ユィットガーデン

ユイトとその家族のスローでアクティブな日々を綴る。

USオープンテニス ツアー その2

2012年09月11日 16時11分29秒 | 海外旅行
その1以来中々次へ進めず、既に3日が過ぎた。
今日は、NYに着いた日から始めよう。
8月25日の午前に発って、NYに25日の午後到着。すぐにホテルへタクシーで行き、日本時間は真夜中だが、現地時間は夕方だし、少しでも時差になれるため、近くを散歩してコンビニ風マーケットでサラダ、ハイネッケン、果物、水など仕入れて帰る。
何だか、買いすぎたようで、余った。
泊まったモーガンホテルは、フリーインターネット接続が可能だったので、持っていたモバイルPCが役に立った。
早速、教えて貰ったパスワードをどうにかこうにか駆使してやっとネットにつながった、やった!!
それから、機内で聞いた翌日日曜朝のハーレム・ゴスペルツアーを検索し、「トミー富田」のツアーを申し込んでみた。
それが夕方だったし、ネットでは中々返事が来ないので、だめかと思った頃返信があり、最終確認電話を10時までに入れてくれとあった。
でも、その間こちらは朝方に当たり眠くてうとうとしたり、でもやっと目を覚ましてぎりぎりセーフ連絡取れた。
かくしてゴスペルツアーに行けることになった。
翌朝9:20にNYヒルトン1Fに来てくれと言うので、ホテルから20分くらいかけて歩いて行った。

中型バスでハーレムまで案内してくれた。
途中、ジョンレノンのダコタハウス、ポパイの店等、また日曜協会に参列する人人の車車で、ダブルパーキングと言って日曜だけ2列駐車が許されているそうだ。



これはまず、前日見たエンパイアステートビル


それから、ツアーバスから見たペニンシュラホテル。



トミー富田さんと彼の友人らしい有名人のフランコさんの路上兼シャッター画家?


これは、そのフランコさんがシャッターに描いた絵だそうだ。


ポパイの店だとか


また、マイケルジャクソン等がここから巣立ったというアポロシアターの前で、地面にはめ込まれた彼らのネームプレートをみた。




ゴスペル鑑賞した教会は、撮影は禁止、残念。 でも結構世界各国からの観光客が一杯で100人ではきかないだろう。
電子オルガン、ドラムの音もすごいが何と言っても黒人たちの声のボリューム、ものすごい迫力だった。圧倒された。
何かやはり鬱積したものをぶつけている感がした。同じバスに乗り合わせた女性は、自分もクリスチャンで教会に行くけど、まったく雰囲気が違うと云っていた。静かに説教という場面はなく、何か絶叫している感がした。

この後、もう1箇所トミーさんが違う教会に案内してくれた。ここのコーラスとサックス演奏がいいと。でも、終わっていて残念だった。

そして、ランチタイムは、「AMY RUTH」の店だ。
ここにはメニューに「トミー富田」という料理がワッフルメニューの中にあるのだ。ここではワッフルとフライドチキンを食べたのだが。これが、そのメニュー。富田さんにサインももらった。





それから、食後は解散だが、またNYヒルトンまで送ってくれた。
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USオープンテニス ツアー その1

2012年09月07日 21時16分21秒 | 海外旅行
またまた久しぶりのブログ書き込みになりました!!
暑い夏の最中にニューヨークで行われているUSオープンテニス観戦に行くことにしました。
8月27日の初日と2日目の日本人選手6人を見ようと、我々チョー格安旅行組は予約済みのホテル、USオープンのチケットを無駄にしてはならじと24日に到着すべく、日本時間24日に出発する筈でした。

