創刊から125年、俳句雑誌「ホトトギス」が1500号…毎月6千作品から選出
11/22(月) 22:35配信
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創刊1500号を迎えたホトトギスを手にする稲畑廣太郎さん(17日、東京都千代田区で)=木田諒一朗撮影
明治30年に創刊された俳句雑誌「ホトトギス」が、今月20日発売の12月号で1500号を迎えた。創刊から125年。正岡子規や高浜虚子の精神を受け継ぐ同誌は、今なお多くのファンに愛されている。
「日本で最も長い歴史を持つ俳句雑誌として『花鳥諷詠(ふうえい)』の理念を守ってきた。高齢の読者が多い中、最近は小学生からの投句もあるんですよ」。ホトトギス主宰で虚子のひ孫・稲畑廣太郎(こうたろう)さん(64)は17日、納本されたばかりの1500号を手に感慨深げに語った。
同誌は1897年1月、子規の盟友・柳原極堂によって松山市で月刊誌として創刊。翌年に発行所を東京に移し、虚子が引き継いだ。子規や虚子らが記した文章や選んだ句を紹介し、読者を獲得した。
飛躍のきっかけは夏目漱石だった。1905年1月、虚子の勧めで書いた「吾輩は猫である」が同誌で発表されると好評を博し、翌06年に「坊っちゃん」を収録した号は8000部売れた。
その後、季題や五七五の形式を守る俳句作品を載せ、俳壇で確固たる地位を確立。四季をありのままに詠むという、虚子が提唱した花鳥諷詠の理念を守り、表紙絵は横山大観や東山魁夷(かいい)など日本を代表する画家が飾った。終戦前後に休刊した以外は戦時中も発行を継続。〈甲板に片陰あれば兵眠る〉〈パヽイヤの花や静かな陣の午後〉。南方に赴いた兵士の句も掲載した。
主宰は虚子の長男の故・高浜年尾さん、年尾さんの次女稲畑汀子(ていこ)さん(90)と引き継がれ、1100号が発行された昭和の終わり頃には約1万部に達した。
現在は約2500部を発行。購読者は巻末の投句用紙に自分の作品を書いて応募する。廣太郎さんは東京都千代田区のビルにあるホトトギス社に寄せられる句の中から毎月約6000作品に目を通し、掲載作品を選ぶ。最近はインターネットを使った「リモート句会」など新たな試みも始めた。「伝統を守りながら、若い人たちにも俳句とホトトギスの魅力を発信していきたい」と語る。
私の父が この雑誌に投稿していた
私もある結社の順同人に なったが 見事に脱落
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