めりっとめりめり

お気楽アラサー主婦の独り言
「めりっとめりめり」の「めり」は「スナメリ」の「めり」

3/23

2011-03-23 | 東日本大震災関連
私は縁あって福島県浜通り(原発の屋内退避区間の外側)に住んでいますが、
現在、埼玉に避難中です。


この数日で高速道路が通行可になり、
これで物流も復旧していくんじゃないかなと。
実際、浜通りのスーパーも何軒か再開したようです。
よかった。

水道も少しずつ復旧しているようですが、私が住んでる地区はまだのようです。
水だったら汲みに行けばすむことなので私はいいんですけど。
汲みに行けない人たちはまだしばらくは心配ですね。

今日は浜通りで震度5の地震が何度か起こっています。
大丈夫かな?
心配。
もう大きな地震はやめてほしい…。

昨日今日と埼玉の町を車で走る機会がありました。
やっとガソリンスタンドの行列が落ち着いてきましたね。
よかった。
みんな普通に暮らそう。
普通に。

今、埼玉の夫の実家に避難中なんですが、
ここの地区ももちろん計画停電のグループに入っています。
昨日、停電ついにくるか!?と待ち構えていたんですが、
結局また停電しませんでした。

まだ1回も停電してないんですけど…。
でももう何回も停電してる地区もあるみたいで。
なぜここは停電しないのか??

思い切りドカンとバチンと停電してくれていいのに。

被災したアクアマリンふくしま・トド情報

2011-03-21 | アクアマリンふくしまの生き物たち
毎日jp「福島で被災のトド 千葉に避難し元気に」
毎日jpによると、
「鴨川に17日に運び込まれたトドなどは食べる餌の量が減っていたが、
避難生活に慣れてきたのか食欲が回復した。」
とあります。
このまま順調に回復しておくれ。
頑張れ。

それから、地震の時の様子も。
毎日jp「職員冷静に誘導、犠牲なく 小名浜の水族館」

地震発生からこれまでの私の記録

2011-03-21 | 東日本大震災関連
私は縁あって福島県浜通りに住んでいます。(現在埼玉に避難中)
詳しくは書きませんが、原発の屋内退避区間の外側です。


これまで書いた地震関係の私の日記を時系列にまとめました。


<福島県浜通りにて>

11日(金)

12日(土)-1
12日(土)-2

13日(日)-1
13日(日)-2


<埼玉に避難してからのこと>

14日(月)

15日(火)

16日(水)

18日(金)

19日(土)

気持ちの変化



<その他>

津波被害を受けたアクアマリンふくしま



私が地震のことを書こうと思ったのは、
少しでも地震の時の状況を色んな人に知ってもらいたいと思ったからです。
私の受けた被害は小さいものなのであまり参考にはならないかもしれませんが…。
あくまで私の主観なので、これを見て不快に思う方もいるかもしれません。
そのときはごめんなさいです・・・。

もう1つの理由は、自分のためです。
自分への戒めのため。
それから、こうして文章にまとめることで少し気分がスッキリしました。

余談ですが、地震の日記を書き始めてからこのブログの訪問者数が一気に増えました。
昨日なんかはいつもの訪問者数の約20倍の方が来られたみたいで。
本当にびっくりしたと言うか。
ちょっとビビッたと言うか。
やはりそれだけ地震に関心のある方が多いんですね。
私もそうですが。

早く被災地に救援物資が行き届き、被災者の方に元気が出ますように。
そして早く町が復興することを祈ってます。
私も私のできることを微力ながらやっていきたいと思います。

気持ちの変化

2011-03-20 | 東日本大震災関連
私は縁あって福島県浜通りに住んでいます。(現在埼玉に避難中)
詳しくは書きませんが、原発の屋内退避区間の外側です。


11日に地震に合ってからこれまでの気持ちの変化。

私は浜通りで地震に合いました。
市内の海側では津波も起こり大変な被害でした。
でも私の住む地区はそれほど大きな被害はなく本当に幸運でした。
物が散乱。
壁紙にひびが入る。
断水。
その程度ですみました。