しかーし、現実はチョ―厳しく、全日空もデルタも我々夫婦二人の搭乗を満席という名のもとに冷たく拒否したのです!
でも、人生捨てたものでもありません!おかげで成田の友人・ノモト家にほんとに数十年ぶり(?)にお邪魔して、旦那様の手作り料理に舌鼓を打つ栄誉(?)にあずかることができたのですから・・・・・。
また、翌朝奥様とも貴重な1時間昔懐かしいおしゃべりに花を咲かせ、その後空港まで送って頂くと云う、大変な歓待を受け、結局我々は飛行機に乗れなかったけど、「とてもついてたなー」というのが日本を発つ前の結論に相成りました!
という事で、旅行記の今日の部はこれまで。だって、ここまでまだ写真がないので...。
次回は、なんとかNYの写真をアップします。



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サンフランシスコ・レイクタホ旅行-10 最終日

2011年08月22日 12時16分48秒 | 海外旅行
さあパーティも終わったし、残すは後一日だけ。バニースの家にも7月29日よりLake Tahoeに行った2泊以外はすべてここに泊めてもらったから結局宿泊10日になる。これまで2~3泊は何回かあったが、1週間以上泊まったのは初めてだ。
この間、日本から持ってきた乾麺やちらし寿司の元等を使って色々日本食を作ったり、簡単な料理はしたが、それにしてもワインを飲みながら、毎晩遅くまでよーくおしゃべりしたなー。80歳のバニースもヨランダに劣らず、すべてのことに好奇心が強く、日本語も勉強したいらしく、和英辞書をもち、我々も電子辞書で時々調べながら英語でおしゃべりをしたり、時々日本語でなんというのとお互いの勉強に日々であった。

今日は最後に我々がバニースにご馳走しようとまた海岸沿いの別のレストランに出かけた。



私はやはり魚介類の料理とグラスワイン・ケンウッドのシャルドネ。


バニースは考えた末、サーモン料理と赤ワイン。メルロ―だったか、ソーヴィニヨンだったか。




shosoはハイネッケンとビーフステーキを。最後にアメリカンビーフだ。


外はちょうど日が沈む所。美しかった。




翌日、出発の前、バニースの食卓にて。記念に。この後バニースが車で空港まで送ってくれた。


そういえば今回サンフランシスコではほとんど日本人に会わなかったな。やはり地震の影響だろうか。若者があまり海外に出なくなったことが気になる。
帰りの飛行機はANA成田行きが早めにチェックインできてラッキーだった。
行きは、初めて羽田発JAL深夜便に乗ったが、ぎりぎりまで乗れるかどうか分からなかったかとを思えばよかったが、でも食事は私は今一だなあ。
でもとにかく長いようで短かった12日間の旅は終わった。娘に預けたユイトもとりあえず無事でよかった、よかった!





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サンフランシスコ・レイクタホ旅行ー9 ヨランダ誕生パーティ

2011年08月22日 11時16分49秒 | 海外旅行
今日は今回SF 旅行の最大の目的「ヨランダ90歳誕生パーティ」当日
パーティは娘のマーシャがダウンタウンのオペラハウス隣のビルを借りきってのビッグイヴェント!
夕方5:00開始だが、3:30位からヨランダ宅に集まって、ここから12人乗りリムジンで送ってくれるという。

ヨランダ邸に行くと、部屋は風船と花であふれていた。


現在のヨランダと若かりし頃のヨランダ


なんて美しいのだろう!


ヨランダのお祝いに来てくれた前の女性は95歳になるサンフランシスコ州立大元教授のドクターだそうだ。バニースが隣の町に迎えに行って連れてきた。


こちらはバニースとマーシャがグアテマラからの呼んだヨランダのいとこ。


私はヨランダの古い古いこのピアノを2年前に来た時ちょっと「エリーゼ・・・」を弾いたら、「あ、辞めないで。小学教師だったヨランダが協会かどこかから持って来たけど誰ーも弾いてくれない」と言ってたので、では今度来るとき是非よく練習して来ようと思っていたのだ。それで、実は数日前にこの誕生プレゼントのペンダントを持って来た時、ピアノ弾きたいと云うと、嬉しいと言って、譜面立てがあまり良くないので、譜面をずっと持っていてくれたのだった!「エリーゼ...」と「愛のあいさつ」を弾いて喜んで貰えてよかった。
せっかくなのでこの日も少しエリーゼを弾いた。でも実はこのピアノ調律していないのは勿論、更にペダルが固定していなくてうまく踏み込めないのだ・・・・・!でもとにかく弾いた、拍手してくれてよかった。





