フロムYtoT 二人に残された日々

私と妻と家族の現在と過去を綴り、私の趣味にまつわる話を書き連ねたいと思っています。

父への日記

2020-10-20 00:08:05 | 【過去】私の過去

 今日は帰りが遅くなり、孫たちがいなくなったらギターの練習をしようと思っていたのですが、食事をして自室に戻ったのは10時近くで、近所迷惑になると思い控えました。週に2回から3回は練習をしていて、左手の指にタコができはじめているのですが、まだコード進行がスムーズにできるレベルにはありません。

 過去の日記を見ていて、この日記をコピペして更新をしようと思い、投稿しています。

 父は90歳で他界しました。その前は、母が父の介護で体を壊し、父は老人ホームに入っていました。時折、母や妻や子供や孫を連れて訪れていたのですが、体調を壊して亡くなる前に母と妻と訪れた時に、

 「おまえ、今、なんしヨウトカ。名刺もっとるならクレンカ」というのです。

 休日なので名刺入れは持ってきていないのですが、免許証入れに万が一のために名刺を入れていたので、父に渡すと、父は大粒の涙を流しました。

 それが父の意識がある前に見た最後の姿でした。

 以下は私が父への想いを50歳前半の頃に書いた父への日記です。

 

父さんへ

 この手紙をお父さんに読んでもらおうとは考えていません。お父さんは、40歳代後半から30年以上の間、良き夫であり、良き父親、そして僕の子供達にとっての良き祖父でした。ですから30年以上も前のことを蒸し返して、80歳を超えたお父さんを悲しませるようなことをするつもりはありません。

 僕たちが子供の頃、お父さんは、とんでもない夫でした。父親としても失格でした。

  酒乱で、女癖が悪くて、博打が好きで、意志が弱くて、家庭を顧みることはありませんでした。

  酔っぱらっては、お母さんに暴力を振るい、家を飛び出し、酒と女と博打に現を抜かし、放蕩のかぎりを尽くし、すってんてんになってお母さんに泣きを入れる。そんな時代がありました。

  お母さんは、時には怒って、時には泣きながら、

  「you。お前は大きくなってもお父さんのような家族を泣かせるような人間にはなってはダメよ」

  「you。お前はお父さんとは違うんだから、家庭を大事にして、真面目で立派な大人になりなさいヨ」

  と何百回となく、僕に言って聞かせました。しかし、大人というものがどういうものか理解できない自分にとって、お母さんの言葉は、ただ単に自分の将来に恐怖を抱かせるものでしかなかったような気がします。

「お父さんの子だから、自分もお父さんのようになるかもしれない」

「お父さんのようになってしまったら、どうしよう」

 僕はそんな恐怖心と戦いながら、それからの人生を生きてきました。

   今になって考えてみれば、それはそれで僕の人生にとって良かったのだと思っています。

 お父さんの子供だったから、その恐怖心と戦いながら生きてきたからこそ、今日まで自分は幸せな人生を送ることができたのだと思うのです。


「セカンド ステージ」

2020-10-12 23:40:42 | 【過去】私の過去

 以下は私が50歳、20年近く前に妻に書き連ねた日記です。このときに考えていたような人生は歩んでいませんが、妻とはケンカをしながらも仲良くやっています。

 私は心理学でいう「自我同一性の確立」を果たしたのでしょうか。私は67歳に近づいていますが、自分が何者かについて、自我同一性の確立を果たしたかどうかについて自信はありません。未だにフラフラと思い悩んでいます。

 まあ、人生とはそんなものだと思っています。

 

「セカンド ステージ」平成十五年十一月一六日

僕は後一ヶ月余りで五十歳を迎えようとしている。 

 小学生の頃、僕は社会科の先生になりたかった。建築家になりたかった。

 中学生の頃、僕は小説家になりたかった。映画監督になりたかった。

 高校生の頃、僕は自分が嫌で嫌で仕方なく、自分自身を見失っていた。

大学生の頃、僕は商社マンになって世界を駆けめぐりたいと思っていた。

 おまえと出逢うまでの僕の将来の夢と言えばこんなものだったと思う。

 中学生の頃からおまえと出逢うまで書き続けてきた何冊もの日記帳も、今では何処に行ってしまったのかも分からなくなって、その頃の自分の心の中を覗くことはできなくなってしまった。