そんな私が13日には浜通りを出て、埼玉に避難することに。
県外に避難した人の中でも早く出発したほうだと思います。

…ずっと罪悪感を感じていました。

自分だけ逃げていいんだろうか?
体が動く健康な私が1番先に逃げていいんだろうか?
私みたいな人が市内に残って
ボランティアとか役に立つようなことをしたほうがいいんじゃないか?
などなど。

もう出てきてしまったので、どうしようもないんですが…。
何もできない自分に苛立ちを感じました。

でも、気持ちを切り替えることにしました。

今さら福島には戻れません。
ライフラインと物流が復旧してない今、戻ってもかえって迷惑になるだけ。
放射線の風評被害で救援物資も充分に届いていない状態です。
私がいなくなった分、救援物資が他の人にいきわたるんだ。
福島に戻ったときに、困っている人の役に立てるように今のうちに英気を養おう。

そう考えるしかない…というのもありますが。
とにかくそう考えることにしました。

私自身の受けた被害は少なかったけれど、精神的に辛いものがありました。
今まで経験したことのない地震の揺れ。
終わらない余震。
県内で起きた原発事故。
知り合いの安否。
TVを見ても絶望的な景色ばかり。
とにかく怖くて不安で。

これからどうなってしまうのか、今も不安はたくさんあります。
でもいつまでも落ち込んでいられない。
前向きにならなくては。

今日、浜通りでやっと給油ができるようになったそうです。
水道も徐々に復旧しているそうです。
原発事故も現場の人たちのおかげで最悪の事態にはなってない。
日々頑張っている方々のおかげです。
本当にありがたいことです。

今日、微力ではありますが募金をしました。
少しでも力になれますように。

希望はある。
頑張ろう。

地震発生からこれまでの私の記録・その4

2011-03-19 | 東日本大震災関連
東北地方太平洋沖地震発生からこれまでの私の記録。
その4。

私は縁あって福島県浜通りに住んでいます。(現在埼玉に避難中)
詳しくは書きませんが、原発の屋内退避区間の外側です。

3/13(日)
夜中1時。
近くに24時間水を供給している浄水場が近くにあることが分かりました。
(twitterより情報収集)
どうせ眠れないので行ってみました。

おお、全然すいてる。
私たちは空いたペットボトルを持っていったのですが、
これではあまり多く汲めません。
周りを見てみると、かごや衣装ケースなどに新しいゴミ袋を入れて、
ゴミ袋の中に水を汲んでいました。
なるほど!!
私たちもそれにしよう。
という事でアパートと浄水場を2往復しました。

朝、夫の会社にちょっと寄ることになった。
車から町を見ると、相変わらずスーパー・ガソリンスタンド・給水所には人いっぱい。
いやいやむしろ前日より人が増えてる。
やっぱりみんな不安が大きくなってきたんだろうな。

そしてやっと夫の会社から指示が出た。
しばらく会社は休み。
どこにいるか連絡すること。
避難区域外なんだから市内を出る必要はない、出た場合は個人負担。
という考えみたいです。
今、冷静になって考えてみるとまぁ当たり前かなとは思うけど。
言い方が悪くて悪くて、その時はすごくイヤな気分になった。

それでもしばらく会社休みになったので、
私たちは夫の実家埼玉に行く事にしました。
急遽、準備をしました。

地震前の洗ってない食器がいくつかあったんですが、
断水してしまったので洗えずにいました。
夜中に汲んできた水で洗ったんですが…。
こうしてみるといつもどれだけ食器洗うのに水を大量に使っていたかよく分かる…。

