2006.01.03
正月3ケ日の最後の日、明日から仕事です。
子供たちは、自分たちに残された最後の休日を楽しむために消え去っていきました。
私たちは遅ればせながら、二人で「三丁目の夕日」を観てきました。
昨日、天神の映画館で「三丁目の夕日」がまだ上映されていることを知り、飲み会のない日(正月から2週間はほとんど飲み会が入っています。というか入れています)に時間がとれたら、仕事の後でも妻と一緒に観に行こうかと、上映時間を調べていたのですが、
私が妻に、
「今日、何して遊ぼうか。どこかに出かける?」というと、
妻が、
「映画を観に行こうよ。三丁目の夕日」と言うのです。嘘みたいな話ですが、30年以上も一緒にいると、同じ事を考えていることが、良くあります。
というわけで、二人で観に行きました。
先日、「君に読む物語」を一緒に観に行ったときは、妻と私の泣くツボ、笑うツボが全く違い、私が泣いているときに、妻が笑っているのです。認知症のアリーが突然自分を失い、奇行を始めるのです。私はノアの心情に感情が同期していて、深い悲しみに胸がいっぱいでした。ところが妻はアリーの奇行を笑っていたのです。
その後、私は「あそこで笑うのはおかしい」と妻を責めたため、
「もう、youさんと一緒に映画やら観にいかン!」
と、言われたのですが・・・・。(そうですよね。私と妻が全く同じところで泣いたり笑ったりすることの方がおかしい。全く別の人格なのですから・・・・。)
話が逸れましたが、「三丁目の夕日」は時代設定が私と妻の子供時代と一致するため、自分や兄弟や家族の実体験が、よみがえりました。「一平」や「淳之介」の体験が自分の体験であり、「六子」や「ヒロミ」の体験が兄弟や親しい人の体験であり、「トモエ」や「則文」や「茶川」などの大人達の体験が父や母やその時の大人達の体験なのです。
泣きました。目が赤くなるくらいに泣きました。声を抑えるのに苦労しました。最近では覚えがないくらい涙を流しました。今でも映画のシーンを思い出すと目頭が熱くなります。
妻も泣いていました。お互いに感動を共有できることは素晴らしいことですね。
「三丁目の夕日」に感謝です。