さあ時間だ、リムジンが来た。その前に家の前で風船を飛ばすと。'Make a wish, Reiko!' と皆に風船をくれた。
 



ヨランダの愛犬ホクシー嬢も見守る。

リムジンの中は、大半老人?だが。 和気あいあいと色々なおしゃべりが。
帰りも同じメンバーだったが、帰りはやはり東日本大震災を気遣って訊いてくれた。


さあ会場に着いた。


まずはカクテルタイム。8人ずつのテーブルが11~12位あるだろうか。100人位招待した企画者の娘のマーシャ、すごーい!!


途中ヨランダ達のテーブルへ行って写真を。ヨランダと貫禄出たマーシャ、右が孫のポール、左端は多分孫バレンティーナのボーイフレンド。この席にいると云う事は・・・・。


こちらは、マーシャが別れた夫イタリア人セルジオとその娘達。左がナディアで、右がバレンティーナ。二人とも美しく育った。別れてもヨランダの誕生パーティにはちゃんと呼ぶ。すごい!


孫のポールと踊りまくるヨランダ。ほんとに90歳?? ほんとに踊り続けた。


この一番手前の女性は、多分ポールのガールフレンドだろう。


この正面の女性は、ヨランダの姪で、LAから来たとか。ヨガのインストラクターをしているとかで、隣のフィルム関係の仕事をしているという旦那さんと踊りまくってたな。


マリアッチバンドを呼んでいて、終始美しい歌を聞かせてくれた。

我々の席にマリアッチを呼んで、「シェリトリンド」を歌ってくれた。


孫のポールもハンサムな好青年になった。父のレストラン「フレンチバイナイト」で頑張ってる。
でもヨランダのスタミナには恐れ入った。


こうして楽しいヨランダの90歳の誕生パーティは終わった。
グアテマラ出身でサンフランシスコで教師として生き、たくさんの留学生の面倒を見たり、敬虔なカトリック信者で、どこへ行っても小さい子を見るとその母とおしゃべりをしたり、その早口で頭の回転の速さには、どうしても90歳とは信じられない。
翌日会いに行くと、少しふくらはぎが痛いけどと云いつつ元気だった!







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サンフランシスコ・レイクタホ旅行ー8 

2011年08月22日 09時31分02秒 | 海外旅行
今日は、日系3世バニースの妹一家のいるローダイのワイナリーへ。
こちらは、妹ジューンの88歳のご主人は日系二世でご夫婦共日系だけに、バニースよりは広島なまりの日本語を喋られる。バニースよりは日本語が上手だ。バニースは日本語を話す機会があまりないから...。


近くにあるモンダビのワイン工場にジューンの養女のエリーが発酵学を学んだ研究者として努めているので、今日は日曜日だが工場の中を見せてくれるという。すごく広かった、機械は動いていなかったが。
その後、ワイン テイスティングに行く。


バニースは、赤白それぞれ1ケースずつ、エリーの社員割引で購入。我々は赤白2本ずつだが、何と合計がほぼ同額!!つまり、ケース買いが断然お得なのだ。それでも1ケース20ドルくらいだからねー、何をか言わん。どうして日本はあんなにワインが高いの?


1ケース買って船便で送れるか聞いたけど、後で確認できた事は、業者しか不可能だと云う事、残念!


帰りの道、道。ここは跳ね上がる橋。


ローダイはサンフランから3時間くらいかかるかな。帰りのベイブリッジは結構混んだ!



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