれてきたのに、何でここはまだなんだろう?って。
災害がおきて欲しい訳ではない。
ただ、うしろめたさというか…大変な思いをしている被災者の方はまだ沢山いて。
復興したくてもなかなか進まない地域もあるのに、私達は日常を送れている。
それが、どうしても納得いかなくて。
かといって…もし東海地震にしろ東南海地震にしろ…おきてしまったら…その時、私は復興に向けてよし!やるぞ!と思えるのか…。
日常を過ごしていた街並みが崩れてしまってる状況で、そう思えるのか自信はない。
明日は我が身…だけど、本当にこの子達を守れるのか?
そもそも自分自身、生き抜けるのか?
30年という年月を振り返り、その偉大さにたじろぐ私。
それこそ、今ならまだしも…これであと10年…20年後ともなると、私も年齢的にも体力はかなり低下してると思う。
その状態での復興がどれだけ厳しいものか…。
忘れてなんかいないさ。
心はいつでも共にある…
あの日から、30年後の現実は…多くの人に生き抜く強さを与えた。
未来を与えてくれた。
だから、負けない。負けちゃいけない。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
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