今日は午前中の出勤で、そろそろ退社をしようかと思っていたところに副理事長がやってきて、
「youさん、言いにくい話なんだけど、官庁への申請事務も三月末で一区切りつくと思うので、三月末で退職してもらえないだろうか」というのです。
やっぱりその話かと思いました。週に二日、しかも一日四時間の勤務では責任ある仕事はできません。仕事といえば、担当者が解らない事項の相談や、出来上がった資料のチェックぐらいで、時間ができた時にはネットを観ています。
「私は指示にしたがいます」と答えました。
自宅に戻って帰って、takaちゃんに報告すると、
「youさん、良かったやん。銀行時代も、今も身を削りながら仕事をしてきたんやけん、もうゆっくりせんと」と歓迎をしてくれます。
私の社会人としての人生は、銀行時代も今の職場でも大きなプロジェクトを担当することが多く、達成感のある仕事を任されました。その間、不眠不休で仕事をしている私をtakaちゃんは支えてくれました。
銀行時代が三十年、今の会社が十八年余り、五十年近くになる社会人としての私が、三月末で終わりとなります。少し、寂しい気持ちはありますが、これからはtakaちゃんと楽しく余生を過ごしていきたいと思っています。
本日は早朝から、わたしが一昨年の八月まで在籍していた総合病院で、眼科、肝・胆・膵内科、糖尿病内科を半日がかりで受診しました。この病院の立上げ者として、先生たちも私に気を使ってくれます。結果は良好で、受診した結果は、眼科は緑内障で、眼圧は正常で視力も変わりなし、肝・胆・膵内科、糖尿病内科関係は、一時的にγーGTPが300近くまで上昇していたのですが許容範囲の90まで回復していました。
眼についてですが、私の視力は右が1.2、左が1.5と普通の人よりかなり視力は良いのです。(70歳という年齢から老眼鏡は離せません・・・・)ただし、左目だけを閉じると右目の左目頭から下瞼にかけて黒っぽい影が見えるのです。眼の中心部は影がないので視力検査にはあまり影響がありません。(皆さんも一度片目を閉じて、影があるかどうかを確認してみてください ) また、緑内障の原因は高い眼圧にあるとされているのですが、眼圧が正常でも緑内障になることはあるのらしいのです。(怖い)
最初は視力の良さを武器に、医者の言うことを気にもしていませんでしが、左目と比較して右目が見づらいということは事実でした。おそらく眼瞼下垂が原因と思い込んで手術もしましたが、それでも少しずつ右目の黒い影は拡大しています。緑内障は突然視力を失うことで知られています。右目はそのうちダメかも。(しかし、97歳の義父が我が家にきてから、我が家の近くの眼科を受診したのですが、その時に初めて義父の左目が失明していることがわかりました。それまで義父は自分の左目が失明していることを知らなかったそうです。実家近くの眼科にも受診していたそうですが、一度も右目が失明していることは知らされていなかったそうです。今でも毎朝必ず新聞を読んでいます????片目だけでもなんとかなるのですね)
私の家系は糖尿病の家系です。父、母、姉、叔母は糖尿病でした。父と母は九十歳まで生きましたが、姉と叔母は糖尿病が主因で早世しました。私も五十歳を過ぎてから血糖値があがっていきました。六十歳を過ぎると薬を服用するようになりました。その頃は、糖尿病の初期的な状況で、糖尿病関連の薬を数種類処方してもらい、なんとか悪化せずに、その後もインシュリンなどの薬剤は処方されることはありませんでした。
その後、一昨年の春過ぎから座骨神経痛と思われるひどい腰痛を患い、整形外科を受診したのですが、病名は座骨神経痛とのことで痛み止めの服用とシップで4カ月ほどが経過しましたが、効果は診られず、痛みと闘いながら過ぎていきました。先生が変わって初めてレントゲンを撮っていただき、手術が必要なほど強度の脊椎間狭窄症とヘルニアの合併症が痛みの原因だと診断していただきました。
その際、服用していただきました神経障害性疼痛薬はよく効きました。加えてリハビリに一カ月通い、リハビリも私にとっては初めての経験でしたが、それまでネットで仕入れた知識で私がやっていたストレッチは間違っており、悪化させるようなストレッチであることがわかりました。やはり専門家が教えてくれたストレッチは効果的だと納得がいき、その時の経験をもとに今でも続けています。時折チリチリと痛むのですが、シップでなんとか抑えられています。先生と相談して、神経障害性疼痛薬も二カ月前からやめています。肝・胆・膵内科の先生も数値が悪くなったらまた来てくださいとのことで、ピーク同時に5診療科のお世話になっていた私が、上部内視鏡と下部内視鏡と脳のMRIもここ一年以内に終わらせていますので、久しぶりに眼科と糖尿病内科の2診療科の受診に戻りました。これは一生付き合っていくのだと思っています。
私が「γーGTPの数値が急に上がって急に落ち着いたのは神経障害性疼痛薬の副作用じゃないですか」というと、笑いながら、
「常務(わたしの旧役職名)、お酒が原因です。お酒を控えてくださいね。これからも・・・」
名医ですね。