やっと夕方に埼玉に向けて出発できました。
その時の様子は14日のブログに書きましたが、少し付け足し。
TVでは被害の大きかった東北地方を取り上げることが多いので、
茨城の様子は実際に通ってみるまで知りませんでした。
水戸くらいまで行ったら被害もなく普通の町なんじゃないかと勝手に思ってた。
でもいくら行けど行けど、停電で真っ暗。(夜だったので尚更)
こっちもだんだん不安になってきて。
やっと桜土浦(?)つくば(?)に入ってから普通の町になって。
この時は本当に本当にほっとしました。

こうしてみると、
TVではあまり取り上げられない地域も結構な被害を受けているんだなと思いました。
どうかそういう地域にも支援の手が差し伸べられますように。

地震発生からこれまでの私の記録・その3

2011-03-19 | 東日本大震災関連
東北地方太平洋沖地震発生からこれまでの私の記録。
その3。

私は縁あって福島県浜通りに住んでいます。(現在埼玉に避難中)
詳しくは書きませんが、原発の屋内退避区間の外側です。

3/12(土)-2
朝、近くに住む夫の会社の方が訪ねてきました。
(のちにこの方が大活躍することに)

今日、福島空港から飛行機で逃げることにした。
自分のチケットの手配はもうしてある。
Aさん(私たちの事)も逃げたほうがいいんじゃないか?

と。

それまで福島を離れることは考えてませんでした。
会社が何も言ってこないので、どう動いていいか分からなかった。
原発の事故も不安ではあるが、ここはまだ大丈夫だろうと思った。
高速道路が閉鎖されてた。
などの理由で。

この日1日、私の両親は私にメールを送り続けていたらしい。
原発が心配だから、埼玉(夫の実家)に逃げたほうがいいと。
でも電波状況が悪くて、私にはそれらのメールは届いていなかったんですが。
夜にやっと母と電話がつながり、その話を聞きました。
逃げたほうがいいと強く言われました。

それでどうするか考えて。
会社から何か指示があるかもしれないので、あと2日待ってみることにしました。

今日の状況3/19 両親からの電話

2011-03-19 | 東日本大震災関連
今日は私の両親から電話がきました。

まず父から。
今父は仕事で九州だったか…ちょっと覚えてないけどその辺にいるらしい。
なので地震は大丈夫でした。
電話の内容は次の通り。

「埼玉は物があるか?
もしないなら送るように手配するから。
お母さんと喧嘩した。
だから「死ね」ってメールしたら「今までお世話になりました」と返信がきて、
それから2~3日連絡が途絶えた。
でも昨日くらいにまた連絡きたけど。」

おい、「死ね」ってメールしたって…何考えてんの?
馬鹿じゃない。
電話では私も反論せず話聞いてたけど、
でもそんなのあんまりだと思って父にメールしました。
私が父に送ったメールの内容。

「もっとお母さんに気を使ったほうがいいよ。
地震の時の怖さや不安は地震にあった人にしかわからないから。
私も埼玉に避難してきてから、こっちの何にも分かってない人たちの言動に
ムカつくことがいっぱいある。
ましてお母さんは去年母親を亡くしたばかりだから、たぶん精神的に弱ってるんだよ。」

メール送ったけど、今だ返信なし。

そしてその後、母から電話が。
母は青森県下北在住。
父や子供も仕事などで家を出ているので、地震の時も1人で色々不安だったと思う。
母との話はお互いの今の状況とかがほとんどで、
父と喧嘩したとかそういう話はしませんでした。

あとは弟の車の話を。
弟は八戸で船に乗る仕事をしていて、地震の日も船に乗っていました。
津波も起きたけど、船的には津波の時はむしろ沖に出たほうが安全なのだそうだ。
それであの日から安全のためにずっと船に乗ったままの状態だったらしい。
やっと昨日?今日?くらいに陸に上がれた。
でも車を海の近くに止めていたので、津波に流された。
陸で探しても見つからなかったので、たぶん今は海の中かもしれない。
海から車を引き上げている業者(?)にも会ったけど、弟の車は見つからず。
たぶんもう見つからないね。
それでも命があっただけ良かったよ。

