「俳優はお金を稼ぐ手段だった」松重豊が下積みを乗り越えられた理由
今年1月19日に60歳を迎えた俳優の松重豊さん。49歳の時に『孤独のグルメ』で連続テレビドラマ初主演を果たし、映画初主演は『ヒキタさん!ご懐妊ですよ』で56歳だった。下積み生活が長く、一度は役者を辞めた過去もある松重さんは、これまで役者としてどんな脇役だったとしても「面白がってきた」という。そんな松重さんに還暦という節目を迎えた今、これからの生き方を聞いた。
稼ぐために始めた“職業俳優”
下積み時代を語る松重豊さん
――2023年1月で60歳を迎えられましたが、過去に役者を辞めたことがあると伺いました。
松重豊: 僕は25歳の頃、一度役者の仕事を辞めたことがあります。大学を卒業し、学生演劇からアングラ演劇の世界に入って小劇場で役者をやっていたのですが、お金を稼ぐという経済面と、自分のやりたいことのバランスが取れず、このまま役者を続けてもしょうがないなと思ってしまったんです。それで完全に役者から足を洗い、建設会社の正社員として就職し、現場で労働者として1年半働きました。そんな時に、役者として求められたどんな役でも確実に演じてお金をもらう“職業俳優”であれば、今の日雇いのような仕事よりも稼げるかもしれないと考えたんです。結局お金を稼ぐ手段として役者を選んだのかと、みんなガッカリすると思いますが、これが現実ですね(笑)。
大事なのは経済活動です。家族にひもじい思いをさせていては、「自分の夢」や「理想」を語る資格もないだろうと考えていたので、その頃はひたすらにお金を稼ぐための“経済活動”として役者の仕事をしていました。だから、漠然とした考えで役者をやるのではなく、具体的に“松重豊”という役者を必要とするマーケットを考えて、そこで求められるような役者にならなくてはいけないと冷静に考えていたと思います。実際にやってみると、自分には求められる役をこなすほうが向いていて、30代半ばには役者の仕事だけで食べていけるようになりましたね。
「どんな役でも面白がる」刺激を受けた仲間の存在
――“職業俳優”として、どんなことを心がけていたのでしょうか? 松重豊: これまでいろいろな役をやってきて、昔は宇宙人やゾンビ、最近では猫役などを演じてきました。自分は身長が大きくて見た目も怖かったので、年間20回ぐらいヤクザ役もやっていました。それで同じ言い方をしても面白くないので、ちょっとずつ自分が面白がれる範囲で変えていくんです。そういうことをやっているなかで、横で同じようにヤクザ役をやっている遠藤憲一さんや光石研さんを見てみると、2人ともちょっとずつ言い方を変えて面白がっていました。脇役であるヤクザの芝居でも、ここまでニュアンスを変えてくるのかと刺激を受ける。そういう人たちが横並びにいっぱいいたんですよね。そんな彼らが“バイプレイヤーズ”と呼ばれる人たちになっていった。そうやって学んだ、小さい役の膨らませ方や、そこに対しての面白がり方というのは、今につながっていることだと思いますね。
結局、面白がることというのは、全ての環境において共通すると思うんですよね。お金がないから、そこでやっつけ仕事として腐ったら元も子もないわけです。お金はないけど時間に余裕があるなら、がむしゃらにいろいろなことを考えて、自分で面白がる。どんな状況でも、解決策を考えている時間を自分は楽しめるタイプだと思うので、逆境といわれる時の方がアドレナリンが出ている気がしますね。
――仲間の影響は大きかったんですね。 松重豊: 刺激を受けたということでいえば、僕が20代で大学演劇を始めた時に日本大学芸術学部の1学年上に三谷幸喜さんがいて、同じように芝居をやっていたし、ミュージシャンとして活躍している甲本ヒロトくんがバイト先の友達だったり。今思うと、偶然そういう輪の中に入ったというのは、奇跡というより必然だったのかもしれないなと。縁というのは、やはりあると思っています。なので、僕自身もそういう渦の中に巻き込まれたというのは、非常に幸せに思いますね。
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