Sさんは、戦前とその直後まで中央区の葛城あたりに住んでいました。軍国少女として戦闘機をつくりたいと、千葉の工場で事務員となって働き始めました。
そして…、1945年7月7日に、アメリカの戦闘機による焼夷弾や小型爆弾による攻撃で、千葉市の中心市街地の約7割が被害に遭いました。
防空壕やレンガの倉庫に逃げ込んで蒸し焼きにされた人々、田畑に逃げて見つかり、戦闘機に撃たれ亡くなった人々、川に入って逃げたところに小型爆弾を落とされ亡くなった人々、千葉市街は、空襲によって亡くなった人たちが道や川などにいっぱいだったそうです。
Sさんの父親は、戦争に反対したために「国賊」と呼ばれていたそうです。
…映画「母べえ」とつながるところがありますね。
聞けば聞くほど、耳を塞ぎたくなってしまう気持ちに…、でも、戦争体験から何を学び取って、今後の平和の運動につなげていくのか。改めて考えるきっかけとなりました。戦争体験を話せる方が少なくなっています。Sさんも80歳をこえています。若い世代が引き継いでいかなければ。
メモできなかったので、文章がまとまっていないかと思いますが、思いだけでも感じとっていただければと思います。
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