てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#474(古代ヤマトは国のまほろば編)

2025年02月25日 22時22分22秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
まほろば・・・
素晴らしい場所、住みよい場所という日本の古語。

倭は 国のまほろば 畳なづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
読み:「やまとは くにのまほろば たたなづく あおかき やまごもれる やまとしうるわし」
意味:「大和は国のなかでももっともよいところだ。重なりあった青い垣根の山、その中にこもっている大和は美しい」


(国宝 東大寺大仏殿)

------------------------------------

巨石の益田岩船をあとにして後編へ、

これからの予定はこう





橿原神宮へ、


なんとも広大!


さっそくお参りして、


そしてゲッツ!


おや!?


なるほど本日は天皇誕生日。


天長祭の儀式かな、しばし遠くから拝見させてもらいました。




続いて、大神神社(三輪明神)に到着~、


ここには多くの参拝者がいましたね。


そんでもって、二つめのゲッツ!


さてこの神社、ただの神社でござりませんよ


なんと、なんと、我が国最古の神社なのであります。

本殿は設けずに拝殿の奥にある三輪山を拝するという原初のスタイル。

参道の出店で売っていた団子、温かくて旨かったなぁ~




纏向遺跡にきました。ここに女王卑弥呼の居館があったと言われてる場所です。


オイラは邪馬台国畿内説を支持してます。


少し離れて箸墓古墳、その卑弥呼の墓といわれてます。

ここの石室に被葬者と一緒に金印が納められてるはず、そうなりゃ邪馬台国確定だけど宮内庁はいつまでも発掘調査を認めません。



山の辺の道に来ました。


日本史上最古の道。


少し歩いて夜都伎神社まで歩いてみました。


ちなみにウィキで調べてみると、
山の辺の道・・・日本史上最古の道
竹内街道・・・日本最古の官道(国道)
どちらも超古い道ということです。



奈良観光の中心である奈良公園に到着~。

ここには鹿さんがたくさんいますよ~   


(当初鹿に会う予定はなかったのだが、奈良に行くのに鹿さんに会わないなんてあまりにナンセンスとカミさんが言うので組み入れたのです

横断歩道で、


赤信号は・・・あらら


渡ってはいけませんよ~


カミさんが鹿せんべいを買いました。


オイラもあげたい~♪


ぱくう~


さて文化財もちゃんと見学しないと、

ありゃ、


興福寺の五重塔は修理中ですか残念!


では東大寺の方へ、


南大門の金剛力士像、迫力が半端ない。


そして巨大な大仏殿(金堂)


なかに大仏さんです。(廬舎那仏)、


とにかく全部が巨大です。


ありがたいことです。


おっ柱の穴!たしか大仏さんの鼻の穴と同じ大きさだとか


ということで、


3つめゲッツ!





では、車でホテルに向かいましょう。


ここで「ビービー!!」とアラーム音が鳴り響きます。
「緊急地震速報か!?」

いや違う、カーナビから鳴ってるぞ、
ムム!

緊急情報だって、
北陸道と8号線が雪の為に通行止め、もう~ビックリさせるなよ~

今夜の宿泊先。


なんか公共施設も併設しているようです。


さて夕食は近くの居酒屋「魚民」で、前もって予約済みです。


乾杯、お疲れさ~ん


そして、夜は更けてゆく・・・。


----翌朝----


さあ~て、朝食はというと(ステーキなんて出るんかいな)


・・・・・・・・・・


ふぅコーヒーが旨い


長浜IC-福井間が雪で通行止めということで、24日の行き先は取り止めて早々に帰ります。


米原JCTで北陸道に入らず、そのまま名神高速を走ります。(長良川橋)


一宮JCTから東海北陸道へ、(白川郷IC付近)


そして、富山を経由して帰りました。(福光IC付近)


これで奈良の旅は終わりです。
憧れの地でしたのでとても充実した楽しい旅となりました。

思えば中学校の修学旅行も奈良でしたが、ドリームランドという名の今は無き遊園地が楽しかった程度の記憶しかなかったんです。
歳をとってからが合う場所かもしれませんね。

とにかく奈良は歴史の宝庫です。
車で移動してるだけで、古墳や天皇陵、有名な神社や寺が次から次へと現れて、
車を停めて写真でも撮りたいところだけど、それではいつまでも目的地に着かないので我慢しました。

オイラはやっぱり奈良が好きだな、
帰りの車中で、カミさんに冗談半分、本気半分で言ってみた。
「65歳の定年になったら、のどかな明日香村あたりにでも移住しようか?」


カミさんの返答は、即答で「無理っす」

「・・・・・。」 おしまい
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ブラオイラ#473(古代ヤマト謎の巨石・石造物編)

2025年02月24日 19時10分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
奈良県、古い名称でいうなら大和の国、ヤマト・・・、

歴史好きなら京都と並んで訪れたい地ではあるけれど、特に古代史が好きならもうここは聖地であります。

先日の富士山はカミさん希望の行き先でしたが、今度はオイラの番で是非ともとヤマトの地を選んだんです。
前後半でブラオイラで投稿してまいります。

さて古代の都であるヤマトには、神社も寺も最高級レベルのものが、とんでもないくらい多くありますが、
この前半はオイラがどうしてもナマで見たかった巨石や石造物巡りを中心に巡りました。

(特別史跡 石舞台古墳)

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三連休初日の22日土曜日、カミさんがパートを終えたあとの夜に出発しました。
 

(走行中はカミさんカメラ担当

最近恒例の車中泊作戦です。

心配だった雪も北陸自動車道は大したことはなかったものの、驚いたことに名神高速に入ってから滋賀県多賀SA付近での降雪が凄かったのです。


それも京都、大阪、奈良へと進むにつれ、雪はまったくなくなりました。


そして到着したのが道の駅「かつらぎ」です。
当初予定では明日香村の甘樫丘地区河原駐車場を車中泊の場所としましたが、こちらに変更しました。

毛布と湯たんぽ持参で車内でしばし仮眠・・・

それにしても葛城(かつらぎ)なんてのを見ると古代史ファンとすれば地名だけでワクワクします。
葛城氏とか葛城王朝とかね。


さてこの場所、スマホのマップを見ると、今回の行き先の一つである竹内街道に近いということで、
夜も明けぬうちから最初にそちらへ向かいました。

竹内街道(大阪堺市から奈良葛城市の長尾神社付近まで)、日本最古の国道、オイラの好きな司馬遼太郎が好んだ道でもあります。

ちなみに同しく最古の道である「山の辺の道」もあとで訪れます。

この竹内街道と司馬遼太郎については、オイラ思うところもあるので後日別記事を作成します。


竹内街道をあとにして、いよいよオイラのあこがれである古代の聖地、明日香村に入りました。


田んぼが広がるのどかな村です。


陽が昇りました。
天気予報は曇時々晴れ、雪はないけど気温は0度で相当冷えてます。

そんな中しばし散策というのは、ちと厳しいかな・・・


はい、亀石です。

(奈良県観光公式サイトより抜粋)
長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨石の下端部に動物の顔面のような彫刻があり亀に似ていることから亀石と呼ばれている。

しばらく歩くと、


こういう場所があって、


石柱に「聖徳皇太子御誕生所」とあります。

このあたりにあった馬小屋であの聖徳太子が生まれたのです。厩戸皇子(うまやどのおうじ)ともいわれます。

とにかくこんな超ビックネームがしれ~と出てくるから驚きなんです。

しばらく歩いて河原寺跡。


ここであまりの寒さにカミさんギブ徒歩による散策はあきらめて車に戻りました。

小春日和のポカポカ陽気の中をのんびりと歩いて巡るという理想は早くも崩れました。


車で、石舞台古墳へ

なんと営業開始時間は10時からで、まだ閉まってました。


24時間使用可能な無料の万葉文化館駐車場でしばし待機して、


その隣接してある今回オイラが一番行きたかった場所へ、


出ました、亀形石造物です!


これをナマで見たかったんです。

(明日香村観光ポータルサイトより抜粋)
斉明天皇の時代に造られたとされる、長さ2.3メートル、幅約2メートルのユーモラスな亀の姿の石造物です。
円形の甲羅には深さ約0.2メートルの水槽が彫り込まれており、丸い目を持つ頭が取水口となり、甲羅にたまった水が溝の刻まれた尻尾から流れ出るようになっています。その南側には、この亀の頭部に水を供給する船形の貯水槽が、そのさらに南側にはレンガ状に加工された砂岩切石を積み上げた湧水施設が設けられており、この湧水施設から船形の貯水槽へ、貯水槽から亀形石造物へ水が流れる構造になっています。

さらに横にある丘陵を登ります。


おっ見えてきたぞ


ジャーン!