 これまで、仕事にかまけて家庭を顧みず、時には目的と手段が入れ替わってしまって、おまえにつらい思いをさせたこともあったと思う。しかし、結果から言えば、銀行員として、そこそこの出世もしたし、お互いにとって、まあまあの、これまでの人生であったと思う。

 僕はこのまま銀行が奨める出向先で、第二の職場で、これからの人生を送るべきなのだろうか?確かに経済的な問題はある。銀行が奨める第二の職場の方が、おそらく安定した生活が望めるであろうし、それはそれで有意義なのかもしれない。しかし、人生の終わりを迎えるとき、僕は自分の人生を振り返って、満足のいく人生であったと、心から思えるであろうか。僕は自分の人生に及第点を与えることができるであろうか。

 こんなことを言っていると、「相変わらず、馬鹿なことばかり考えている。人生なんて点数をつけるようなものではない」と、困った顔をしているおまえが目に浮かぶようだ。

 しかし、二度とない人生を、病気や事故に見舞われることさえなければ、まだ二十年以上も残っているこれからの人生の大半を、銀行からのお仕着せの仕事で費やしてしまいたくはない。

 これまで僕は自分の人生は自分で切り拓いてきた。人生の終わりを迎えるその日まで、自分の人生は自分だけのものであるという実感を抱きながら生きていたい。勿論、最愛の妻であり、僕の人生の拠り所であるおまえを蔑ろにするようなことはしない。おまえに対するリスクは最大限に回避しながら、これからの新しい人生を創り上げていきたい。

 人と優しく関わる仕事に就きたい。地位とか名誉とか金銭とか、そんなこととは無縁の世界で、これからの人生を過ごしたい。人との利害関係が対立する職場で、自分自身にそのつもりはなくても、結果的に他人を裏切ることとなったり、また、他人から思わぬところで陥れられたり、梯子を外されたり。そんなことで自分の心をすり減らすことには、正直に言ってウンザリしている。少年ではないのだから、そんなことは社会人として生きていく以上は、避けられないことであることは十分理解している。しかし、人に優しくすることで、これからの生活の糧を得られることができたら、どんなにか素晴らしいことだろうと思う。僕は、これから二十年は働く。

 今までの、おまえを好きになり、おまえと結婚し、銀行員として頑張ってきた人生とは違う、自分のための人生、自分の心にも優しい人生を精一杯生きてみたい。自分の第二の人生に悔いを残さないように思いのままに頑張りたい。これからの二十年を、今までの自分とは違う生き方で過ごしたい。

僕は今、自分のセカンドステージの目標として、臨床心理士を目指そうと考えている。

十一月十八日

 これから自分のための人生を送るためには、銀行からのお仕着せではない人生を過ごすためには、資格が必要だ。自分の経験を活かすとすれば、公認会計士、税理士、司法書士、行政書士、社会保険労務士といったところだろう。しかし、どれも今までの仕事と本質的な違いはない。僕の性格からすれば、また、人一倍、頑張ってしまい、結果的に人を傷つけたり、自分が傷ついたりしてしまう。おまえは「第二の人生だから、精一杯頑張らずに、肩肘張らずに、これまでの自分の人生を活かした職業で気楽にやればいい」と言うだろう。 しかし、おまえも知っているとおり、僕には多分それができない。

十一月十九日

 おまえは僕が十九歳の時から僕のことを見続けているので、良く分かっていると思うけれど、僕は若い頃から、哲学とか、心理学とか、そういった人の心に関わるような分野に興味を示していた。ここ何年かの間では、アダルトチルドレン、多重人格、脳の仕組み、男と女の違いを説いた本に熱中していた。僕が何故そんなことに興味を示すのか。それは多分、未だに自分自身の存在に自信を持てないでいるからだと思う。心理学の用語で言えば「自我同一性の拡散」。そんな状況を未だに引きずっているのかもしれない。自分が自分であることをいつも否定している。自分の存在の唯一の拠り所は「おまえ」でしかない。しかも、そのことについても時折不安になる。

 おまえのことだから、もうすっかり忘れてしまっているかもしれないが、随分と昔、お互いにまだ若い頃、おまえが僕に、「あなたは生き急いでいる。」と言ったことがあった。確かにそのとおりで、僕はいつも焦燥感に駆られながら人生を生きている。