地震発生からこれまでの私の記録・その2

2011-03-19 | 東日本大震災関連
東北地方太平洋沖地震発生からこれまでの私の記録。
その2。

私は縁あって福島県浜通りに住んでいます。(現在埼玉に避難中)
詳しくは書きませんが、原発の屋内退避区間の外側です。

3/12(土)-1
今残っている食料をチェック。
長期保存がきくカップ麺やお菓子等のストックがいくらかありました。
ペットボトルのお茶やジュースも。
いざと言う時のために袋につめておく。
あと冷蔵庫にはウインナー等が残ってました。

断水してるので水がない。
水がなければカップ麺も食べられない。
トイレも流せない。
水を確保しないと。

電気は使えたのでPCでネットもつながってた。
給水所等の情報がほしかったが市のHPはダウンしている状態。
TVのテロップで給水所の情報が流れたのでそこに行ってみようかと。
外に出たらたまたま同じアパートの住人がいて、
「近くの高校でちょっとした食べ物と飲み物がもらえる。外の水道で水も汲める。」
と教えてくれました。
本当にありがたい。

高校に行ってみました。
休憩所のような所で、私と夫の分の乾パンとペットボトルの水が貰えました。
外の水道で水も汲めました。
少しの水ですが、水が手に入って安心しました。

TVのテロップで今度は開いているスーパーの情報が流れたので行ってみることに。
スーパーにはすでに行列ができていました。
すぐ食べられるおにぎりやパン、それから水はすでに売り切れの様子。
なので何が残っているのが不安になりましたが、
この次点では思ってたよりは商品はあったかな。
ここで買ったのは、飲み物類・カップ麺・お菓子・ウインナーなど。

スーパーへの道すがら、前日の地震後初めて町の様子を見ました。
給水所・ガソリンスタンド・スーパーには長蛇の列。
川で水を汲んでいる人の姿もありました。
建物に大きな損壊はありませんでしたが、あちこちの塀や屋根瓦が崩れ落ちていました。

そんな町や人々の様子を見て、私たちもちょっと焦ってしまって。
午前中に高校で少しは水を汲んだけど、足りないのではないかと思い始め。
もう1度高校に行く事にしました。
そしたら午前中は全然混んでなくてすぐに汲めたのに、午後には行列が。
しかも午前の時より水の出が悪く、なかなか水が溜まりません。
蛇口は5つくらいあったのですが、蛇口1つを独占してる人もいて。
みんな困ってるんだから、こういう時こそ譲り合いは大切だろ…と、内心思いつつ。
でも誰も言い出せない…。
私よりも大変そうな人たちがいたので、せめて私たちは汲む量を少なくしました。

この頃になってくると、だんだん地震に対する感覚がおかしくなってきました。
本当に地震で揺れてるのか、自分の体が勝手に揺れてるのか分からない。
震度が3とか4だと、「それくらいで良かった」と思うように。

地震で散らかってしまった部屋を少しずつ片付けてましたが、
だんだんやる気も起きなくなってきて。
取りあえず割れた食器とか危ないものは最初に片付けたから、まぁいいか…。

今日の状況3/18

2011-03-18 | 東日本大震災関連
今日は埼玉に避難してきた夫の会社の方とその奥さんの
合計6名が集まって一緒に食事をしました。

…この集会は何か意味があったんだろうか?
困ってる人を助けられるような、そういう相談をするのかと思ってたのに。
そんな話も出ず。
もっと話すべき事はあったよ。
なんかわざわざガソリンを消費してまで集まる意味はなかったような。

まぁ、これで気分転換になったなら、それならそれでもいいけどさ。
もやもやの残る集会でした。

集まるためにファミレスに行ったのですが、
地震の影響で物が届きにくくなってるらしく、注文できる品が限られていました。

相変わらずガソリンスタンドは長蛇の列。
まったく。
なんで埼玉でこんな状況になってるの?
みんなが普通に暮らせば、充分に普通に生活できるのに。
そのぶん被災地が助かるのに。