酒舟石です!

(奈良県観光公式サイトより抜粋)
長さ5.3m、幅2.27m、厚さ1mの石の平坦な上面に奇妙な溝が彫られている。
昔、酒の醸造に使用されたという言い伝えから酒船石と言われるがいろいろな説がある。

いや~すごいなぁ~、マジ感動です。
(カミさんはイマイチのようですが)

しばし歩くと

梅の木がありました。明日香村はもうすぐ春ですね。


飛鳥寺へ、


ここにある大仏が日本最古とのことですが、残念ここも営業時間前でした。

でも境内は自由見学OKとのこと。

カミさん、なにやらお水をあげてます。


なんと、


645年大化の改新は歴史好きならずともご存じのはず。


とにかく明日香村には古代史のあれもこれもが、そこらじゅうにあるのです。


冬なので枯れてますが南国風の樹木も多いみたいです。




田んぼの真ん中に


あるのは、


弥勒石、目と口がなんとなくわかります。

(奈良の観光情報まとめサイトより抜粋)
飛鳥川の右岸にある高さ約2.5mの巨石で、どことなく頭があり、胴体があり、顔と思われるところには、目?口?と思われる細工跡を見ることができます。

では再度、石舞台古墳へ

到着~、300円で拝観できました。


おぉ~、教科書に載ってるやつですね。


では石室へ、


寒いと思ったら小雪がちらついてきました。


まじかで見ると、その巨石ぶりに驚きます。

古代の人よくこんなの運んだね。

ただただ感嘆します。

(拝観券より)
築造は7世紀の初め頃と推定されてます。古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬者は政権を握っていた蘇我馬子ではないかといわれています。

さて、巨石・石造物の最後の場所は、


住宅地にやってきたのですが、駐車場が無いのでカミさんには車中で待機してもらいオイラだけ向かいます。
-----


丘に登って、


えぇ~、こんなところ行くんか~い!


あっ見えてきたぞ、


ど~ん!益田岩船です。


こいつはデカい! そして上部に加工のあとがあります。

(奈良県観光公式サイトより抜粋)
古くからこの地で築造されたとされる益田池の石碑の碑文とされている。台石ともいわれている。
巨石は東西11m、南北8m、高さ4.7m。碑銘があり碑文は弘法大師の撰及書になっていると伝えられている。


こんな感じで、午前中で巨石と石造物を中心に訪れることができました。
今後、ヤマトの巨石・石造物についても詳しく知りたいなと思うオイラです。

さて古代ヤマトの旅は、後編へ続くので~す。
そちらもよろしくね
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ブラオイラ#472(はじめての箱根&芦ノ湖編)

2025年01月13日 13時50分50秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
前回からの続き、2日目は箱根&芦ノ湖に行きます。
オイラにとっては初めて訪れる場所になるのです。


(箱根関所の高台にある遠見番所から望む関所と芦ノ湖)


箱根といえばオイラのイメージは唱歌「箱根八里」なんですよね。

1901年(明治34年)に発行された中学唱歌。

オイラはそんなに古い人間ではありませんが、
箱根道中での頭の中はこの曲が鳴りっぱなしでした。⇒箱根八里♪


ホテルを8時にチェックアウト、早めに出るのは理由があります。



とにかく大涌谷駐車場が開く9時には到着せねばなりません。すぐに満車になるとのことで長時間待たされるのはゴメンですから。


本日の予定はこう、午前中のみの半日となります。



ほ~ら、すでに車が並んでいるぞな、


でもすんなり駐車できました。早起きは三文の徳!

標高1040mにある大涌谷です。


ここからの富士山、今日は曇の予報。


硫黄のにおい、そしてこの風景です。

3000年前に箱根最高峰の神山が水蒸気爆発をおこした爆裂火口。

公式HPにはこうも書かれています。
「大涌谷周辺では、今なお火山活動が続き、人体に有害な火山性ガス(二酸化硫黄SO₂、硫化水素H₂S)が発生しています。臭いが強いときや、目・鼻・喉に刺激を感じるときは危険ですので、その場から退去してください。」


このあたりの植物もこういう姿になるのですね。


箱根ジオミュージアムへ


ふむふむ


さてここで絶対に買わなければならないのが黒タマゴ!

縁起物で1個で7年延命できるという言い伝え。

お土産も含め4個入りを3つ買いました。(消費期限は翌日まで)




ふもとにおりてきました。


次は箱根神社の予定でしたが、信じられない車列渋滞があったので諦めます。
(残念、今回唯一のキャンセル場所となりました


元箱根の駐車場に停めて恩賜箱根公園にある湖畔展望館へ、


かっての皇族の離宮あとです。


資料コーナーがあって、


なかなか興味深いものでした。


眺めのよいバルコニーから芦ノ湖を見ます。


しばらく歩いて、



箱根の関所へ、


江戸側の御門から入ります。


まずはあの高台へ、


遠見番所、かっての見張り台です。


ここからの眺めもよかった。


高台より下りて、厩(うまや)や、


大番所といわれる建屋を見学しました。


京都側の御門から出てしばらく歩くと、


箱根駅伝の往路ゴールがありました。

復路のスタート地点でもあります。

さて昼食をとお店に入ります。


ちょうど自宅で留守番しているソラ&ウミの昼食時間でもあるのでソラカメラで確認します。


便利なもので自動給餌器により設定時刻になればエサが自動で出るのです。

あっすぐにウミがやってきた!


今回の旅では、家のネコ達に異常がないかどうかを自動トイレの記録(何時に入ったのが体重数値から判断、ソラ5kg・ウミ3kg)
とソラカメラでチョイチョイ確認しており特に問題はありませんでした。
夜はコタツトンネルを通って中で寝ていましたね。

さてさて、そろそろこの旅も終わりを迎えます。


今回は家族四人というのが良かったね、
最近では息子と娘と旅行に行く機会なんてなかったので、記念にできるだけ四人で写真を撮るようにしました。

ひと昔流行った自撮り棒の活躍です。


車中泊の様子


早朝の山中湖


新倉山公園で五重塔と富士山


河口湖の大石公園より


朝霧高原の高台より


白糸の滝から


大涌谷にて


いい思い出になりました。
ぼちぼちソラ&ウミの顔も見たくなってきたので、
6時間半かけて名古屋周りで帰路についたのです。
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ブラオイラ#471(冬の富士山 反時計回り周遊編)

2025年01月12日 22時10分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
「三連休は富士山を見に行く!」としたのは、石川県では26年ぶりに開催されるサザンオールスターズのコンサート抽選が無情にも外れたからであります。


(新倉山公園から見た富士山)

それに秋に見た富士山はまだ冠雪のない夏の姿でした。
それでも大いに感動したのですが、次はぜひ冠雪のある富士山を見たかったし、息子や娘にも声を掛けると行くわと言ったので実行したのです。

今回は富士山を反時計回りで周る計画です。

御殿場⇒富士吉田⇒富士五湖⇒富士宮⇒都留へと、二日目は箱根&芦ノ湖です。

心配だったのは北陸道の敦賀から関ケ原間の雪による通行止めでした。
金曜午後には解除されましたが、影響が残っていると見越して今回は反対方向の富山から南下する東海北陸道のルートで行きました。

当然こちらも雪はあります。


五箇山付近から雪が多くなってきました。


ピークは白川郷あたり、道路の両側面は雪の壁です。


石川⇒富山⇒岐阜⇒愛知⇒静岡⇒山梨と、北陸道、東海北陸道、東海環状道、新東名と、
カミさん、息子、オイラで運転を交替交替で走ります。
新富士あたりで正面に薄っすらと富士山が見えてきましたよ。


最初の目的地である山梨県の山中湖の長池駐車場に2:30頃到着。とにかく星がきれいでした。


今回は車中泊の準備も万端です。
毛布に湯たんぽ、キャンプ用品からランタンとマットレスまで持ち込み、シートを倒して朝まで仮眠します。


東の空がうっすらと明るくなってきて、


夜明け前でも徐々に富士山が見えてきました。本日の天気予報は快晴です。




新倉山公園、この階段がきついのよ・・・、


7時でもう人が来てます。


ここからの富士山がナンバー1という評価があります。




富士吉田市の商店街から見る富士山、この町の人は幸せ者です。


河口湖、秋に来た時にはコキアが綺麗でした。


適当な空き地で朝食を、カミさんが張り切ってガスコンロも買って持ってきたんですがまさかの不良品で使えませんでした。


西湖です、ここにはオイラ寄りたい場所があります。


クニマス展示館です。


奇跡の魚クニマス、秋田の田沢湖で絶滅したクニマスが、西湖で70年ぶりに発見されたのです。


ここで記念にマリモを買いました。春になったらメダカ鉢に入れてみようかな・・・、




野鳥の森公園で不思議なモノ発見!