 僕が臨床心理士を目指そうと思った背景は幾つもある。

十ニ月一日

 「アダルトチルドレン」

 「アダルトチルドレン」という言葉は、本来、アルコール依存症家族のなかで育って大人になったアダルトチルドレン・オブ・アルコホリックスに由来する。また、現在では家庭がうまくいっていない「機能不全家族」に育った子供(アダルトチルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー)にも適用される。」

 「アダルト・チルドレン」は、心理学や精神医学の分野では精神的な障害として認められていない。また、自分自身、自分が精神的な障害を患っていると思えるほどに病的な状況にあると考えてもいない。しかし、「アダルト・チルドレン」の心理的な特徴としてウォィティツが示した十三の「狭義のアダルトチルドレンの特徴」は、大半が自分にあてはまると考えている。

「アダルトチルドレンに認められる十三の心理的特徴」

①正しいと思われることに疑いを持つ。

②最初から最後まで、ひとつのことをやり抜くことができない。

③本音を言えるようなときに嘘をつく。

④情け容赦なく自分を批判する。

⑤何でも楽しむことができない。

⑥自分のことを深刻に考えすぎる。

⑦他人と親密な関係をもてない。

⑧自分が変化を支配できないと過剰に反応する。

⑨常に承認と賞賛を求めている。

⑩自分と他人は違っていると感じている。

⑪過剰に責任を持ったり、過剰に無責任になったりする。

⑫忠誠心に価値がないことに直面しても、過剰に忠誠心を持つ。

⑬衝動的である。行動が選べたり、結果も変えられる可能性があるときでも、お決まりの行動をする。その衝動性は、混乱や自己嫌悪や支配の喪失へとつながる。

 そして、混乱を収拾しようと、過剰なエネルギーを使ってしまう。

 また、ジョーンズのアダルトチルドレンと認定するスクリーニング・テストの十五項目についても、全てではないにしろ大半が自分にあてはまると考えている。

 「ジョーンズのスクリーニングテスト」

①あなたの両親のどちらかに、飲酒問題があると思ったことがありますか。

②親の飲酒のために眠れなかったことがありますか。

③親の酒を止めるように勧めたことがありますか。

④親が酒を止められなかったために、独りぼっちに感じたり、おびえたり、イライ ラしたり、怒ったり、失望したりしたことがありますか。

⑤飲酒中の親と口論したり、喧嘩したりしたことがありますか。                                                                                  ⑥親の飲酒が理由で、家出すると脅したことがありますか。

⑦あなたの親は、飲酒してわめき、あなたや他の家族を殴ったことがありますか。

➇両親がが酔っているときに、両親が喧嘩するのを聞いたことがありますか。

 ⑨飲んでいる親から、他の家族を守ったことがありますか。

 ⑩親の酒瓶を隠すか、中身を流して空にしたいと思ったことがありますか。

 ⑪飲酒問題のある親が起こすいろいろな困難について思い悩みますか。

 ⑫親が酒を止めてくれたらどんなによいだろうと考えたことがありますか。 

  ⑬親の飲酒に関して自分自身に責任があると思ったり、罪悪感を持ったことがありますか。

  ⑭アルコールのために両親が離婚するのではないかと心配したことがありますか。

  ⑮親の飲酒問題に関する当惑や恥のために、戸外の活動や友人たちとの付き合いを避けて引きこもったことがありますか。

 僕は多くの部分で当てはまる。つまり、僕は「アダルトチルドレン」なのだと思う。

十二月四日

 とは言え、僕は精神障害者でもなければ、性格異常者でもない。母や姉やおまえや、僕を支えてくれた人たちのおかげでもあるけれど、しごく全うに生きている。「アダルトチルドレン」とは、心のあり方であり、自分自身の認識の問題であるのかもしれない。しかし、たぶん、おまえの言うとおり少し変態気味であるかもしれないが、社会に害を及ぼすような精神状態ではない。


愛するということ 3

2020-08-30 18:39:22 | 【過去】私の過去

 若い私は、愛についても、幸せについても、何も理解していませんでした。ただ自分が頑張って、母を幸せにしたいと思っていました。母から、「好きな人ができたら、私じゃなくて、その人を泣かせないトヨ」と言われたときは、母から突き放されたような寂しさを感じていました。