本日はtakaちゃんと、「丸源ラーメン」で昼食を食べた後、義父が入居を予定している施設に介護ベッドが入ったので、ベッドの寸法と部屋の寸法を測りに行きました。というのも部屋が狭いので、実家にあるテレビ台や水屋などの収納家具は大きすぎて入らないと思い、新しく収納可能な家具を買いそろえる必要があると思ったからです。その通りでした。一番広い部屋なのですが、それでも狭い。ネットで揃えるべき家具を検索して、これから揃えていこうと思っています。施設の方も「直接施設に送っていただいても良いですよ」と言われるので、そうさせていただこうと考えています。
97歳の義父は一人娘にできるだけ資産を残そうと思っているので、自分のための散財はできるだけ避けたいようです。(父が残す財産は、私が残す財産がなくても、takaちゃんは充分暮していける金額なのです)
夕食の時に、またtakaちゃんが責め立てます。義父はゴクゴクと飲むように食事をするのです。そのたびにむせています。義母が亡くなってから二十年余り、一人でこんな食事の仕方をしていたのでしょう。
takaちゃんが「お父さん。またむせよろうが。そのうち喉につっかえて死ぬよぉ」と、
それに義父が「おう」
takaちゃんが「なんが、『おう』ね。なんも聞いとらんやろが。『おう』やないで、『はい』と言わんね」
これまで何も言わないで二人のやり取りを聞いていた私も、これは義父に対して失礼と思って、
「おまえ、義父さんに、なんちゅう言い方をするんか」と𠮟りました。
これで話は収まりましたが、また私は、胃が痛くなりました。
この後、二人は女子卓球を観ながら、盛り上がっています。
愛を読む人
昨日から熊本にいる末娘と孫が来ていました。我々夫婦にとっては6番目の孫(すべて女の子 )で、二歳の可愛い盛りです。97歳の義父も、普段は昼は寝たり起きたりなのですが、終始テーブルに腰かけて、孫娘を笑顔で見守っていました。私は、やらなければならないことを後回しにする性格が出て、先週持ち帰った仕事があるのですが、末娘が帰った後、仮眠をとって、ブログを更新しています。
罪悪感はあるのですが、明日一日時間があるので(火・水の二日勤務です)、なんとかなると自分に言い聞かせて、ブログと向き合っています。
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本日は「愛を読む人」です。この映画の原作は『朗読者』というベルンハルト・シュリンクが書いた私小説で、ベルハント・シュリンクはドイツの法学者(専門公法学)で、ボン大学やフンボルト大学などで教鞭をとる傍ら数多くの小説を執筆し、その代表作とも言える作品が『朗読者』です。
監督はスティーブン・ダルドリー。「愛を読む人」は、第81回アカデミー賞に作品賞を含む5部門にノミネートされ、ケイト・ウィンスレットが主演女優賞を受賞した。主演女優は当初にコール・キッドマンが予定されていたが、妊娠のためケイト・ウィンスレットが起用され受賞を手にしました。
ケイト・ウィンスレットは数々の受賞歴を持つ女優です。
- アカデミー賞
- ゴールデングローブ賞
- 2008年度主演女優賞 (ドラマ部門) 『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』
- 2008年度助演女優賞 『愛を読むひと』
- 2011年度 女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門) 『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』
- 2015年度助演女優賞 『スティーブ・ジョブズ』
- 英国アカデミー賞
- 1995年度助演女優賞 『いつか晴れた日に』
- 2008年度主演女優賞 『愛を読むひと』
- 2015年度助演女優賞 『スティーブ・ジョブズ』
- ロサンゼルス映画批評家協会賞
- ロンドン映画批評家協会賞
- 1995年度 英国主演女優賞 『乙女の祈り』
- 2004年度 英国主演女優賞 『エターナル・サンシャイン』
- ヨーロッパ映画賞
- 1998年度 観客賞 (女優賞) 『タイタニック』
- 2001年度 観客賞 (女優賞) 『アイリス』
- 2009年度 女優賞 『愛を読むひと』
- クリティクス・チョイス・アワード(放送映画批評家協会賞)
- 2008年度 助演女優賞 『愛を読むひと』
- 全米映画俳優組合賞
- 1995年度 助演女優賞 『いつか晴れた日に』
- 2008年度 助演女優賞 『愛を読むひと』
- グラミー賞
- 2000年度 Best Spoken Word Album for Children 『Listen To the Storyteller』
- エミー賞
- セザール賞
- 2012年 名誉賞
私は1997年の「タイタニック」で彼女を知り、2008年の「愛を読む人」で彼女のファンになりました。彼女は多数の映画で主役や脇役を演じていますが、半分程度は実際に映画館で、またはDVDで観ています。彼女は家族全員俳優という環境で生まれ、自らも俳優として人生を歩んできています。彼女の名演技はやはり血筋なのだと思います。
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もう1時を過ぎてしまいました。
これ以上夜更かしをするとtakaちゃんに、
「昨日も遅くまで起きとたろがぁ。わかっとうとよ。そうやけん、朝が起きれんかろうが」と詰られます。
次回は、この作品のあらすじと私の想い、数あるコメントに対する私の意見についてお話をしたいと思います。水曜日ぐらいかな。