フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

私と妻の昔話 5 いま 1

2020-08-25 23:36:11 | 【過去】私と妻の昔話

 妻は私が帰ってくると、私につきまとって(言葉がきつかったらごめんなさい)、その日の出来事を、子供や孫や友達の話を、私に報告をします。

 私は毎日のことなんで、

 「ほぅ。そう。それで。へぇ。そうなんだ。」を繰り返しています。(真剣には聞いていません。それは妻も解っていると思います)

 それから、妻は私の健康のことに話が移って、

 「体の調子はどうネ。まだ、体が痛いト?  痛ければ仕事休めばイイヤロモ。」 

 「そういう訳にはいかないよ。おまえと違って仕事をしているのヤケン」と言った、妻は私の素っ気ない態度が気に入らなかったようです。

 続けて、「今日テレビでコロナに罹ったら重症化しやすい人の特集があってたけドガ、みんなyouさんは当っとうガ。コロナに罹ったら、youさん死ぬヨ。私は知らんケネ。近寄らんでネ」

「私に罹つさんでデネ」とテンションを上げてきました。

「俺は、おまえ罹つされても、仕様がないと思うよ。だって夫婦だから。一緒に生活をしていれば、罹したり、罹つされたりすることはあると思うよ。以前に、おまえから酷い結膜炎を移されても、おまえを責めたりしてはいないよ。どうしようもない話だと思うよ。まだ罹つってもいないことでケンカするなんて無意味じゃないか」と私は言いました。

 妻は納得していない。どうして、どこで、納得していないのかは解らないのだけど、30分後には二人で楽しく夕食をしました。

 


私と妻の昔話 3

2020-08-21 23:53:01 | 【過去】私と妻の昔話

 私は、それから暫くして、妻への思いを妻の両親に伝えるために、妻の実家を訪問しました。

 それまでに幾度か妻の実家を訪問していましたので、私のことは理解してもらっていたと思います。

 妻の父は、温厚で、いつも笑顔を絶やさず、口数の少ない、少し頑固な感じがする人でした。94歳になって足下が覚束なくなっても、庭いじりと畑仕事が生きがいの老人です。

 妻の母は、面倒見が良くて、おしゃべりで、妻の従兄弟や、妻の母が教えた生徒が、妻の母を訪れていました。多くの人に愛されていました。妻の母は今の私たちの年齢を前に肺がんで他界しました。

 妻は、若い頃は父親に似ているのかなと思っていましたが、今は、歳を重ねるごとに、妻の母親に似てきているのかなと思います。

 さて、

 私が席に着くと、妻から今日の私の訪問の目的を知らされていたらしくて、30分近く、両親は入れ替わり席をたって、なかなか話をする機会がありませんでした。

    ようやく2人がそろってから、私は姿勢を正し、両親に結婚を前提とした付き合いをさせてほしいということを伝えました。私の心臓はバクバクと音を立て、こめかみあたりの動脈がピシピシと痛んでいました。

    妻の父から、

 「付き合いについては認めるけど、2人はまだ若いのだから、今、結婚を決める必要はない。これから2人で考えていきなさい」というようなことを言われたと思います。

 (そりゃ、そうですよね。どこの馬の骨とも判らない大学生から、こんなことを言われても、いいですよとは言えない。もし私が娘の彼氏から、そんなことを、それも大学生の若造から言われたら、すぐに席を立って、部屋で泣いていたかもしれない)

 その後、私は妻の父の話を自分勝手に解釈をして、許しを頂いたと考え、友達たちの応援もあり、駅前の旅館で、大学の友達20数名を呼んで婚約披露パーティを開きました。(もちろん会費制です)

 そのときに、司会者役の友達から妻に対して、

「あなたは彼のどこが好きですか」という質問に対し、

妻は「優しいところです」と答えました。(ふむ、ふむ)

「その他には・・・・」

「うまく言い表せませんが、すこし影ががあるところです」と妻は答えました。」(エッ!!!!)

 私が、私の生い立ちや家族のことをあまり話さないことを、妻は、私の「影」と、とらえていたのかもしれません。

   私は司会者の質問に、

 「おおらかで、明るくて、自分と違って常識的な考え方ができるところ」と答えたと思います。(これは今もその通り)

 もうひとつ、

 「無口で、余計なことを喋らないこと」と答えました。

 (当時は、そう思っていましたが、これは全く違っていました。こんな人は観たことがないと思うくらいお喋りです。特に妻と2人暮らしになってからは、パワーアップしています)

 

 

続く

 

  