 大学生になって、妻を愛するようになって、ドイツやフランスの、いくつかの心理学者や哲学者が書いた「幸福論」や「愛について」の本を読みました。その大半は聖書の話などを引用しているもので、どうしても私には馴染めないものでした。

 そんな中で、私はエーリッヒ・フロムが書いた「愛するということ」という本に出会いました。

 エーリッヒ・フロムは、ユダヤ系ドイツ人で、新フロイト派の中心的人物です。代表作は「自由からの逃走」という本ですが、1956年に出版された「愛するということ」は、世界中で翻訳され、日本では1959年に出版されています。聖書から引用した部分もあるのですが、

 その本の中で、

 まず、愛は受動的なものではなく、能動的な活動であり、自らが踏み出すものであり、愛は与えるものであり、愛は 与えられるものではないと論じています。そして、与えるということは、何かを犠牲にしたり、何かを諦めたりすることではないと強調しています。

 次に、愛するためには、その技術を学ばなければならないと主張しています。そして、学ぶべき技術とは、「配慮(相手を積極的に気にかける。気遣い)」「責任(相手が求めてくることに積極的に応じる)」「尊重(相手の気持ちにたって相手の意見を聞く)」「知(相手のことを深く知ろうと努力する)」という5つの要素であるとの述べています。

 最後に、愛するためには、この技術を一生をかけて実践し、習得しなければならないと結んでいます。

 この本は私が手に入れた時は黄色で、今は新訳の白い装丁しか手に入れることは難しいようです。私は両方を持っていますが、マーカーで線を引き、付箋を貼り、ボロボロになった黄色い装丁の本をめくるたびに若い頃の想いがよみがえります。

 私は若い頃からエーリッヒ・フロムが唱える愛する技術の習得に努力をしてきましたが、愛する技術を習得することは難しい。すこし、諦めています。しかし、私の若い頃の人生の指針になったことは確かです。

 これは、双方が同じ想いを抱いて人生を送ってこそ、実現可能な理論です。

 妻にそんなことを話しても、

 「youさんだけ頑張って。私はムリ」と言われるに決まっています。

 この年になったから言えることですが、「エーリッヒ・フロムは、自分自身が唱えた愛する技術を習得したのかナ。そんなことはないよね」なんて・・・・。

 (ごめんなさい)

 

 


愛するいうこと 2

2020-08-28 22:34:04 | 【過去】私の過去

  若い頃、私は自分が、父と同じような人生を送るのではないかと怯えていました。

  母に誓ったように、私は父と同じ人生は送らないと、愛する人と愛する人との子供たちを大切にしながら、人生を健やかに過ごしたいと強くおもって生きてきました。しかし、若い私は、父の血を引く私は、それが自分に実現できるのであろうかと、自問自答を繰り返し、父のような人生を送るのではないかと、心をすり減らしてきました。

 それから40年近くを経て、私は、父とは違う人生を生きてきました。


愛するということ 1

2020-08-27 22:55:00 | 【過去】私の過去

 私の父は若い頃、とんでもなく放蕩を重ねていました。飲んで酔っ払って、女性と関係を持って、雲隠れするの繰り返しでした。父は旧制中学時代(未成年!!!!!!!!!)に子供をもうけ、旧制中学の卒業を直前にして退学。その後も、また、別の女性との間に子供ができています。それが私の姉と兄です。(この事件は地元では有名な事件で、後日、私が勤め始めた後、ある取引先の、父と同年輩の社長から、もしかしてと話をされて、私はそうですと答えましたが、血の気が引く思いでした。)

 私は、若い頃は、父を軽蔑し、父のような、おろかな人生は送らないと、思い続けていました。

 父が最後に放蕩をやらかしたのは、たぶん、私が中学生の頃だと思います。父と母の諍いのあと、母は顔をうなだれて泣いていました。父は昔のように母に暴力は振るいませんが、家を出て行ってしまいました。

 私が、

 「お母さん。これから僕が頑張って、お母さんを幸せにするよ」

 というと、

 母は、

 「youさんは、お母さんを幸せにするのではなくて、これから大きくなって、好

 きな人ができたら、その人を幸せにするトヨ。お父さんみたいに、好きな人を泣かせないトヨ」と言われました。

 その当時は母の言葉が理解できなかったのですが、今となっては、母の気持ちが、よくわかります。