ハイキング・旅行の記録
Mi diario
山の記録
※私は山は全くの初級者であり、自分の老後に読んで楽しむために書いた山日記です。故意に嘘は書きませんが、内容には間違いや勘違いなどがあるかも知れません。
山行の情報として使うときは、必ず市販のガイド本や他の情報も確かめてください。
また、冬季や残雪期の登山は読図が出来なければなりません。情報だけでは不十分です。
年度別山行記録
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天空の庭園を自分の目で!
登山を始めるきっかけとなったのは、静内町(現在の新ひだか町)の図書館で大雪山の写真集を手に取ったことでした。その中に上の写真と同じ位置で撮影されたであろう一枚の写真がありました。山の上に沼が存在することだけでも驚きましたが、小さな宝石のようにちりばめられた池塘が美しく、まさに「天空の庭園」のようでした。
「ここへ行ってみたい!自分でも行くことができる場所なんだろうか?」
登山なんてやったことがありませんし、自分の周りで登山をやっている人もいませんでしたから、まったくもって未知の世界でした。今ならインターネットに情報が溢れていますが、当時はインターネットどころかパソコンを持っている人も、ごく一部の限られた人たちだけでした。
まずはどこでもいいから登って、「登山」と言うものがどういうものなのか知ろうと思いました。静内町にはピセナイ山、笹山という山がありますし、大きな山ではペテガリが有名でした。新冠富士の話も聞いてはいましたが、どれも登山未経験の自分がひとりで登れる山とは思えませんでしたので、誰でも登れると聞いたアポイ岳に行ってみることにしました。時期は6月の第一週(恐らく1997年。登った翌日のニュースにヒダカソウ大量盗掘のニュースがあった。)、ガレ場でアポイクワガタが満開でしたからその頃であったことは間違いありません。
山とは薄暗い森の中を歩くことだと思っていましたが、五合目の小屋を過ぎるとそこから先はガレ場(五合目が森林限界)となり、そこに付けられた道を辿って登っていくのです。しかも岩には下界では目にしたこともない可憐な花々がたくさん咲いているのです。
さて、すっかり魅了されてしまった登山でしたが、その後の移転・転職などで、山へ行くことは殆どできませんでした。それでも、山への想いは次第に大きく育っていたようでした。
札幌へ戻って来てから少ししてインターネットを使えるようになり、登山の情報を必死に探して読みました。当時は本州の登山家のものが多く、必要な道具のことなどはそこから得ることができましたが、貧しいのでレインウェア以外は購入には至らず、手持ちのジーンズやスニーカー、小さなリュックでの登山が続き、黒岳、赤岳、緑岳、お鉢平、旭岳、五色ヶ原など、登り易い山へ行っていました。
アポイ岳登山から8年後、満を持し愛山渓の登山口へ向かう自分がいました。実はその前の年あたりに一度挑戦しているのですが、登山の前日運送会社の仕分けのアルバイト中に踵を滑車で轢いてしまい、足が腫れあがりました。それでも行きたい気持ちが強く、痛みをこらえて靴になんとか足を入れ、登山口から歩き出しました。びっこを引きながらなんとか沼ノ平までへ辿り尽き当麻乗越への道の途中の大岩で限界となりました。
2005年9月15日は準備万端、天気も良く、前回よりハードルを上げて永山岳、安足間岳、当麻岳、当麻乗越、沼の平をぐるっと回るルートにしました。永山岳への登りが少し辛かったものの、あとは快適な稜線歩きと当麻岳からはひたすら下りです。ドキドキしながら急斜面を降り、当麻乗越へ着いて沼ノ平を見下ろしましたが、図書館で見たあの写真の景色はありません。
「やっぱり一般の登山者が歩くところから写したものではないのだ・・・。」
それでも紅葉真っ盛り、当麻乗越からの眺めも素晴らしく充分満足です。休憩した後、登山道を数分下って行くと、目の前にあの写真と同じ景色が広がっていました。図書館で見た写真の時期は真夏のようでしたが、今は秋、緑のハイマツの中に紅葉がを彩りを添え、これまで目にしたことのない美しい景観です!
あまりの感動に暫し時間を忘れ呆然と眺めていました。今なら何枚も写すはずですが、当時はそんな貪欲さはなく、一枚だけメモリーに収まっていました。
この景色を見ることができたなら、もう山は辞めるつもりでした。仕事の休みが平日の週1回、しかも仕事を掛けもっていましたから、泊りどころか遠方なら日帰り山行もできなかったのです。前日24時頃登山口に着き車中泊、翌日は15時には帰途に就かないと夜の仕事には間に合いません。経済的にも続けて行けないだろうと思いました。ところが山の神様の取り計らいなのか、低賃金ながらも土曜、日曜、祝日が休みの現在の職場に出会い、その休みを使って山を続けてみることにしました。資金は朝刊配達の副業でまかなうことができると考えました。
その頃インターネットで「北海道の山メーリングリスト」の存在を知り登録しました。夏道を歩くだけではなく登山にはいろんな形態があり、沢登り、雪山、藪山、山スキーを楽しむ人々がいました。それまで何年も独りきりで歩いていた初心者の自分でしたが、幸運なことに上級者の方々に着いて山に登る機会を得たのです。いつ辞めてもいいと思っていた登山でしたが、たくさんの良い仲間に恵まれ、いつの間にかライフスタイルの一部になってしまいました。
さて、初めてアポイ岳に登ってから18年程経ちました。50代になり身体的に不安定時期を迎え現在は少し停滞していますが、これからどんな登山を楽しむことになるのでしょうか。登ることが出来るうちは辞めることはないと思いますが、それも健康状態、体力次第、ということになりそうです。
2016年は休養の年、体力的にきつい山へは登らず、花の咲く易しい山々を目指そうと思っています。そして昨年同様下界で咲く野の花、野鳥、写真撮影といった趣味も楽しみたいと思っています。
2016年1月17日
hiroko
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