歯科医物語

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名匠・大森一樹の世界 1980年「ヒポクラテスたち」

2022-12-27 22:33:08 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
名匠・大森一樹の世界 1980年「ヒポクラテスたち」 主演は日活ロマンポルノから軸足を移した古尾谷雅人

若き医学生を好演した古尾谷雅人
【名匠・大森一樹の世界 アイドルからシリアスまで】 また名物監督を失った。11月12日に急性骨髄性白血病のため、70歳で死去した大森一樹監督は業界では異例の「即監督デビュー」でマスコミをにぎわした。その謎は彼の経歴が教えてくれる。 1952年に大阪市に生まれた大森監督。少年時代は手塚治虫の大ファンだったという。 京都府立医科大に在学中、「グループ無国籍」という仲間を募り、映画にのめりこんでいく。そして「暗くなるまで待てない」という16ミリ映画を自主制作し公開すると、「キネマ旬報ベスト10」の21位に食い込んだ。学生映画の快挙といえる。




 そして78年に「オレンジロード急行」のシナリオが城戸賞をかっさらい、同作で商業映画デビューを飾った。これは東宝の大林宣彦、日活の石井聰互と並ぶ快挙。その後、彼らは大成するのだから、才能のオーラを最初からギラギラ放っていたわけだ。 「ヒポクラテスたち」は、大学医学部を舞台にした自身の体験から生まれた映画だ。たくさんの受賞歴が才能を見事に表している。 ただの医者のタマゴの青春映画だと思っていると、次第に狂気をはらんでいくのがミソ。 主人公の愛作を演じた古尾谷雅人は日活ロマンポルノで活躍していたが、この作品が一般映画での初出演。



以来、軸足を移すきっかけとなった。また内藤剛志や斎藤洋介のデビュー作でもある。 医大が舞台ということもあり、手塚治虫が小児科の教授で出演。また作詞家・ミュージシャンとしても知られる精神科医の北山修、大森監督が尊敬する鈴木清順監督も特別出演している。

 

 当時、話題を集めたのは「ふつうの女の子に戻りたい」との名セリフを残して引退した元キャンディーズの伊藤蘭が復帰したことだ。

 


復帰の甲斐あってか、第2回横浜映画祭で助演女優賞に輝いている。 監督は劇中、伊藤に「蘭」というたばこを吸わせているが、大森監督ならではジョークだろう。他にも市民運動に精を出す学生に対し、「そんな時間があったら、大学で勉強して一人でも多くの苦しんでいる患者さんの力になったほうがいい」と言葉を投げかけるのは、完全に監督の体験そのもの。 ロケは母校の寮や東邦大医学部、三鷹の井の頭病院など実在の場所が多い。 

 

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