氷の塊です、この辺りは朝晩の冷え込みが相当厳しいのです。

精進湖、


この時間でも氷が張っています。小石を置いてもこの通り、


本栖湖、これで富士五湖コンプリートしました。


展望公園から富士山を、ここが旧千円札の場所となります。


これね


山梨県側の富士山は、昼になると太陽の逆光になります。
さぁ静岡側へ行くぞ~!




道の駅 朝霧高原


展望台があります。


はいドン!

すでに富士山を見過ぎて、息子なんか「そろそろ飽きてきた」なんて罰当たりな事を言い出します。
オイラはまだまだ富士山を見たいのだ~!



音止の滝(おとどめのたき)、

高さ25m、その昔、曽我兄弟が父の仇を討つ相談をしていた際、滝の音で声が遮られたので神に念じたところ一瞬音が止んだという伝説の場所。

白糸の滝、

高さ20m幅150m、富士山の湧水、紅葉の時期は絶景。

ここで昼を食べます。


やっぱ富士宮やきそばでしょ、旨かった~




若獅子神社、


ここにはサイパン帰還戦車が置かれているのです。




富士山本宮浅間大社。

駿河国一宮、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮。

お参りして、ゲッツ!


ふと富士山を見ると雲がかかってきましたね、これまた絵になります。


お宮横丁を通って、


富士山世界遺産センターへ、まるでSF映画の秘密基地のようです。


展望ホールからの眺め、床に映る逆さ富士も見れました。



本日最終目的地は山梨に戻って・・・、



都留にある山梨県立リニア見学センターです。


リニアの仕組みや歴史について、いろいろ知ることができました。


残念ながら走行実験はありませんでした。時速500キロの光景を見てみたいです。


これで1日目の行き先は終了、全て訪れることができ時間設定もほぼ完ぺきでした。



ホテルは河口湖近くの東横インです。


オイラと息子、カミさんと娘の二部屋で泊まります。


夕食は予約済みの近くの居酒屋。


はい乾杯♪ ビールが旨し


明日は箱根へ、それではおやすみなさい 

翌朝の息子より:親父イビキうるさ過ぎ!

・・・・つづく
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ブラオイラ#470(富山立山地獄推しの御師の町編)

2024年11月24日 20時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
日本三名山といえば、
富士山、立山、白山でありますが、
その素晴らしい風景にオイラも大いに感動させてもらいました。

はい、どん! OH beautiful!  (ブラオイラ#466)



天文橋展望塔からの立山遠望です。 (ブラオイラ#415)



白山が綺麗に見えます。 (ブラオイラ#418)



この三名山は三霊山でもあり、古代より山岳信仰が盛んな山であります。


オイラがリスペクトする司馬遼太郎が、


街道をゆく(郡上・白川街道と越中諸道)に立山の御師という章があり、こう書かれています。


立山は、神であるらしい。
家持がしきりに立山を詠んでいるのは、美しさが極まるところに神が在すという感動が、この白い山を望むごとにおさえかねたからであろう。
「あなたたちは立山という神がこの世にあるのを知らずにいるのか」と、
このおどろきを、中世になってしきりに諸国を歩き、伝えまわったひとびとに、立山の御師たちがいる。
※大伴家持:奈良時代の歌人で越中守として高岡に赴任。
※御師(おし)とは、特定の社寺に所属して、その社寺へ参詣する者や信者の為に祈祷、案内をし、参拝・宿泊などの世話をする神職のことである。御師は街道沿いに集住し、御師町を形成する。
たしかブラタモリの出雲の回でも御師のことを紹介していましたね。


白山について石川県で御師とか御師町なんて聞いたことがなかったので、ネットで調べてみると岐阜の方にありました。
美濃禅定道の石徹白がそういう地だと書いてありました。

街道をゆくには、
御師の村は立山にふたつある。岩峅寺と芦峅寺であると書いてありました。


御師という職業(神職)は明治時代になって廃れたようですが、
ぜひ行ってみたいと、
カミさんに「立山の御師の町に行ってみんけ」と誘って出掛けたのである。
当然カミさんは、???であります。


前置きが長くなりましたがまいります、それではレッツらGO


小矢部川SAでトイレ休憩、芭蕉句碑越しで小矢部平野を見ます。


まずは常願寺川沿いにある、


岩峅寺にある雄山神社に来ました。
雄山神社は、前立社壇・中宮祈願殿・峰本社の3社があって、3社合わせて雄山神社となっています。
ここは前立社壇になります。


今日は七五三の家族連れや境内で市が開かれていて多くの人がいます。


お参りしたので、
新しい御朱印帳の第一号として・・・、
ゲッツ!


神社近くの岩峅寺駅に来ました。


古い駅舎で映画の撮影でも使われていました。


映画撮影時のパネル写真が飾ってあります。


さらに立山の麓へ進みます。


途中にユニークなコンビニで有名な立山サンダーバードがあります。

店内は撮影禁止ですが、いろいろ珍しい物が売ってましたよ。

もうひとつの御師の町である芦峅寺に入ります。
ここにあるのが雄山神社の中宮祈願殿です。


もみじが綺麗、


お参りして、第二号をゲッツ!


このあたりに御師が営む33の宿坊が軒を連ねていたとあります。


立山の御師たちは、
立山曼荼羅をいう立山信仰の内容を描いた掛け軸式の絵画を絵解きしながら立山信仰を全国に広めていったといいます。
その立山信仰の特色は、山中にある地獄の存在です。地獄谷や剣岳やみくりが池などが地獄に見立てられてきました。

立山曼荼羅(立山博物館パンフ裏表紙)


それらの世界を体感できる施設があるというので行ってみます。
まんだら遊苑です。


ではまいりましょう。


あそこが受付のようです。


受付をして苑内に入ると、いきなり怪しげな入口、屈んで入るほど狭いのであります。


ほ~ら予想通り


おどろおどろしい地獄が出てきてぞ。


これは針山かな、


さらに、


これはこれは・・・、


高所地獄ってとこかな


先端に到達、


眼下に常願寺川があって下流方向を見ます。


上流方向を見るが立山は望めませんでした。残念、


鐘があったので、カン♪


カミさんビビり過ぎ・・・戻ろ戻ろ


つづいて、立山登山をイメージした遊歩道を歩くと、


また不思議な施設が現れて、


無機質なコンクリの建物をジグザグに歩くと、奥に部屋があって、


こんなのとか、


こちらは、


こんな芸術作品がありました。


少し広い空間に入ると、音の鳴る作品がありまして、


カミさんはドンドン、カンカンと鳴らしてましたよ


さらに進むと、


驚くべき空間が現れます。


なんじゃこりゃ!?


正面にまわります。この中で瞑想するんだって、

せっかくなのでしばし横になって瞑想しました。

最後は暗闇の空間を通り抜け、


出口から出ました。


この施設おもしろいけどお子さんは怖すぎるなぁ・・・、

かもしか園がありました。


おっ!


小屋の中に特別天然記念物のニホンカモシカがいました。


まんだら遊苑から少し歩いて、立山信仰では重要な意味のある布橋と、


閻魔堂も見てきました。


イチョウの落ち葉の道、


少し麓へ下り、


立山博物館へ、


神秘の立山について、


立山の自然、立山信仰、立山のいろいろが学べる施設です。


はは・・人面犬みたい、


隣接する宿坊の教算坊の見事なお庭を拝見。


今日は岩峅寺と芦峅寺というかっての立山信仰御師の町を訪れました。
曼荼羅の地獄絵図など見ると、庶民がいかに日々の生活に恐れをなしていたか、逆に来世の幸せを願う強い気持ち、そういうのを強く感じました。
立山の御師たちは、この世にある地獄の存在から来世の救いを立山信仰に求め、全国に布教していったのです。
いまでは御師はいなくなりましたが、いまでもこの町は地獄を推している町でしたね。

さて帰りましょう。おぉ神々しい!
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ブラオイラ#469(紅葉早し山中温泉編)

2024年11月10日 16時02分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
昨日から今日にかけて山中温泉へ行って来ました。


この時期なら「紅葉真っ只中の山中温泉編」とか「紅葉絶景の山中温泉編」なんてタイトルになる予定でした。
例年11月上旬なら山中温泉の鶴仙渓(かくせんけい)では紅葉は見頃です。

が・・・、今年の夏は暑く長すぎた。
残念ながら3分咲きにもなってなかったと思います。
それでも天候も良く温泉宿もナイスだったので満足な一泊二日になりましたよ。

土曜日午後、
オイラとカミさん、息子と実家のお袋の4人で加賀温泉郷のひとつ山中温泉へ向かいます。


途中左手に白山が見えました。ようやく頂上付近で初冠雪。


今回のお宿は大江戸温泉物語Premiumよしのや依緑園です。

プレミアムってのが期待できます。

それにしても大江戸温泉物語と湯快リゾートって今月合併したんですってね。
なんせ申込み時は湯快リゾートでしたので。

チェックイン時間の15:00より少し前に入ります。


な、なんと!ロビーにラウンジが!