私と妻の昔話 4

2020-08-21 23:53:01 | 【過去】私と妻の昔話

妻の両親に結婚宣言(??)、婚約披露パーティ(?)の数ヶ月後、妻から、

「私の中学と高校の友達がYOUさんに会って話がしたいと言っているんだけど、会ってもらってもいいかな?」ということで、妻の実家で、妻の親友達5人と会いました。

 妻の友達は「妻が○○家の一人娘だということがわかっていて、しかも自分から結婚を申し込んでおいて、どうして養子にならないの」という趣旨の話を、次から次へと畳み掛けてきました。

 私は「僕は長男だから養子になることは出来ない。しかし、妻と妻の両親は、自分の家庭と同じように大切にしていくつもりだ」というようなことを繰り返していました。私は、妻の親友たちに、私の気持ちを論理的に説明しても、返り討ちに遭い、私が妻を失うか、妻が親友を失うだけだと思いました。結果はたぶん私が妻を失うことになると思いました。途中から、ただ黙って酒を飲み、妻の親友たちの話を聞き、酔い潰れてしまいました。

 妻の親友たちも、妻と妻の両親も、私の妻との人生に対する決意に対して懐疑的であるのは当たり前のことだと思います。妻の両親と彼女たちも、その時点で、私に対する信頼度はゼロで、自分の娘を、自分の親友を、将来も知れない男に、自分の娘、自分の親友の将来を託すわけにはいかないと考えていたのだと思います。

 


私と妻の昔話 2

2020-08-20 20:38:55 | 【過去】私と妻の昔話

 私は22歳の時に妻にプロポーズをしました。大学4年生の時です。

 北九州の居酒屋です。一足早く社会人になっていた妻のおごりです。(情けない) 

 「今は将来もわからない大学生だけど、必ずおまえを幸せにする。誓う。だから、おれの話を受け止めてほしい」

 「実は昨夜、両親にこの話もした。両親も反対をしていない。(反対はしていないが、心配はしていたと思う)」なんてことを妻に言ったと記憶しています。

 妻は、ただただ戸惑っていました。(当たり前ですよね) 

 そして、私は、たたみかけるように妻に迫りました。

 「近いうちにおまえの両親に、この話をしたい。勿論、今のおれには結婚をさせてくださいという資格はない。結婚を前提に、これから先、付き合いをさせてください、ということをご両親に了解してもらいたい」

 そこには、一人娘が他家に嫁ぐことをご両親がどう考えるかということが、私と妻との将来において一番の障壁になると考えていました。

 

(この顛末は後日) 

 

 

 

 

 


私と妻の昔話 1

2020-08-19 23:17:56 | 【過去】私と妻の昔話

 私と妻は、大学時代に知り合い、22歳の時に私が妻に一方的に結婚宣言をし、25歳で妻と結婚し、子供を3人授かり、今日に至っています。

 私は読書が好きで、小学生の頃から小学校の頃から図書館で本を読みあさっていました。中学生の頃は太宰治や島崎藤村や三島由紀夫に憧れて小説家になりたいと思った時期もありました。新潮文庫などの作品リストを手に入れて、片っ端から読み続けて、リストを塗りつぶしていた時期もあります。大学時代は、一時期、同人誌を立ち上げたときもありました。

 私の家庭は裕福ではなく、母が一生懸命に私の将来を支えてくれました。(感謝です)

 若い義兄にとっては、かなりの経済的な負担だったと思うのですが、大学進学のお祝いとして、ヤマハのクラッシックギダーを買ってもらいました。(これも感謝です)

 そして私は、大学時代、勉強そっちのけで、読書とキターの練習に没頭していました。

 妻は、国家公務員の父と幼稚園の先生の母を両親を持つ1人子として生まれました。妻は幼い頃からピアノを習い、そのままピアノ科に入学しました。

 妻との出会いの日々を経て、私は2人で大学の音楽棟に行き、妻が奏でるショパンの楽譜のページめくりをすることにに喜びを感じていました。

 結婚して、私が銀行員になった後も、妻は、50代半ばまで、ヤマハの教室と自宅でのレッスンを続けていました。妻の収入が私の若い頃の収入を支えてくれいました。しかし、妻の収入は、ほとんど私の飲み代に消えていました。(ごめんなさい)

これまでは前置きです。

 今、私は妻と2人で、ミスチルの「365日」と、エドシーランの「thikig out loud」「how would you feel」を弾けるようになりたいと思っています。

 20年ぶりに古いギターを出して、とりあえずコード進行(コードは覚えています)で弾いてみましたが、音がポコポコして綺麗な音は全く出ません。妻も、ピアノ教師を辞めた15年ほど前から、「メーリーさんのひつじ」みたいな曲を、時折、孫に弾かせてあげるだけで、ほとんど妻のピアノを聞いたことはありません。

 これから私と妻と2人で、この3曲を奏でることが出来るように頑張っていきたいと思います。問題が私にあることは十分認識しています。