論語を現代語訳してみました。
子罕 第九
《原文》
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、知者〔ちしゃ〕は惑〔まど〕わず、仁者〔じんしゃ〕は憂〔うれ〕えず、勇者〔ゆうしゃ〕は懼〔おそ〕れず。
《現代語訳》
孔先生はまた、次のように仰られました。
賢人は、〈確乎たる信念をもって人を導こうとするので〉惑わず、仁徳者は〈確乎たる信念をもって自分を律するので〉悩まず、勇者は〈確乎たる信念をもって物・事にあたるので〉恐れない。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
PCのモニターも復旧したので、論語の現代語訳を再開いたします。これらかもよろしくお願いいたします。
さて、今回の語訳の意味することは、何事も『確乎たる信念をもって』とする言葉を添えて訳することで、孔子が弟子たちに伝えたかったことが、より明確になってくると思われます。
単に『惑わず』『悩まず』『恐れず』ということではなく、どのような立場や環境にあろうとも、自分の信念を大切にすることで、自然とこの三つのことが成立するのであって、信念なき者は常に『惑い』や『悩み』や『恐れ』のなかで苦しんでいなければならないのだと思います。
そしてこのことは、前述の松柏のような何事も言葉を発しない木々たちが、幾千もの歳月をかけ、その子孫たちに引き継いできた知恵(遺伝子)を例えとして、人間の生き様みたいなものを、孔子は弟子たちに語り継いでいるのかもしれませんね。
※ 関連ブログ 知者は惑わず
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考