これぞプレミアム、うれしいねぇ~


鶴仙渓を眼下にウエルカム一杯!


部屋に荷物を一旦置いて、


散策するため外出します。


こおろぎ橋へ、


う~む、紅葉にはなってないねぇ、


フォトポイントでもある下から橋を撮ります。


そして鶴仙渓遊歩道を歩きましょう。


ここをオイラは県内でもベスト遊歩道と思ってます。


今日の宿が対岸から見えます。


向こうにあやとり橋が見えてきました。


このグニャリ具合がいいねぇ


橋の上より、


下流方面を見ると少しだけ色付いていました。


通りに出て、


総湯前の広場になんか凄いものがあるぞ!


作品ですね。


街灯に灯りがともる、そろそろ戻りましょう。


夕食前に当然風呂ですね~、


いい湯だな~


風呂上がりにまたこういうコーナーがあるんだよねぇ~プレミアムだわ、もちろん無料です。


こりゃ飲んじゃいます。


飲みながらのフットマッサージで極楽極楽!


そんでもってお楽しみの夕食


かんぱ~い!(アルコールは注文しませんでした、無料のとこでたくさん飲んだから・・・
バイキングだけど、ステーキとか郷土料理とかもあって大変満足でしたよ~


部屋に戻って、
オイラはまた風呂へ、
息子とカミさん、なんとお袋までもが、当館おすすめのサウナ専用エリア「TOTONOI」(水着着用)で絶景サウナを堪能したようです。

そのあとは部屋で、


おつまみと、


持参のアルコールで(結構持ってきちゃった


スマホとTVをケーブルでつないで、
山梨や高山の旅行や、ソラ&ウミの画像などを見ながら楽しく過ごしました。



・・・・・就寝・・・・



二日目
7:30、ゆっくりお目覚め、


朝食を取ってから朝風呂に入りました。

それから外に出て散策します。今日も天気がいいですね。


オイラは芭蕉の館に入ります。


俳人松尾芭蕉は、


この山中温泉をとても気に入り長逗留しました。

「山中や菊は手折(たを)らじ湯のにほひ」
(やまなかや きくはたおらぬ ゆのにおい)
季語は菊で秋、
現代語訳は、名湯と評判のこの山中温泉。ここでは長寿の霊薬といわれる菊は手折る必要がない。あたりには効能のある湯の香りが満ちている。

そして、この温泉街で有名な、


名物コロッケを、(有名人の来店写真がたくさんありました)


お土産に15個(両親2個分、この近くに住む姪家族へ5個、妹家族へ4個、そして我が家の4個です)



あの山頂にかって遊園地があったなんて、誰もしらないだろうなぁ、

おじい犬(ラッキー)と行ったもんなぁ⇒ブラオイラ#353


10時半にようやくチェックアウトします。

さぁそろそろ帰りましょう、山中温泉また来たいな。


<<自宅にて>>
さて、コロッケのお味は~!?


旨し!
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ブラオイラ#468(飛騨高山 古い町並みと中華そば編)

2024年11月03日 23時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
三連休2日目の本日、岐阜県の飛騨高山へ行って来ました。

(高山陣屋)

高山へ行くと決めた日に思い出したことがあります。

昔、旧友とラーメン談義をした際に、その彼が高山に最高に旨いラーメン屋があると言ってたことを思い出しました。
さっそくLINEをして、


よし、それも行き先に加えて、旅程を立てました。


飛騨高山は地図で見ると金沢から下45度の方向にあって、
直線距離ではそれほど離れていません。

でもその間には白山がそびえ立っているので富山から周って行くのが通常です、

早朝の6時に出発、富山までは曇空でしたが、


高山市内に入ると晴天になりました。


それにしても高山は何年ぶりだろう、
30年ほど前にカミさんと結婚する前に行った以来になります。

こういう観光地は市街地の駐車場がすぐに満車になるので、早めに到着したかったのです。
市営の駐車場に余裕でとめることができました。


そこに高山祭の屋台が移動されてきました。(地方によって山車、曳山と呼ぶが飛騨では屋台と呼びます)


町の中心部を流れる宮川の方へ進みます。


さるぼぼの像です。

さるぼぼ・・・飛騨の言葉で「猿の赤ん坊」という意味。赤い顔が猿の赤ん坊に似ていることから、そう呼ばれるようになりました。昔、飛騨地方では、母親が娘の縁結び・安産・夫婦円満を願い、また子ども達が健やかに育つことを願い、このさるぼぼを作り与えたと言われています。

宮川の鍛冶橋付近に来ました。


宮川の川沿いの道で朝市が開かれています。


さるぼぼもあれば、


畑で収穫したおいしそうなものも売っています。


宮川は昨日の大雨で水量が多く流れも速い感じです。


まだ、


8時過ぎです。


実は、今回は市中をあっちへ行き、こっちへ行きと、
高山の中心部を行ったり来たりすることになりました。

この時は櫻山八幡宮の表参道まで来ましたが、


八幡宮へは入らず、古い町並みを通り、方向的に鍜治橋方向へ戻ることになります。


いいね、


紅葉を期待したけど、少し早かったようです。


鍛冶橋に戻って来ると、向かい合わせに面白い像がありました。
足長像と、


手長像です。


漫画ワンピースに足長族とか手長族ってのがいたな・・・


定番の観光地である高山陣屋に到着です。


文化の日ナイス


では入りましょう。


多くの観光客は外国の方が7割ほどの気が、すごいですねインバウンド。


高山陣屋・・・江戸幕府が飛騨国を直轄領とした元禄5年(1692)から慶応4年(1868)に至るまでの176年間、高山陣屋において、25代の代官・郡代が幕府による飛騨支配のための執務を行いました。(高山陣屋HPより)

広い建物で、ぐるぐると迷路のようでした。


お庭もよくて、


あっこれ、拷問とかする道具やんけ!

あのギザギザの上に正座させて、横にある重たい石を太ももに乗せるんや。(怖っ

高山陣屋の次に高山市政記念館に入りました。


町のあちこちで、お店の前に並ぶ行列を見ました。


オイラ達もあそこへ行こう、


お団子を注文、香ばしくて旨かった。


それにしてもいい天気です。昨日の荒天はなんだったんだ。


おっカワイイ


次に、飛騨高山まちの博物館へ、


ここも迷路のような施設で、多種多様の展示物がありました。


お庭に秋を感じます。


ではそろそろ向かおうか今回の主目的でもある場所へ、


旧友が生涯一美味かったラーメンと語った「まさごそば」
営業で中部の各地をまわっている男で昼は大抵ラーメンだと、その彼が言うのだから間違いないのだろう。

ちょっち調べてみると、
昭和13年に屋台からスタートし、ご当地ラーメンである「高山ラーメン」の発祥と言われる老舗店とありました。

いよいよお店に到着~!

が!
営業開始時間の11:00より30分も前に着いたのに、もう並んでいました。(ひょえ~)


福井の蕎麦屋「うるしや」でも相当順番待ちしたけど、人気店のものを食べる執念とは凄いもんがありますね。

1時間30分並んで、ようやく入店できました。


けして広くない店内、

多くの芸能人の色紙やら写真が飾ってありました。
メニューは中華そば(ラーメン)とライスのみ、ギョーザとかはありません。

オイラは中華そばの大、カミさんは並みを注文しました。


旨し!


満足して、店を出ます。


ここからまた歩いて、


再び櫻山八幡宮までやって来ました。


秋の高山祭り(秋の八幡祭)の主催神社です。

お参りして、御朱印ゲッツ!


駐車場まで歩いて、


車に乗って、市街地から少し離れた日枝神社へ、
秋の装いの手水舎です。


ここは春の高山祭(春の山王祭)の主催神社になります。

お参りしまして、


記念すべき御朱印をゲッツ!

