大学のカフェ。先日とは別のチョコレートケーキと缶コーヒーのBossを頂いてみました
仕事をしながら時々開く、本日のお供の本はこちら↓
(How to Solve Problems / Elements of a theory of problems and problem solving)
この本の目的は、「数学、科学、工学」の一般的な問題解決方法を提示し、
その知識を応用する能力を高め、効率よくこれらの学科を学べるようにすることなのだそうです。
この手の本は出来る限り曖昧さを排除して、言葉を尽くして説明をしていて面白いなと思い
最近時々手を出しております。
例えばこんな文ー>"To reconstruct the cube in three dimensions, one would simply cut out the outlined figure, turn the top flap over on the top and the bottom over on the bottom, and wrap the left side and back around to join up with the right side at the rear of the cube."
(*本にはちゃんと立方体の展開図が載っていて、どの部分がTop, Bottom ... になるか示してあります)
「How to Solve Problems / どのように問題を解くか」ということですが、
アインシュタインさんはこう言っていたようです。
「問題が分かれば、答えは半分分かったも同じだ」
本当にアインシュタインさんがそう言ったのか?と聞かれると、「分かりません」としか言えませんが
Web上ではそういうことになっているようです。
そこで思考はハムレットさんの有名なセリフ
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」にリンクしてしまい
ハムレットさんは答えは半分分かったも同じ状態だったのか?などと考えたりして。
(まぁ、確率的にはフィフティー・フィフティーなのだから、そうだったのかもしれない。)
でもこのセリフ、原文では "To be, or not to be: That is the question: となっているようで、
別に"The question is whether to live or die." と言っているわけではないようです。
「生きるべきか、死ぬべきか」とは、凄くパンチの聞いたセリフで、きらりとセンスの光る翻訳だなと思いますが
「このままでいいのか。いけないのか、それが問題だ」とか、
「在るべきか、在らざるべきか、それが問題だ」などなど、他にも色々なバージョンがあるようで、
意味的には「復讐をするべきか、せざるべきか」悩んでいる状況を表現しているみたいですね。
現在 "To be, or not to be" というフレーズは、進退を決めかねているときに使ったりするようです。
しかし例えばハムレットさんが「生きるべきか、死ぬべきか」を問うていたならば(例えばです)
「いかに生きるべきか」を問うた方がより良い解が導けるのではないかと思うのですが如何でしょう。
毎朝目が覚めて、「自分」を認識するのは何故か?何のためか?と、もっと抽象的に問うてみる。
その問いに、Religion では「神」「真我」を愛するためだという答えとその方法を教えてくれますが
特定のReligionにご縁が無かった場合、「自己の存在」を愛するためと考えれば良いのでしょうかね・・・。
客体の方ではなく、存在、魂を心から愛せるように。
もっと上手に、もっと愛せるはず。存在も、それ以外も。
精神と身体、色々なものを確認しながら、綺麗に飛びたいですね
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