8月15日、お盆真っ只中であります。
お盆! 墓参り!! 合掌!!! 合掌造り!!!! 五箇山!!!!!
そうだ五箇山に行こう!

富山県にある五箇山は世界遺産の「白川郷・五箇山の合掌造り集落」であります。
でも富山方面に出掛ける本当の目的は・・・、
今朝は雨です。

いつもの森本からの山間部ルートで富山県に入ります。

天気予報では昼から晴れてくるので、まずは所用を済ませたいと思います。
それは砺波にある息子のアパート、
その部屋の掃除です。

カミさんが連休中に1回行きたかったというので、
今回のお出掛け目的の理由、半分以上はこれでした。

(ちなみに息子はまだ我が家で寝てる頃でしょう。

)
息子の部屋の掃除を終わらせたので五箇山へ向かいます。

途中に越中一宮の高瀬神社の看板が目に入ったので寄ってみました。
立派な手水舎です。
むむ!?
この木がそうですか!
高瀬神社は古来より越中国の一宮として崇敬され、主神は「福の神・結びの神」として知られる大国主命です。
さらに進み、

城端の町を通ります。
善徳寺の山門が立派でした。

山道に入ると、展望所パーキングがあって、
遠くに砺波平野の散居村を見ることができました。
さて五箇山ですが、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となりました。
平家の落人が住み着いたと伝えられており、1183年、富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠で、木曾義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦い、木曽義仲が平家に大勝、その平家の残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされる。
世界遺産である五箇山合掌造り集落とは相倉集落と菅沼集落の総称であります。
相倉(あいのくら)合掌造り集落に到着です。
おっ、まずは全景を見てみるか。

進路を示す看板に従って進んだのですが、最後の分かれ道で一瞬迷いました。

でも何とかビュースポットに到着し集落を見下ろします。

いいね
集落内を散策してみます。

日本の原風景がここにあります。
好きだなぁ、
こういう雰囲気。
すっかり雨もあがりました。
相倉集落をあとにして少し進んだドライブインで昼食にします。
オイラは山菜蕎麦と岩魚のお寿司、カミさんはかき揚げ蕎麦を注文しました。

岩魚のお寿司は初めてでした。
続いて到着したのは、菅沼合掌造り集落です。
高台の駐車場からエレベーターで下ります。
エレベータから出るとトンネル通路が、

「なんじゃここは!」
トンネルを抜けると菅沼集落が見えてきました。
へぇ~、
もちろん、合掌造りの家には今でも住んでる方もおられるのです。
どれどれ、
ちゃぷちゃぷ


いい冷たさです
お土産屋さんもあります。
それにしても落ち着くなぁ~。
幼少の頃、近所の仲良し家族4世帯くらいで五箇山の民宿に宿泊したことがあります。
小さい頃だったので記憶は断片的にしか憶えていません。

向かう道路は今のように整備されてなく崖沿いの細い砂利道を恐る恐る車で通ってようやく到達したこと。
親同士が大変感心して喜んでいたこと。(普通の旅館と違い大変珍しい所での宿泊ですからね)
そして民宿の老齢なお爺さんが、集落に伝わる民謡を歌い、それを囲炉裏の部屋で聞いていたこと。
今度親父に聞いてみよう、オイラ達が泊まったのは相倉かそれとも菅沼だったのか。


156号線を下ると、興味深い看板が目についたので車を停めます。
あれか!
なんと加賀藩設置の流刑小屋であります。
そう五箇山は加賀藩の流刑地でしたからね。
罪人はこういう小屋に閉じ込められたということです。(こわっ

)
あの旅行の時こういう小屋を見たような気がします。
「悪い事したら、ここに入れられるげんぞ」なんて親父が笑って言ってたような・・・、

もう45年くらい前の話になります。
さてと、そろそろ帰るかな。
お盆にここに来れて良かった。
まさに里山、心の故郷みたいなことを感じることができました。