これにて御朱印帳が全部うまったのです~。

さぁ帰ろう、



もちろん彼にも報告しました。

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ブラオイラ#467(長野 諏訪湖と諏訪大社コンプリート編)

2024年10月14日 13時37分30秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
オイラもカミさんもどちらかというとなかなか諦めないというか、
昨日の富士五湖もそうだけど、スタンプラリーなんかでも一旦参加すると結構な確率でコンプリート(全制覇)しちゃたりします。
途中で辞めてしまうと後悔して嫌なんですね。

そして二日目の長野諏訪でも・・・。

(高台の立石公園から諏訪湖の全景を望む)


二日目朝、茅野のホテルから外を見る、今日も晴れの予報です。


今日のメインは諏訪湖と諏訪大社。



それではレッツらGO!
 

まずは放浪美術館、あの裸の大将、画家の山下清の作品を集めた美術館です。


う~ん残念、営業時間は9:30からでした。
只今8時過ぎ。オイラ達はなんせ行動が早いのです。



次に、神長官守矢資料館。


Googleマップでこれを見つけて、とても気になっていたんです。


調べてみると興味深くて、長い歴史を持つ守矢家は諏訪大社の祭祀の実権を握る神長官職を明治維新まで代々続いたとあります。



では、その諏訪大社に参ります。
諏訪大社は、上社と下社に分かれそれぞれ二社あり、上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮の計四社あるのです。


<豊かなご神水を湛え諏訪信仰発祥の地といわれる 上社前宮>

最初に訪れたのは、前宮。


オイラ諏訪大社ははじめてです。


少し変わった神社のようです。
鳥居をくぐってから、本殿まで結構な距離があって、かっては上部の神聖な区域と下部の祭祀区域とに分かれていたようです。


本殿。


そして有名な御柱。


そして御朱印となりますが、さすが諏訪大社で多くの方が待っています。
番号札をもらってから待つこと20分、


ようやくゲッツ!





<神体山を拝する山麓の社 上社本宮>

つづいて本宮に到着。


当初の計画では、諏訪大社はこの本宮だけにしようと思っていました。
四つを巡るのは大変だし、本宮というくらいだからここが中心なんだろうと思っていたからです。


ところが四社に格式の上下は無く、四社のすべてを周る四社巡りというのがあることから、
冒頭に書いた通り、オイラとカミさんのコンプリート魂に火が着いたのです。<やるかー? <おー!


御朱印ゲッツについても工夫することにしました。
まずはじめに御朱印帳を社務所に預けてからお参りします。


伝説の力士の雷電為右衛門の像がありました。
雷電は史上最強力士だったといもわれています。


もちろんここにも御柱があります。


さして待つことなく御朱印もゲッツ!





そして、高台にある立石公園へ、


ここからの眺めが最高です!


だからパシャ


旅行前には、このライブカメラからの諏訪湖の映像をよく見てましたよ。


映画「君の名は」のイメージにもなった風景ですよね。



高台から湖畔に下りてきて、諏訪湖間欠泉センターに来ました。


温泉が自噴しています。


館内には映画やテレビのロケ地パネルが展示されています。


とにかく長野県はロケ地が多いんだって、NHK大河ドラマでもロケが行われたとあります。


「真田丸」でのこのシーンはオイラも知っています。


次の場所であるハーモ美術館へ、ルソー、ダリ、シャガール、ピカソなどの作品が展示されてます。


ところで長野県って美術館多いですよね、


この諏訪湖でも何館もありましたよ。


この施設から見る景色も美しかったです。



そして、

<森と静寂に包まれ民を見守る里のお社 下社春宮>

今回の旅で一番苦労したのが、この春宮での駐車場でした。
多くの人が小さい駐車場で苦労してました。

なんとか停めて、入ります。


お参りして、


ゲッツ!


つづいて、



<旧中山道と甲州道中の交わる要所 御神湯の湧く 下社秋宮>

諏訪大社巡り、四社の最後 秋宮に来ました。


ここは参拝者がこれまでで一番多く、


参拝するのにも長い列になってました。


もう少しです。


そして、ゲッツ!


今日は多くの御柱も見ましたね。


よっしゃー!
これで諏訪大社の四社を周ったぞ~、
よって・・・、
諏訪大社です。


四社巡り達成したので記念の巾着袋を頂きました。


それにしても、
諏訪大社は不思議な神社です。ネットで概要を抜粋しました。
・・・・・・・・・
諏訪大社は、長野県の諏訪湖周辺に4箇所のお宮をもつ神社です。信濃國一之宮、神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の総本社であり、 国内にある最も古い神社のひとつとされています。
諏訪大社の歴史は大変古く、古事記の中では祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が出雲で国譲りに反対し、諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあります。また、日本書紀には持統天皇が諏訪大社に勅使を派遣したと書かれています。

今後もう少し諏訪大社については調べてみたいと思います。


諏訪大社秋宮の表参道周辺を歩いてみます。


おっ歴史のこみちとな、


これはこれは、


同じ長野県の小布施の町の雰囲気に似ています。


いいね、


ここは中山道の下諏訪宿になります。



さて、そろそろ旅も終わりに近づいてきましたが、

あっ、あの場所を忘れてた!
それは、先ほど行った春宮の近くにある「万治の石仏」です。

しかし、あの春宮駐車場に停めるのは至難の業です。
ここはカミさんに車で待機してもらい、オイラ一人だけ向かいました。


事前に諏訪観光を調べた時に、時間があればこの石仏をぜひ見たいと思っていました。


清流も流れています。


着きました、数組の人たちが並んでいます。

そして、石仏へのお参りの仕方を見ます。


そして万治の石仏、
はい、どん!


ちょっと怖い・・・、どうみても違和感の塊ですよ。


先ほどの所作でお参りしました。

遠目からこの光景を見ると、ここは異空間。

謎の集団のようだ・・・。


さてそろそろ帰ろう、

遅めの昼食はここで、


蕎麦を食べてから、


安房峠ルートで帰りました。



さて、今回は山梨県と長野県でのブラオイラで、テーマは「コンプリート」。
それぞれ主役は富士山と諏訪湖という素晴らしい風景ではありましたが、
富士五湖の5つの湖を全部周ること、
諏訪大社の4社を全部お参りすることを達成できたことは、すごく嬉しかったです。
そして昔から行きたかったUFO宇宙人遭遇事件現場にも・・・、

今回、前泊の車中泊が有効だということも確認できました。
これを使えば、遠距離への車での旅行も可能となります。

とにかく今回は天気も最高で、とても楽しい二日間でした。
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ブラオイラ#466(山梨 富士山と富士五湖コンプリート編)

2024年10月14日 00時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
三連休は、最初の土日で山梨県から長野県に行って来ました。

一日目は、富士山と富士五湖を中心に、

(河口湖から富士山を望む)


さすがに山梨へ行くには、当日の朝出発では遅かろうと、
金曜日に会社から帰宅し、シャワーを浴びてからすぐさま出発 


もちろん今回の旅程は事前に立てております。


山梨には米原周りで参ります。
北陸自動車道はカミさん運転、名神から東名&第二東名はオイラが運転です。
7時間くらいかけて富士山麓の「すばしり」という道の駅に到着しました~。
いや~ちかれたび~

さっそく車中泊しますが・・・、

さっ、寒くて眠れん・・・
暖房をつけると音で周りの車に迷惑ですから、(なぜか相当の車が駐車してました。富士山の登山者かな?)
せめて体だけでも休ませます。

5時50分の日の出時刻より前に最初の目的地である山中湖へ・・・、
けあらし(蒸気霧)が凄いです。


ん、なんだあれは!


ぎゃ~巨大白鳥の化け物だ~ 


しばらくして陽が照ってきました。そしてようやく富士山にお目にかかります。 
ファースト富士山です


湖越しでの富士山を見ようと対岸に周り、


山中湖です。霧があって幻想的です。



次の目的地へ、


忍野八海。富士山の伏流水に水源を発する湧水池、天然記念物。


富士山も見えます。


お約束のチャプチャプ


次に、北口本宮浅間神社に来ました。


手前の大杉の根のあたりが特徴的で面白い。


お参りをして、駐車場に戻る際に目の前の道路を水陸両用バスKABAが横切りました。


行程が予定の時刻より随分と早いので、行き先を追加します。


新倉富士浅間神社に来ましたよ、

この階段はきつかった・・・、

この展望台は富士山を見る場所としては超有名、朝早いのにすでに多くの外人の方がいました。


はい、どん! OH beautiful!