それから。
NHKのニュースでいわき市長がインタビューに答えてました。
16日に福島県知事も出てたけど、その時と同じようなことを言っていました。
原発の屋内退避外なのに放射能の風評被害のせいで物資が入ってこないと。
水・食料・ガソリン・薬などがないと。
このインタビューが広まって、物資がきちんと届きますように。
どうかお願いします。


地震発生からこれまでの私の記録・その1

2011-03-18 | 東日本大震災関連
東北地方太平洋沖地震発生からこれまでの私の記録。
その1。

私は縁あって福島県浜通りに住んでいます。(現在埼玉に避難中)
詳しくは書きませんが、原発の屋内退避区間の外側です。

3/11(金)
午前からお昼にかけて、病院に行ったりお店をプラプラしてました。
車のガソリンがなくなりそうだったので、ガソリンも満タンに。
今思うとこの行動が幸いでした。

アパートに帰り、しばらくすると地震が。
最初はそんなに強い揺れではなかったのですぐおさまるだろうと思ったら、
今まで体験した事のない物凄い揺れに変わりました。
震度6強。
物が次々に落下。
唯一の避難口玄関のドアを開けなくてはと思い、
揺れでよろよろしながら玄関ドアを開け、
そこでしゃがんで地震がおさまるのを待ちました。
揺れがおさまると同じアパートの住人も外に出てきました。
住人の無事を確認。
同じ市内に住んでいるMさんからもメールがきて、無事を確認。

心臓バクバク。
こんな経験初めてでこれからどうしたらいいのか?
取りあえず貴重品だ!!貴重品!!

部屋に入ると、壁紙が剥がれている所がありました。
部屋中に物が散乱。
水が出ない。
電気はつきました。
貴重品をバックに入れ、また外へ。

どうしたらいいんだ?どうしたらいい?
とりあえず今できることはなんだ?
いつでも避難できるように、毛布や必要最低限の衣類や飲み物等を車に積む。
落ちそうになってる電子レンジやPC等、壊れたら困るものを棚から下ろす。
家電のコンセントをはずす。
作業している間も余震が起こりました。
余震が起こるたびに一旦外に出て、おさまったら部屋に入り作業をする。
終わったら玄関のドアを開けっ放しにして、玄関先に待機してました。
他の住人も同じ行動をしてました。

そのうち仕事に行っている夫から電話が。
「こっちは無事。いつ帰れるか分からない」とのこと。

今度は雪が降ってきたので、住人の車に一緒に入れてもらい暖をとりました。
車の中でテレビが見れたので地震の情報を見ました。
どこも凄い被害。
その中に青森県八戸市の津波の映像が。
とにかく焦った。
仕事で八戸にいるかもしれない弟はどうなった?
私の実家は?(実家は青森県下北)
でもこんな状態では電話がつながるわけもなく・・・。
とりあえずメールはどうにか送ったけど、向こうに届いているかどうか。
心臓バクバクが止まらない。

夫が帰ってくるまでの間、部屋をある程度片付けた住人の方の部屋に待機すことこに。
1人でいるのは不安だったので本当にありがたい。
やっと実家から連絡があり、みんな無事とのこと。
よかった。
夫からも電話が。
「同僚の車で送ってもらっているが、渋滞がすごくて何時につくか分からない」と。
結局、いつもなら車で10分ですが4時間くらいかかって帰ってきました。
それでも無事に夫と合流できてよかった。

夜。
電気がつくとは言え、また大きな地震が起きないか不安でいっぱい。
余震があるたびに怯える。
食欲もなく、眠れず、気持ちも落ち着かない。
割れた食器を片付けたり、TVで地震情報を見たりして夜を過ごしました。