昨日福井の武生に行って、予想していなかった店に出会った。
前々からオイラは、
司馬遼太郎の愛読者であること、
特に「街道をゆく」が好きなことを書いてきた。
福井県を紹介している第4巻と第18巻についてはそれぞれ3~4回読んでいる。
その司馬遼太郎が「街道をゆく」シリーズで二回も書いた蕎麦屋がある。
その名は武生(現 越前市)にある「うるしや」という蕎麦屋さんで、
1回目の取材が昭和44年頃の「街道をゆく4巻 北国街道とその脇街道」、
2回目が昭和55年10月取材の「街道をゆく18巻 越前の諸道」である。
もう55年以上も前の出来事。
抜粋する、
<第4巻 北国街道とその脇街道 越前日野川の川上へ>から
むしょうにそばが食いたくなり、鼻腔にそばの香りが満ちてきた。ありますか、武生に、そば屋です、と運転手の田保さんにきくと、「あります」と、たのもしいほどの返事が返ってきた。
・・・道路は急に狭くなって、静かな仕舞屋のならぶ通りに入った。総社通りだという。ここまできてやっと城下町らしい気品のようなものを嗅ぐことができた。格子戸の家並がつづいている。小雨でも降ればよく似合いそうな町筋である。
オイラ達がここを通るときは雨でした。
そこに「うるしや」という木の古風な看板があがっている家があって、一見、仕舞屋のようでもある。
※仕舞屋・・・もと商店をしていたが、今はやめた家
客は、われわれのほかにいなかった。
と書いてあるので当時はそうだったのかもしれないが、今では大変な人気店でオイラ達は15組以上、1時間半くらいは待つことになった。
<第18巻 越前の諸道 紙と漆>から
格子戸の多いその家並みのなかに、「うるしや」という古びたくりぬき盆のような看板が、緑青の出た赤銅ぶきの一階の屋根に据えられていて、そこがめざす家だった。
くりぬき盆とは、これのことだろう、
青緑の文字は判読できないが、その下に右側から読んで「うるし屋」とある。
べつに取りすましたところのないただの町のそばやながら、土間の腰掛、卓子、柱、壁など、すべて落ち着いた渋味があり、土間にさしこんでいる明かりまでがやわらかくて、ただごとでない思いがした。
言われてみれば、たしかにそう感じる。
細長い土間を通って、座敷にあがりこんだ。
はい感動。
オイラは感激しているが、同行のカミさんは通常モード・・・、
「Tさん、この座敷をいまつくれをいわれれば、何百万かかりますか」と、たれかがきいた。
「何百万」とてもそんな費用では、とくびをひねって、結局、見積りは不可能というような表情だった。
ちなみに当時の貨幣価値は、この本にも書いてあったがそば一杯が百円程度である。
今回の武生についての町歩きは、すっかりこの店のことを失念していた。
本来のオイラなら第一目標地をここに設定すべきだった。
武生市内のモデルコースを歩いていて、たまたま行列に出くわしたのである。
さて、肝心の蕎麦であるが、
もちろん旨かった。
そして司馬遼太郎も見たはずの素晴らしい奥庭。
雨だったということもあって、庭の苔はより鮮やかに、
ただでさえ感動しているオイラに、記憶に刻む風景を見せてくれたのだった。