記念にパシャリ


この富士吉田市は、どこからでも富士山が目に入ります。


はい到着~ 河口湖! 大石公園のコキア越しの富士山も素晴らしい


つづいて、西湖。

ここは絶命したといわれてたクニマスが密かに生息していたんですよね~

そして、道の駅なるさわ、隣の富士山博物館。


うれしい無料です


誕生日の石の一覧があって、家族全員の誕生日石を確認しました。


おやきを売っていたので、富士山を見ながらパクっと、


車でカーナビつけて気になるMLBも確認します。

ドジャースとパドレスの2勝2敗どうしの運命の第5戦が始まります。

このあたりは富士の樹海が広がっているのです。


それからこの地名を見て、過去にあった大事件を思い出します。


そして、本栖湖到着~。


それにしても綺麗な湖だなぁ~、


そして、精進湖。


これで、


山中湖、河口湖、西湖、本栖湖、精進湖で、
これで富士五湖です!

そして富士山、例年だとこの時期には雪渓の富士山が望めるんですが、今年は暑すぎた・・・、
でもオイラは思う富士山は日本一の山なんてもんじゃない、世界一の山だと。



甲府市内に向かい、


オイラが今回どうしても行きたかった場所へ・・・、

1975年に起きた日本のUFO史上最大の事件である甲府事件の現場です。

(これについては、後日、別記事を作成します)


よっしゃー!
ドジャース勝利!! ダルビッシュの好投も素晴らしかった。
次はメッツとのナ・リーグチャンピオンを争う戦いがはじまります。




武田神社に来ました~。


御朱印ゲッツ


境内から一直線に延びている参道を眺めます。


隣接する旧堀田家住宅のお庭にアケビの木がありました。


そして、本日最後の目的地へ、


長野県に入り、到着したのは木落し坂です。


7年ごとに急坂を御柱に乗って駆け降りる命懸けの奇祭「木落とし祭」の会場です。


この祭りでは、死者も出ることがあるのですよ。


こりゃ怖いわ、


そして、
今夜はこのホテルに宿泊。


チェックインして休憩してから外出します。


夕食はここで、


はい、かんぱ~い!


旨しで、第一日目終了です。


ほとんど寝てないので、爆睡しま~す。

明日はさらに北上して諏訪市へ、
つづく
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ブラオイラ#465(夢か現か・・・、オテラート金澤編)

2024年09月23日 19時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
このたびの能登の大雨災害にともない、お亡くなりになられた方、ならびに、ご遺族の方に心よりお悔やみ申し上げます。
また被災された方へ謹んでお見舞い申し上げます。
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三連休。
時期的にお彼岸だし、能登への思いもあるから、お寺巡りができる「オテラート金澤2024」というスタンプラリーに2日間に渡り参加しました。

オテラート・・・お寺とアートと掛け合わせた造語で、国内外で活躍する作家、美術、デザインを専攻する学生などが参加し、作品の展示を中心とした芸術祭で今回は第14回目。
今年のテーマは「夢か現か(ゆめかうつつか)」夢か現か分かるような分からない感情が作品に表現されています。


9月22日(日)雨時々曇

(浅野川地区)

最初に向かったのは浅野川地区です。


廣誓寺(こうせいじ)1597年創建、織田信長家臣不破勝次が菩提寺として建立。


こんな感じでお寺の中に何点かのアート作品があるのです。


作品の向こうにお庭が見えます。



こういう感じ数年前に参加した「変容する家」みたいなものですね。
あのときも面白かったです。⇒ブラオイラ301

浅野川を渡り、


聞善寺(もんぜんじ)1481年創建、当初金沢城西側にありましたが藩の事情で現在の地に移りました。


こういうカワイイ作品もあるけど、


ギョッと驚くものや、少し不気味な作品が多いと感じましたね。


夢か現かというのは、


こういうことかもしれないですね、


歴史あるお寺なので、昔の造りで興味深かったです。


各お寺でスタッフさんがスタンプを押してくれます。


少し歩いて、

崇禪寺(そうぜんじ)1349年創建、江戸期よりの神仏混合のお寺。


小さい襖の中の作品、


このお寺には、かわいい黒猫がいました。

カミさん、魔女の宅急便のキキに似たこの猫と、しばし遊んでましたね。
ソラとウミは家でおとなしくしてるかな・・・

これで浅野川地区の3つゲッツです。


それにしても金沢の裏道には古い佇まいが残っています。


小雨が降ったり、止んだりの一日でした。





(東山地区)

淨光寺(じょうこうじ)1463年創建、蓮如上人所縁の寺。


昔ながらのお寺と、奇抜で斬新なアート作品とのマッチングが、
まさに夢か現かという感じになります。


このイベントでは、能登半島地震の災害復興支援にも関わっています。


これで4つ、


あと半分は明日にしましょう。



9月23日(月)曇のち晴

では、昨日の続きだ~
 

(寺町地区)

常松寺(じょうしょうじ)1611年創建、加賀藩士山崎閑斎の下邸内に建立。


ちなみにこのイベントでは、各お寺の拝観料は無料となっています。

おっかっこいい!


ん!?


では、そ~


こんな感じで・・・作品とはいえ小さい子はトラウマになっちゃいますね。






興徳寺(こうとくじ)1582年創建、能登宝達村に創建され1674年に現在地に移る。


なんとも・・・、


これはぜひともです。


これで6か所、


寺町は多くのお寺が集まっています。


長久寺(ちょうきゅうじ)1608年、前田利家の妹、津世姫の菩提寺。


絵本みたいな作品、


フムフム


ここでは多くの人が、作者が奏でる器の共振する音色をうっとりと聴いていましたよ 。



残るは一つ!



(小立野地区)

天徳院(てんとくいん)1623年創建、3代藩主前田利常正室の玉姫(徳川秀忠娘)の菩提寺。


これは華やか、


これはちと不気味、


これは・・・・メルヘン


とにかくこれでコンプリート!


そして記念グッズは、クリアファイルでしたー!



今回は二日間にわたってのお寺めぐり、久々の地元ブラオイラでした。
そして、それぞれのお寺で合掌し、一刻も早く能登に安寧が訪れるよう祈願させて頂きました。
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ブラオイラ#464(震災後はじめての能登編)

2024年09月15日 21時22分22秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
せっかくの三連休、どこかに出掛けなきゃ、カミさんと検討した結果、

能登で商売をされてる方のSNSでは能登に観光客が戻って来てほしいとのことです。
微力ながらも消費して、少しでも協力させてもらおうと能登へ行くことにしました。

震災後はじめての能登になります。

また、
ボランティアで活動させてもらった志賀町(富来地区)のお宅が、現在どうなっているかを確認したいと思っています。
2024のGWに⇒念願のボランティア

いざ出発!

今日の奥能登は昼頃から大雨予報、できるだけ早めに動きたいと思います。

現場のお宅から大量の木材や瓦、生活品などの災害廃棄物を軽トラでこの野球場まで運びました。


運ばれた廃棄物が種類別に整理され置かれています。




オイラの能登のイメージはこれ、稲のはさかけ用の稲木


あの時の昼の休憩施設、


現場は近い、向います。
右手に秘密基地の入口みたいな変わった施設、あの時も「なんじゃこりゃ」と思ったものです。


この集落です、


活動したお宅を見ましたところ建屋は残っていました。
スッキリときれいになっていました。
もちろん人は住んでいません。

この家も近く公費解体されると思います。
周辺にも壊れた家屋が残っていました。多すぎてなかなか解体の順番が来ないのでしょうかね。



集落の北のはずれに棚田のビュースポット、ちょうど稲刈り作業をしています。


展望台からの眺めも良し、


さらに進むと、


ヤセの断崖に、


さらに歩いて、


義経の舟隠しと、この時よりいよいよ雨が本降りとなり始めます。


カミさん慌てて戻ります(笑)


二人ともびしょ濡れ、




輪島市に入ります。


トトロ!?


なるほど見えなくもない


ちゃんと目まで付いてます。


しばらく進んで脇に停めます。


これが隆起の状況か・・・、海岸線があきらかに向こうに引いてます。

テトラポットや手前の白くなった部分は以前海中だった場所。


雨に濡れたのでタオルを買いにクスリのアオキへ、
驚いたことに隣に同じくドラックストアのゲンキーが、ライバル同士が隣接してるなんて初めて見ました。


さらに進んで訪れたかった場所へ向かいます。


フムフム


石川県のシンボルとして、
県の花は「クロユリ」、
県の鳥は「イヌワシ」、
そして県の木は「アテ」であります。

アテの元祖とは、どういう意味だろうか?

もともと東北以北の木なので、県内では能登以外ではほとんど見ることができないでしょう。


そして市街地へ、

倒壊している家、傾いている家、いまだ多くありました。
その一方仮設住宅もあちらこちらで確認できました。

テレビで見た倒壊したビル、いまだこのままにしているのはなぜかな、地域住民にとっては辛い光景のような気もしますが・・・、


対岸に見えるのは焼失した輪島朝市があった地区。


・・・・瓦礫の撤去はまだまだ進んでいません。

秋雨前線が北からどんどん下がってきているので、七尾まで戻ってきました。


食祭市場で土産など買って、昼食もと思いましたが人が多かったので、
道を挟んだ向かいにある山藤家さんへ、


オイラはうなぎ丼、カミさんは七尾うどん、共有でカキフライを注文、
美味しかったでござるよ。

それから能登島大橋を渡り、


何十年かぶりで、のとじま水族館へ、


震災の影響でほとんど中止、2匹のジンベイザメも「ろ過装置」の損傷などにより死んだと聞いています。


それでも、


さすが水族館、


見てると、


この歳になってもワクワクします。


多くの方が、


水族館を応援していますね。


息子と娘が小さい頃に来た時より、ずいぶん変わった感じがします。


おぉ~、


いつか孫ができたら、


ここは絶対に来るべきリストに入っています。(問題は孫ができるかどうかですが・・・)


一番人気のイルカ・アシカショーは当面休止、


ペンギンのお散歩タイムなど人気ショーも震災影響で休止ですが、マダイの音と光のファンタジアはやってくれました。


なかなか面白かった、のとじま水族館、
今は特別に1000円で入館できます。

さて、そろそろ帰りますかね、




・・・・・・・・・・・・・、
令和6年1月1日16:10に発生した能登半島地震、
マグニチュード 7.6、最大震度 7
死者行方不明者344人(災害関連死も含む)
負傷者1,678人
住宅被害126,678棟
あらためて大きな被害だったこと、現地を訪れて再認識いたしました。


能登・・・、引き続き心寄せて支援していきたいと思う一日になりました。
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ブラオイラ#463(福井に古代エジプト&昔日本を求めて編)

2024年09月01日 17時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
先週の日曜日は東の富山へタンブラーを求めに行きましたが、
本日の日曜日は南の福井へ古代エジプトを求めに出掛けま~す。


というのも、福井県立美術館で盛況に開催している「古代エジプト美術館展」が本日最終日ということを知ったからです。
なかなかエジプト展的なモノは地方ではお目にかかれないし、
カミさんも子供の頃に漫画「王家の紋章」を読んでおり古代のエジプトには興味があるというから、これはぜひ行かねばとなりました。
(ちなみにこの漫画、ウィキで調べると1976年から連載開始され、いまだに続いてるようです!?


福井市に到着~♪、
福井県立美術館の駐車場は満車で止められず、離れた臨時駐車場へ誘導されました。


しばし歩きます、


よーし着いた!


1500円×2名分払って入場します。


これはうれしいねぇ~

思わずここだけで200枚以上の写真を撮っちゃいました。

こういうのはなんとなく見たことがある。



・・・正直驚きました、


すべて本物で、


これほどのレベルのものが、


こんなにたくさん展示されてるとは思いませんでした。

正直言うと、ホンマモン数点にあとはパネル展示的なものかなぁ~なんて思ってたりしました。

パンフによると、200点の作品が展示されています。


公式HPより見どころを抜粋します。
古代エジプト3000年の歴史の扉が今、ひらく
本展は、日本唯一の古代エジプト専門美術館「古代エジプト美術館 渋谷」のコレクションを紹介するものです。国内では質量ともに第一級の内容を誇る本コレクションは、先王朝時代からローマ支配時代まで網羅しており、古代エジプト文化の全貌をうかがい知ることができます。ミイラやミイラマスク、木棺、神殿の柱、ツタンカーメンの指輪といった世界的に貴重な遺物や、当時の生活様式がわかるジュエリーやレリーフなど約200点を展示します。そのほか、過去100年間学術的な調査がほとんどなされてこなかったメイドゥム(マイドゥーム)・ピラミッドの最新調査(2022年)の様子も紹介します。3000年の巨大文明に触れ古代エジプトへの扉が開かれる機会となることでしょう。

なるほど観覧者が多いはずです。


ちなみにこれは、№.57「ハヤブサのミイラ」プトレマイオス朝時代 


こちらは、№.52「手拍子と踊りのレリーフ」古王国時代・第5~6王朝


ワオ! №.63「ワニのミイラの頭に被せたマスク」プトレマイオス朝時代


巨大なモノもあります。


まぁたくさんありまして、


一つ一つ立ち止まってじっくり見たいところですが、


それぞれの展示の前では、


人の列になっているので、


ある程度で、


切り上げて移動しないと、


他のお客さんの、


ご迷惑になります。


それでもこれはと、


素人でも凄そうとわかるような作品の前では渋滞になってましたね。


これは、№.183「亜麻布に描かれた呪文」プトレマイオス朝時代


初期型のピラミッドを紹介する映像コーナーもありました。


そして、おそらくこの美術展のメインで一番人気と思われるのが、


これでしょう、№.162「人型木棺」プトレマイオス朝時代初期 

大きくて迫力があります。

いやぁ~これは凄い美術展でした。


こういう場所にありがちなショップコーナーではオイラ基本的に買わないのですが、思わず何点か買っちゃいましたよ。



貴重なモノを見て、芸術モードが高まったので、
さらに近くにある福井県立歴史博物館の方にもやって来ました。


なんとこちらの入館料は100円。


福井県の大昔から近代までの貴重な歴史的展示物が多く見ることができます。


フムフム


昔懐かしの車まであります。一番後ろのスバル360はオイラ幼少時代の我が家のマイカーでした。


そしてオイラが好きな・・・、


懐かしい昭和時代があります。


これは、


庶民のお宅の様子、


懐かしの看板たち、今でもたまに見かけることがありますね。


こんなベンチたしかにあったわ


そして商店街には、


駄菓子屋さんも、


これオイラの卒業した小学校横の駄菓子屋そのままやんけ!


しかし安いなぁ~、


お腹が空いた、この食堂で食べたいわ


そういうわけにもいかないので、
現代風のオシャレなレストランでランチを食べます。


お腹も膨れたし、そろそろ帰りますかな、



今日は、
貴重な古代エジプトと昔の日本という別々の歴史を堪能しました。
どちらも興味深い展示物がたくさんあって、オイラもカミさんも大満足です。
今回の福井でのお出掛けで感じたことはまさにこれです。


いい日曜日でしたよ~。
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ブラオイラ#462(富山にタンブラーを求めて編)

2024年08月25日 16時14分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
オイラはビールが好きでほとんど毎日飲んでいるのですが、
カミさんは「缶でそのまま飲むより、グラスに入れて飲むほうが美味しいよ」なんて言ってました。

そういえば外食での生ビールはグラスで出てくるし、たしかにあれは旨いです。
そういうこともあって、先日からステンレス製の真空槌目タンブラーで飲みはじめました。

どうせならもう少し良いタンブラーが欲しい、よしタンブラーを買いに行くか!ということになり、
何度か贈り物に選んでいる富山高岡の「能作」の錫(すず)製タンブラーを求めて出掛けることとしました。



さて金沢から富山県に入るにはいくつかのルートがありますが、今回は一度も通ったことのない道を使おうと思います。
下図のルートで、石川県道・富山県道10号金沢湯涌福光線といいます。



朝マックを車中で食べながら出発進行!


湯涌温泉まであがってきて、


さらに進む、田んぼの向こうに湯涌江戸村の古民家が見えます。


さらに進むと、こんな山奥に高い廃墟ビル!? 違和感半端なしです。


道は狭くなってきました。対向車はまったく来ません、そして富山県に入ります。


「土徳刀利郷の碑」とあります。


ダム湖。


刀利ダム、迫力がありますねぇ。


麓の集落まで下りて来ました、


巴塚とあります。たしか倶利伽羅峠の富山県側の麓にもあったような・・・、


南砺市から砺波市に入ったので、以前息子が住んでいたアパートをチラ見してきました。
どうやら以前の部屋には新たな入居者がいるようでした。(もう2年近く経つのかな

時間もあるので砺波市にあるチューリップ公園に寄ります。


きれいなプランターの花、


あれに登ろう。


眺めがいいね、コキア畑が広がっています。


下に降りて、ブラブラと
風車がくるくると


隣接する砺波市美術館へ、


中学生清流展、清流は好きです。


常設展示室へ、


フムフム


可愛らしい娘です。


3階の展望台へ、残念ながら今日は天気が悪く、立山連峰は見れませんでした。




到着~♪


ここには何度か来たことがあります、さて入りましょう。


どど~んと鋳造用の型が出迎えてくれます。


工場内も見れますが、今日は日曜日で作業員の方はお休みですね。


体験教室は盛況で、子供の夏休みの工作用かな。


そして、今回の目的であるショップへ、


基本的に高価だけど、ここに手頃なアウトレットコーナーがありました。


それでもこのお値段 ええ~い買っちゃおう!


家のステンレス製に比べても重量感があります。オイラとカミさんの分を買いました。



富山のソウルフードはやっぱり、


ブラックラーメンですかな。


さて帰りましょう、あっ新幹線。


帰着~♪


さてさて~❤


取説にこうあります。
錫(すず)は酸化しにくく抗菌作用があるため、食器として安心してご使用いただけます。
また錫は熱伝導率が高く、冷蔵庫に1~2分入れると器がよく冷え、冷たいお飲物を一層お楽しみいただけます。

ではさっそく、


はい、おいしーい!
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ブラオイラ#461(近江八幡水郷めぐり編)

2024年08月04日 22時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今日は滋賀県の近江八幡に行ってきました。

(和船に乗ってヨシの生える湖をゆら~ゆら~と巡ってきました。


もちろん計画も昨日のうちに書きましたよ。(グーグルマップをみて)

カミさん曰く「今回は読める」と、

早朝に出発し9時頃に彦根ICに降りた際、悩んだあげく予定に入れなかった多賀大社の看板が「来てみ」と訴えるので寄ることにしました。


なんとも華やかな、ちょうど万灯祭の期間のようです。


カッコいい神社です。


お参りして、もちろんゲッツ


このあと、ここへ来る祭に見た看板が気になったので、そちらへも向かいました。


ずいぶん山に登ってやってきたのが、天然記念物「河内の風穴」です。


駐車場からしばらく遊歩道を歩くと、


風穴(洞窟)の入口が現れます。


入口が狭くかがんで入ると中は大きく広がっており、


そして冷蔵庫のように涼しいのです。なんとも神秘的でスリルのある空間でした。


足元に十分注意を払いながら、30分ほどの洞窟探検、
突き当りからUターンして穴から出るとムッと暑さが戻ります。眼鏡も曇るし・・・。

次の目的地へ向かう途中に、また気になる看板発見!


こういうのはオイラ基本的にあきらめません。

カミさんが呆れます「これじゃいつになっても目的地に着かんがいね」と
オイラは言います。
「藤堂高虎ってのはね、どうする家康の徳川家康に最も信頼された外様大名で臨終の際にも枕元に・・・・」
カミさん「オーケー!」
オイラ「・・・・・・」
たしかに、このペースでは全行程を回れないかもです。

たんぼの真ん中にある龍ケ池揚水機場。

1919年(大正2年)に出来た滋賀県の土木遺産です。ここは省いてもよかったかも・・・



近江商人の町に来て、


散策します。

用水には魚が泳いでいます、何だろう、ウグイかな。

それにしても今日はムチャクチャ暑いっす。


続いては、信長の館ですね。


あれか!これは期待できそう。


休館か~い!


代わりに安土駅に隣接する、


安土城郭資料館へ、


フムフム


続いて、西の湖にある、よしきりの池に、


次いこ、次~


中心街に入り軽く昼食を食べてから、いよいよ今回のメイン場所へ、


これに乗りたかったのです。


船頭さんの手漕きによる小さな舟です。


4人(二組)乗って出発!


風もあって、気持ちいいです。

周りには多くの葦(ヨシ)が生育していて、かっては「すだれ」や「よしず」に加工され、近江商人の手によって広く流通したとのことです。

船頭さんが教えてくれました。滋賀県の県鳥のかいつぶりの巣に親鳥がいます。

卵が2つあるそうですよ。

少し狭いところを進みます。


あれはフナを獲る仕掛け。


木の上に丸い玉のようなものがありまして、船頭さんの説明がよく聞こえなかったけど杉玉と言ったような・・・、

酒屋さんの玄関に飾る杉玉なんて自然にできるもんかな?こんなのはじめて見ました。

50分くらいでスタート地点へ戻ってきました。




カミさんが絶対に行きたかった場所、ラコリーナ。


なんとも不思議な施設、でもたくさんの人・人・人



ここに来たなら、絶対食べなきゃならないって、


出来立てのバームクーヘン、暖かくて旨し

新しい石川県立図書館を思い出す、愛称はビブリオバウム。

生産現場も見学できます。


日牟禮八幡宮へ、


そしてここでもゲッツ


その門前にある八幡堀、


少し畔を歩こう、


いいね。よく時代劇や映画のロケ地になるんだって。


そして、


ロープウェーに乗って八幡山へ、


頂上でも暑い、もう少し涼しいのを期待したんですが、


でも眺めは良いです。

我々が舟に乗って巡った北之庄の湖が見えます。

よし、これで全部周ったよね。


いや旧中山道がまだ・・・、

はい、ここが最後~


中山道の愛知川宿です。


さぁこれで帰ります。


日帰り旅行には、ちとハードすぎたブラオイラでした・・・
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ブラオイラ#460(光る君への越前武生編)

2024年07月14日 22時25分11秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
三連休は雨模様、遠出はキャンセルし、近場に出掛けることにしました。

そうだなぁ~NHK大河ドラマ「光る君へ」もやってることだし、
紫式部にゆかりのある福井の武生(現越前市)に行きませう・・・(行きましょう)


昨日、例のごとくグーグルマップを見ながら予定を立てました。

相変わらずの汚い字で、カミさんの最初のセリフは「読めん・・・」だった。

とにかくレッツらGO!


おっサンドーム福井だ、MISHAのコンサートはよかったなぁ、


日野川を渡る橋の塔に、「紫式部の武生です」とあります。


武生中央公園内のしきぶきぶんミュージアムに設置された「光る君へ越前大河ドラマ館」に到着~♪

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/ab/51839153762139bd08f4204a4db312c5.jpg" border="0">



正直言うと、オイラの光る君への視聴率は70%程度です。


戦国時代や幕末・明治の勇ましさがなくて恋愛ドラマを見てるようで・・・
それでもしっかり見ると面白いんだけどね。

先日、吉高由里子さんと岸谷五朗さんが福井に来られていた番組も見ました。


おっなんだろう?


入ってみると、


素敵な部屋がありました。


これは美しいね、


コメントを書いてシールを貼りました。

《光る君へ まじめに見ることにしよう ヒゲ親父》


少し離れた紫式部公園に来ました。

黄金の紫式部像です。


彼女が見つめる先に、


歌にも読んだ日野山があります。


隣接する紫ゆかりの館にも入ります。


入館無料で紫式部のことがよくわかる施設です。


市街地に戻り、


武生の町を歩いたことがなかった、今回は越前国の国府が置かれていたこの地を見たかったのです。

このパンフにはまちなか一周モデルコースというのが紹介されていたので、雨の中がんばって歩いてみます。

少し歩くと、


さっそくこういうのが出てきます。

国指定ですな。


昔ながらのタンス屋さんが立ち並ぶタンス町通りを歩きます。


絵本作家の岩崎ちひろさんの生誕地。

オイラはこの方を存じあげませんでしたが、カミさんは知っていました。

武生公会堂。


ここも無料です。


それにしても、古い町並みや狭い道が残っているけど、
戦禍にあっていないのだろうか、少なくとも福井地震の被害はあったと思うけど、


レトロな雰囲気がいい町であります。


本興寺、


ここでは発掘調査が行われていて、


国府跡の調査が行われています。


そしてこの本興寺には、


紫式部が植えたといわれている紅梅があります。


江戸時代からの町用水と松並木。


奈良時代の聖武天皇の詔勅により全国に建立された国分寺。


次の目的地の総社大神宮へ向かってると、この雨の中で店の前に多くの人が立っているのを見ました。


「あ~行列のできる人気店ね」と前を通り過ぎようとその看板を見ると、


驚いた!
蕎麦屋の「うるし屋」ではないか!
結局昼食は1時間以上待ってここで食べました。オイラにとってここは特別な場所なので別記事を書きます。

越前国内の神々が一堂に祀られている総社大神宮に来ました。


そしてゲッツ!


雨が強まってきました。


パンフがボロボロになりました。


卍が辻、見通せない四つ辻で戦国期に造られた場所です。


龍門寺。


織田信長が朝倉攻め、一向一揆攻めの際に布陣した地。


武生の中心市街地には寺が多いなと印象を受けます。

少し離れた場所へ、


福井鉄道北府駅鉄道ミュージアム。


昭和期の200形車両が展示されています。


木造駅舎は国の有形登録文化財です。


駅舎内に展示物があります。


あっ電車が通る、


光る君へのラッピング車両だ!


最後にこの駅舎近くの、


北府不動明王瓜割の清水へ


目の病に功徳があるとのことです。


さてそろそろ帰ろうか、おっ日野山が見える。


レトロな町、武生は興味深い町でした。さて今夜は「光る君へ」を真剣に見ましょうかね。

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